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礼記 / 祭義

祭不欲數,數則煩,煩則不敬;祭不欲疏,疏則怠,怠則忘。是故,君子合諸天道,春禘秋嘗。霜露既降,君子履之,必有淒愴之心,非其寒之謂也。春,雨露既濡,君子履之,必有怵惕之心,如將見之。樂以迎來,哀以送往,故禘有樂而嘗無樂。

新字:祭不欲数,数則煩,煩則不敬;祭不欲疏,疏則怠,怠則忘。是故,君子合諸天道,春禘秋嘗。霜露既降,君子履之,必有淒愴之心,非其寒之謂也。春,雨露既濡,君子履之,必有怵惕之心,如将見之。楽以迎来,哀以送往,故禘有楽而嘗無楽。

書き下し

祭は数(しばしば)せんことを欲せず、数すれば則ち煩(はん)なり、煩なれば則ち敬せず。祭は疏(まれ)ならんことを欲せず、疏なれば則ち怠る、怠れば則ち忘る。是の故に、君子はこれを天道に合わせ、春は禘し秋は嘗す。霜露既に降り、君子これを履めば、必ず悽愴(せいそう)の心有り、その寒きの謂いに非ざるなり。春、雨露既に濡(うるお)い、君子これを履めば、必ず怵惕(じゅってき)の心有り、将にこれを見んとするが如し。楽以て来たるを迎え、哀以て往くを送る。故に禘には楽有りて嘗には楽無し。

現代語訳

祭りはあまり頻繁に行おうとしてはならない。頻繁になればわずらわしくなり、わずらわしくなれば敬う心が失われる。祭りはあまり間遠にしようとしてはならない。間遠になれば怠りが生じ、怠れば祖先を忘れてしまう。それゆえ君子は祭りを天の運行に合わせ、春には禘(春の宗廟の祭り)を、秋には嘗(秋の宗廟の祭り)を行う。秋に霜や露が降りて、君子がそれを踏めば、必ず身にしみる悲しみの心が起こる。それは寒さのことを言っているのではない(亡き親を思うのである)。春に雨や露が地を潤して、君子がそれを踏めば、必ずはっと胸のさわぐ心が起こり、まるで亡き親に今にも会えるかのように感じる。音楽によって来る者(祖先の霊)を迎え、悲しみによって去る者を送る。だから春の禘には音楽があり、秋の嘗には音楽がない。

解説

祭義篇は、祭祀の意味、とりわけ祭る者の心のあり方を説いた篇で、その冒頭の段である。祭りは多すぎれば形だけになり、少なすぎれば忘れてしまう。その間合いを季節の巡りに合わせるのが天道にかなう、という考えがまず示される。続く「霜露既に降り」の一節は、祭義篇の中でもとりわけ美しい箇所として知られる。秋に霜を踏めば悲しみがこみ上げ、春に雨露を踏めば今にも親に会えるような胸騒ぎがする。季節の移ろいが、亡き人への思いを呼び起こすのである。鄭玄は、悽愴も怵惕も時節に感じて親を思う心だと注し、楽で迎えるのは親が来るのを喜ぶから、哀で送るのは祭りを受けてもらえたかどうか分からないのを悲しむからだと説く。春の祭りに楽があり、秋の祭りに楽がないのも、迎える喜びと送る悲しみの違いによる。お盆やお彼岸に墓参りをする日本の習わしにも、季節の節目に故人を思う同じ心の動きがある。忙しさの中で、季節の変わり目に一度立ち止まることが、忘れないための礼なのである。

この章句が説くこと

礼記祭義季節追慕祭祀

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