礼記 / 祭統
及入舞,君執干戚就舞位,君為東上;冕而總干,率其群臣,以樂皇尸。是故,天子之祭也,與天下樂之。諸侯祭也,與竟內樂之;冕而總干,率其群臣,以樂皇尸。此與竟內樂之之義也。
新字:及入舞,君執干戚就舞位,君為東上;冕而総干,率其群臣,以楽皇尸。是故,天子之祭也,与天下楽之。諸侯祭也,与竟内楽之;冕而総干,率其群臣,以楽皇尸。此与竟内楽之之義也。
書き下し
入舞に及びては、君は干戚(かんせき)を執りて舞位に就き、君は東上と為る。冕して干を総(と)り、その群臣を率いて、以て皇尸(こうし)を楽しましむ。是の故に、天子の祭るや、天下とこれを楽しむ。諸侯の祭るや、竟内(きょうない)とこれを楽しむ。冕して干を総り、その群臣を率いて、以て皇尸を楽しましむ。此れ竟内とこれを楽しむの義なり。
現代語訳
舞に入るときには、君主は干(たて)と戚(まさかり)を執って舞の位置に就き、君主は東の上座に立つ。冕冠をかぶって盾を執り、群臣を率いて舞い、皇尸(尊い尸)を楽しませる。それゆえ、天子が祭るときは天下の人々とともにこれを楽しみ、諸侯が祭るときは国内の人々とともにこれを楽しむ。冕冠をかぶって盾を執り、群臣を率いて皇尸を楽しませる。これが国内の人々とともに楽しむということの意味である。
解説
祭りのなかの舞について述べる段である。君は冕冠をつけたまま干戚を執り、自ら舞の列に加わって東の上位に立ち、群臣を率いて尸を楽しませる。干戚は周の武舞の舞具で、鄭玄は同じ篇の後段で朱干を赤い盾、戚を斧とし、武・象の舞に執るものと注している。君主が見物する側ではなく舞う側に立つところに、この段の眼目がある。祭りの楽しみは君一人のものではなく、天子なら天下と、諸侯なら国内と分かち合うものだとされ、同じ句が二度繰り返されて諸侯の場合が念を押される。孟子梁恵王篇で、孟子が民と楽しみを同じくすることを王に説いたのと響き合う考えである。上に立つ者が自ら身体を動かして場に加わり、その楽しさを皆と分け合うという姿は、組織の行事で長がどうふるまうべきかを考えるときにも示唆がある。
この章句が説くこと
礼記祭統舞与民同楽君主
関連する章句
-
『韓非子』難三第三十八且つ此れ亡王の俗、取・魯の民の自ら美とする所以にして、穆公独り之を貴ぶ、亦倒ならずや。文公出亡す。献公、寺人披をして之を蒲城に功めしむ。披、其の袪を斬る。文公、翟に奔る。恵公位に即き、又之を恵竇に功めしむるも、得ざるなり。文公国に反るに及び、披見えんことを求む。公曰く、「蒲城の役、君一宿を令するに、汝即ち至る。恵竇の難、君三宿を令するに、汝一宿す。何ぞ其れ速やかなるや。」披対へて曰く、「君令は二ならず。君の悪を除くには、惟だ堪へざるを恐る。蒲人・翟人、余に何か有らん。今公位に即く、其れ蒲・翟無からんや。且つ桓公は射鉤を置きて管仲を相とす。」君乃ち之に見ゆ。或ひと曰く、斉・晋の祀を絶つは、亦宜ならずや。
-
『韓非子』難四第三十九衛の孫文子、魯に聘す。公登れば亦登る。叔孫穆子趨り進みて曰く、「諸侯の会に、寡君未だ嘗て衛君に後れず。今子は寡君に後るること一等ならず。寡君未だ過つ所を知らざるなり。子其れ少しく安んぜよ。」孫子辞無く、亦悛むる容無し。穆子退きて人に告げて曰く、「孫子必ず亡びん。亡臣にして君に後れず、過ちて悛めざるは、亡の本なり。」或ひと曰く、天子道を失へば、諸侯之を伐つ、故に湯・武有り。諸侯道を失へば、大夫之を伐つ、故に斉・晋有り。臣にして君を伐つ者必ず亡びば、則ち是れ湯・武は王たらず、晋・斉は立たざるなり。孫子は衛に君たり、而して後に魯に臣たらず、臣の君なり。君に失有り、故に臣に得有り。亡を失有るの君に命ぜずして、亡を得有るの臣に命ずるは、察せず。魯は衛の大夫を誅するを得ず、而して衛君の明は悛めざるの臣を知らず。孫子是の二つ有りと雖も、巨ぞ以て亡びん。其の亡ぶる所以を其れ失ふは、君を得る所以なり。或ひと曰く、臣主の施は、分なり。臣能く君を奪ふ者は、得を以て相踦すればなり。故に其の分に非ずして取る者は、衆の奪ふ所なり。其の分を辞して取る者は、民の予ふる所なり。是を以て桀は㟭山の女を索め、紂は比干の心を求めて、天下離る。湯は身名を易へ、武は身詈を受けて、海内服す。趙咺は山に走り、田氏は外に僕して、斉・晋従ふ。則ち湯・武の王たる所以、斉・晋の立つ所以は、必ずしも其の君を以てするに非ざるなり、彼之を得て而る後に君を以て之に処るなり。
-
孫子・作戦篇故に兵は勝つを貴び、久しきを貴ばず。故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり。
-
『墨子』兼愛下然り而して天下の士の兼を非とする者の言、猶お未だ止まざるなり。曰く、「意うに以て士を擇ぶ可くして、以て君子を擇ぶ可からず」と。姑く嘗みに兩つながら之を進めん。誰か以て二君と為し、其の一君をして兼を執らしめ、其の一君をして别を執らしめん。是の故に别君の言に曰く、「吾れ惡くんぞ能く吾が萬民の身を為むること吾が身を為むるが若くせんや。此れ泰だ天下の情に非ざるなり。人の地上に生くるや㡬何も無きなり。之を譬うるに猶お駟を馳せて隙を過ぐるがごときなり」と。是の故に退きて其の萬民を睹るに、饑うるも即ち食わしめず、寒きも即ち衣せしめず、疾病あるも侍養せず、死喪あるも葬埋せず。别君の言は此くの若く、行いも此くの若し。
-
『十善法語』巻第五・不綺語戒総シテ王公大人ハ其威名日月ノ如ク。其言行泰山ノ雲ノ如ク。下民仰キ瞻ル。四海則ヲトル所シヤ。ソレ故其過モ日月ノ蝕ノ如ク。万国ノ見テ知トコロシヤ。美玉ノ瑕ノ如ク。好絹ノ汚ノ如ク。掩テ掩ハレヌシヤ。民庶ノ類ハ身微ニ事眇ナル故。戯謔ニ由テ身ヲ亡スニ至ルコト少ク。仮令身ヲ亡シ家ヲ敗ルモ。人ニ知ラレ世ニ数ヘラルルニ至ラヌシヤ。此ニ至テハ君タルコト誠ニ難ト云ヘキシヤ。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・国家人民の立てたる君なり予は固より何の圧制をも是とする能はず。されど圧制と封建とを同視するは、甚だ謬れり。『王は国家第一の臣僕なり』とのフレデリック大帝の名言は、立法学者の評して、自由主義進歩の一新時代を迎ふるの声なりと云ふものなり。然るに時代は奇遇し、日本東北の僻壤に於て、米沢公鷹山も亦た帝と同一の宣言をなし、世子を戒むるに、『国家人民の立てたる君にして、君の為に立てたる国家人民には無之候』と曰ひて、封建の必ずしも圧制暴虐に非らざるを明言せるあり。封建の君主たるもの、たとひ君臣互に負ふの義務あるを暁らざりしとすとも、なお祖宗に対し、天に対して負ふ所ありとの高大なる思想を感じ、臣民は天より委ねられたる子にして、君主は其父なりとす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る