礼記 / 祭義
文王之祭也:事死者如事生,思死者如不欲生;忌日必哀,稱諱如見親,祀之忠也。如見親之所愛,如欲色然,其文王與?《詩》云:「明發不寐,有懷二人。」文王之詩也。祭之明日,明發不寐,饗而致之,又從而思之。祭之日,樂與哀半;饗之必樂,已至必哀。
新字:文王之祭也:事死者如事生,思死者如不欲生;忌日必哀,称諱如見親,祀之忠也。如見親之所愛,如欲色然,其文王与?《詩》云:「明発不寐,有懐二人。」文王之詩也。祭之明日,明発不寐,饗而致之,又従而思之。祭之日,楽与哀半;饗之必楽,已至必哀。
書き下し
文王の祭るや、死者に事うること生けるに事うるが如く、死者を思うこと生を欲せざるが如し。忌日には必ず哀しみ、諱(いみな)を称すれば親を見るが如し。祀りの忠なるなり。親の愛する所を見るが如く、色を欲するが如く然り。それ文王か。『詩』に云う、「明発まで寐(い)ねず、二人を懐う有り」と。文王の詩なり。祭の明日、明発まで寐ねず、饗してこれを致し、又従いてこれを思う。祭の日は、楽しみと哀しみと半ばす。これを饗すれば必ず楽しみ、已に至れば必ず哀しむ。
現代語訳
文王が祭るときは、亡き親に仕えることは生きている親に仕えるのと同じようであり、亡き親を思うことは、自分が生きていたくないと思うほどに深かった。命日には必ず悲しみ、祖先の諱(死後に呼ぶことを避ける実名)を口にするときは、まるで親を目の前にしているかのようであった。これこそ祭りの真心である。親が愛していたものを見れば親その人を見るように思い、人が美しいものを慕い求めるように、ひたすら親を慕った。これが文王その人であろうか。『詩経』に「夜明けまで眠れず、二人(父母)を思う」とある。これは文王(のような孝子)をうたった詩である。祭りの翌日も、夜明けまで眠れず、祭りを受けてもらい心を尽くした後も、なお引き続き親を思うのである。祭りの日は、楽しみと悲しみが相半ばする。親の霊を迎えて祭りを受けてもらうときは必ず楽しく、それが終わって去ってゆけば必ず悲しい。
解説
この章句が説くこと
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