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礼記 / 祭義

曾子曰:「樹木以時伐焉,禽獸以時殺焉。夫子曰:『斷一樹,殺一獸,不以其時,非孝也。』孝有三:小孝用力,中孝用勞,大孝不匱。思慈愛忘勞,可謂用力矣;尊仁安義,可謂用勞矣;博施備物,可謂不匱矣。父母愛之,嘉而弗忘;父母惡之,懼而無怨。父母有過,諫而不逆;父母既沒,必求仁者之粟以祀之。此之謂禮終。」

新字:曽子曰:「樹木以時伐焉,禽獣以時殺焉。夫子曰:『断一樹,殺一獣,不以其時,非孝也。』孝有三:小孝用力,中孝用労,大孝不匱。思慈愛忘労,可謂用力矣;尊仁安義,可謂用労矣;博施備物,可謂不匱矣。父母愛之,嘉而弗忘;父母悪之,懼而無怨。父母有過,諫而不逆;父母既没,必求仁者之粟以祀之。此之謂礼終。」

書き下し

曾子曰く、「樹木は時を以て伐り、禽獣は時を以て殺す。夫子曰く、『一樹を断ち、一獣を殺すに、その時を以てせざるは、孝に非ざるなり』と。孝に三有り。小孝は力を用い、中孝は労を用い、大孝は匱(とぼ)しからず。慈愛を思いて労を忘るるは、力を用うと謂うべし。仁を尊び義に安んずるは、労を用うと謂うべし。博く施して物を備うるは、匱しからずと謂うべし。父母これを愛すれば、嘉して忘れず。父母これを悪めば、懼れて怨むこと無し。父母過ち有れば、諫めて逆らわず。父母既に没すれば、必ず仁者の粟を求めて以てこれを祀る。此れをこれ礼の終わりと謂う」と。

現代語訳

曾子は言った。「樹木は時節を選んで伐り、鳥獣は時節を選んで狩る。先生(孔子)は『一本の木を伐り、一頭の獣を殺すにも、その時節によらないのは、孝ではない』とおっしゃった。孝には三つの段階がある。小さな孝は力を尽くすこと、中くらいの孝は苦労をいとわず功を立てること、大きな孝は尽きることがないことである。親の慈愛を思って自分の苦労を忘れるのは、力を尽くすといえる。仁を尊び義に安んじるのは、苦労をいとわず功を立てるといえる。広く人々に施して物を行き渡らせるのは、尽きることがないといえる。父母が自分を愛してくれれば、喜んでそれを忘れない。父母が自分を憎んだとしても、恐れ慎んで恨むことはない。父母に過ちがあれば、諫めても逆らいはしない。父母が亡くなれば、必ず仁ある人の作った穀物を求めて祭る。これを礼を全うするという」。

解説

曾子が孔子のことばを引いて、孝を自然への態度にまで広げた段である。一本の木、一頭の獣でも、時節を外して取るのは孝ではない。親から受けた命を大切にする心は、天地が育む命を大切にする心にもつながるという考えで、王制篇や月令篇の、季節に応じた伐採や狩猟の定めとも通じる。孟子梁恵王上篇が、斧を時節に山林に入れれば材木は使い切れないと説いたのも同じ知恵である。続いて孝の三等が、力を尽くす小孝、功を立てる中孝、広く施して尽きない大孝として示される。後半は親との関係の難しい場面の心得である。愛されれば喜んで忘れず、憎まれても恐れ慎んで恨まず、親に過ちがあれば諫めるが逆らわない。論語里仁篇の「父母に事うるには幾(ようや)く諫む」と同じ趣旨である。親が亡くなれば仁ある人の作った穀物で祭るというのは、祭りの供物にまで作り手の徳を求める心である。親との関係に悩む人にとって、恨まずしかし言うべきことは言うという線は、今も一つの道しるべになる。

この章句が説くこと

礼記曽子孝諫め自然

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