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礼記 / 祭統

及時將祭,君子乃齊。齊之為言齊也,齊不齊以致齊者也。是以君子非有大事也,非有恭敬也,則不齊。不齊則於物無防也,嗜欲無止也。及其將齊也,防其邪物,訖其嗜欲,耳不聽樂。故《記》曰:「齊者不樂。」言不敢散其志也。心不苟慮,必依於道;手足不苟動,必依於禮。是故君子之齊也,專致其精明之德也。故散齊七日以定之,致齊三日以齊之。定之之謂齊。齊者,精明之至也。然後可以交於神明也。

新字:及時将祭,君子乃斉。斉之為言斉也,斉不斉以致斉者也。是以君子非有大事也,非有恭敬也,則不斉。不斉則於物無防也,嗜欲無止也。及其将斉也,防其邪物,訖其嗜欲,耳不聴楽。故《記》曰:「斉者不楽。」言不敢散其志也。心不苟慮,必依於道;手足不苟動,必依於礼。是故君子之斉也,専致其精明之徳也。故散斉七日以定之,致斉三日以斉之。定之之謂斉。斉者,精明之至也。然後可以交於神明也。

書き下し

時に及びて将に祭らんとすれば、君子乃ち斉(さい)す。斉の言たるや斉(ととの)うなり。斉わざるを斉えて以て斉を致す者なり。是を以て君子は大事有るに非ざるや、恭敬有るに非ざるや、則ち斉せず。斉せざれば則ち物に於いて防ぐこと無く、嗜欲止むこと無し。その将に斉せんとするに及びては、その邪物を防ぎ、その嗜欲を訖(や)め、耳に楽を聴かず。故に記に曰く、「斉する者は楽(がく)せず」と。敢えてその志を散ぜざるを言うなり。心は苟くも慮らず、必ず道に依る。手足は苟くも動かず、必ず礼に依る。是の故に君子の斉するや、専らその精明の徳を致すなり。故に散斉七日以てこれを定め、致斉三日以てこれを斉う。これを定むる、これを斉と謂う。斉は、精明の至りなり。然る後に以て神明に交わるべし。

現代語訳

時節が来て祭りを行おうとするとき、君子は斎戒する。斎(さい)とは「斉(ととの)える」という意味であり、斉っていないものを斉えて、斉った状態に至らせることである。だから君子は、大事があるのでもなく、恭しくつつしむべきことがあるのでもなければ、斎戒はしない。斎戒しなければ、外物に対して防ぐところがなく、欲望にも止まるところがない。いよいよ斎戒しようとするときには、邪なものを防ぎ、欲望を止め、耳に音楽を聴かない。だから古い記録に「斎戒する者は音楽を用いない」という。志を散らさないようにすることをいうのである。心はみだりに思いめぐらさず必ず道に従い、手足はみだりに動かさず必ず礼に従う。それゆえ君子の斎戒は、ひたすら精明(清らかで明らか)な徳をきわめることである。そのため散斎(さんさい、ゆるやかな斎戒)を七日行って心を定め、致斎(ちさい、厳しい斎戒)を三日行って心を斉える。心を定めることを斎という。斎とは精明のきわみである。そうしてはじめて神明と交わることができる。

解説

祭りに先立つ斎戒の意味を説く段である。「斉の言たるや斉なり」は、同じ字の別の意味で言葉を解く古い訓詁の型で、ものいみを「乱れたものを斉える」営みとしてとらえ直している。平生の君子は、大事がなければ斎戒しない。常に斎戒していては日常が成り立たないからで、ここには、つつしみにも時と場があるという現実的な感覚がある。斎戒に入れば、邪なものを避け、欲を止め、音楽も聴かず、心と手足をすべて道と礼に沿わせる。散斎七日・致斎三日という段階は、心を徐々に絞り込んでいく手順で、鄭玄は「定」を志意を定めることと注す。論語述而篇に「子の慎む所は斉・戦・疾」とあり、孔子が斎戒を重んじたことも知られる。大事な場に臨む前に、心身を整える時間をあえて設けるという考えは、試験や大切な面談、発表の前の過ごし方にも通じる。

この章句が説くこと

礼記祭統斎戒節度精明

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