礼記 / 祭義
「古者天子、諸侯必有養獸之官,及歲時,齊戒沐浴而躬朝之。犧牷祭牲,必於是取之,敬之至也。君召牛,納而視之;擇其毛,而卜之;吉,然後養之。君皮弁素積,朔月、月半,君巡牲,所以致力,孝之至也。
新字:「古者天子、諸侯必有養獣之官,及歳時,斉戒沐浴而躬朝之。犠牷祭牲,必於是取之,敬之至也。君召牛,納而視之;択其毛,而卜之;吉,然後養之。君皮弁素積,朔月、月半,君巡牲,所以致力,孝之至也。
書き下し
「古者(いにしえ)天子・諸侯は必ず獣を養うの官有り。歳時に及べば、斉戒沐浴して躬らこれに朝す。犠牷(ぎせん)祭牲は、必ず是に於いてこれを取る。敬の至りなり。君は牛を召し、納れてこれを視、その毛を択びて、これを卜し、吉なれば、然る後にこれを養う。君は皮弁素積(ひべんそせき)し、朔月・月半に、君牲を巡る。力を致す所以なり、孝の至りなり。
現代語訳
(孔子の答えの続き)「昔、天子や諸侯は必ず犠牲の獣を飼う役人を置いていた。祭りの時期が来ると、物忌みして身を清め、自ら出向いてその獣を見た。純色で完全な犠牲(犠牷)や祭りの牲は、必ずここから取った。敬いの極みである。君は牛を呼び寄せ、中に入れてよく見て、毛色を選び、卜いをして、吉と出てはじめてこれを飼育させた。君は皮弁(白鹿皮の冠)に素積(白い襞のある裳)の服を着て、毎月の朔日と十五日に、自ら犠牲を見回った。これは力を尽くすためであり、孝の極みである。
解説
藉田の段に続いて、祭りの犠牲を飼う役人を置き、君自ら犠牲を選び見回ったことを述べる段である。祭りの時期が来れば、君は物忌みをして身を清めてから自ら獣舎に赴く。牛を呼び寄せて毛色を選び、卜って吉と出たものだけを養わせ、月に二度、朔日と十五日に自ら見回る。供物を自分の手で耕す藉田と同じく、犠牲もまた自分の目で選び、手間をかけて育てるのである。この段では、それを「敬の至り」と呼び、さらに「孝の至り」とも呼んでいる。祖先への孝が、生きている親への孝と同じく、手間と力を惜しまないことで表されるという考えである。論語八佾篇で、子貢が毎月朔日に告げる礼の羊を廃そうとしたとき、孔子が「汝はその羊を愛(お)しむ、我はその礼を愛しむ」と答えた話も、犠牲をめぐる礼の重さを伝えている。結果だけを整えるのでなく、その過程に自ら関わることが、敬いを形にするということなのである。
この章句が説くこと
礼記祭義犠牲敬孝
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言志四録・言志耋録 第二百八十六条 敬は終身の孝人道は敬に在り。敬は固より終身の孝為り。我が躯を以て親の遺と為せばなり。一息尚ほ存せば、自ら敬するを忘る可けんや。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、かくのごとき者を、世間並みの人と思ふべけれど、親へつかふる道は、曾て知らざる者なり。汝は書を読みながら、書を読まざる愚昧の者を、法とするゆへに、父母に事ふる道を知らず。昔し公明宣、曾子に学ぶこと三年、書を読まず。曾子曰く、宣、参の門に居ること三年、学ばざるは何ぞや。公明宣曰く、安んぞ敢へて学ばざらん。宣、夫子の庭に居るを見るに、親在せば、叱咤の声未だ嘗て犬馬に至らず。宣之を説びて、学べども未だ能はず、と云へり。曾子の如きは、親の前にては、犬や馬さへ怒りて叱り玉はず。然るに汝は、只養ふを孝と思へり。子曰く、今の孝は是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで皆能く養ふこと有り。敬せずんば何を以て別たんや、と。是の如くなる時は、父母に事ふる道は、愛と敬との二つなり。愛は、いつくしみあいする心なり。敬は、つつしみうやまふ心なり。然るに汝は、父母の命を用ひずして心を痛ましむ。心を痛ましむるは、愛心なきが故なり。命を用ひざるは、敬心なきが故なり。愛敬の心なきは、鳥獣に同じ。汝は世に呼ばるるほどの孝を問ふ。聖賢の孝を聞かんと思はば、早く愛敬の心を知るべし。愛敬の心を知らば、聖賢の孝にも到るべし。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段答、敬して遠くとのたまふは左にはあらず。外神を祭るは、敬慎而已を主とす。此故に、道ならぬ穢き願ひを遠ざけ、又先祖を祭るは孝を主とす。是遠くにあらず。扠敬して遠くとのたまふに、大に取違ひ有ことなり。神は非礼を受玉はず。然れば非礼の願ひを以て近づくを不敬とす。敬ひを遠くとのたまふにはあらず。汝のいへる如くなれば、我朝の神は、願状を籠て、成就に至る時には、願文の通に鳥居を立、或は社の脩覆など致を、敬ひと思われ候や。
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