礼記 / 雑記下
過而舉君之諱,則起。與君之諱同,則稱字。 內亂不與焉,外患弗辟也。 《贊大行》曰:圭。公九寸,侯、伯七寸,子、男五寸。博三寸,厚半寸。剡上,左右各寸半,玉也。藻三采六等。
新字:過而舉君之諱,則起。与君之諱同,則称字。 内乱不与焉,外患弗辟也。 《賛大行》曰:圭。公九寸,侯、伯七寸,子、男五寸。博三寸,厚半寸。剡上,左右各寸半,玉也。藻三采六等。
書き下し
過ちて君の諱を挙ぐれば、則ち起つ。君の諱と同じければ、則ち字を称す。 内乱には与(あずか)らず、外患は辟(さ)けざるなり。 賛大行(さんたいこう)に曰く、圭は、公は九寸、侯・伯は七寸、子・男は五寸。博さ三寸、厚さ半寸。上を剡(けず)ること、左右各々寸半、玉なり。藻は三采六等。
現代語訳
うっかり主君の諱(いみな)を口にしてしまったら、立ち上がって居ずまいを正す。臣下の名が主君の諱と同じであれば、その臣下は字(あざな)で呼ぶ。 国内の同僚が乱を起こしても、それには加わらない。しかし外敵による災いからは、逃げずに身を挺する。 『賛大行』(大行人の職を説いた古い書)にいう。「圭は、公は長さ九寸、侯・伯は七寸、子・男は五寸である。幅は三寸、厚さは半寸。上端を左右それぞれ一寸半ずつ削って尖らせる。材は玉である。圭を敷く藻(そう、敷物)は三色で、六つの段をなす」。
解説
雑記下篇の結びで、三つの定めを並べる。君主の諱を誤って口にしたら立ち上がるのは、鄭玄によれば、失言を改めて自らを新たにする所作である。臣下の名が君主の諱と同じなら字で呼ぶ。「内乱には与らず、外患は辟けず」について、鄭玄はこれを卿大夫のことと注し、同僚が乱を起こしても力が及ばなければ加わらないだけにとどめ、隣国が攻めて来たときは死を賭して当たると説く。『春秋公羊伝』の「君子は内難を辟けて外難を辟けず」を引いている。内輪の争いには距離を置き、外からの脅威には身を挺する。組織の中の派閥争いに巻き込まれず、外からの危機には逃げずに立ち向かうという姿勢は、今の働き手にとっても一つの指針となる。最後の圭の寸法は、孔穎達によれば、『周礼』の大行人の職を明らかにした古い書を記者が引いたものである。
この章句が説くこと
礼記雑記諱忠圭
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