礼記 / 雑記下
孟獻子曰:「正月日至,可以有事於上帝;七月日至,可有事於祖。」七月而禘,獻子為之也。 夫人之不命於天子,自魯昭公始也。 外宗為君夫人,猶內宗也。 廄焚,孔子拜鄉人為火來者。拜之,士壹,大夫再。亦相吊之道也。孔子曰:「管仲遇盜,取二人焉,上以為公臣,曰:『其所與游辟也,可人也!』管仲死,桓公使為之服。宦於大夫者之為之服也,自管仲始也,有君命焉爾也。」
新字:孟献子曰:「正月日至,可以有事於上帝;七月日至,可有事於祖。」七月而禘,献子為之也。 夫人之不命於天子,自魯昭公始也。 外宗為君夫人,猶内宗也。 廄焚,孔子拝郷人為火来者。拝之,士壱,大夫再。亦相吊之道也。孔子曰:「管仲遇盗,取二人焉,上以為公臣,曰:『其所与游辟也,可人也!』管仲死,桓公使為之服。宦於大夫者之為之服也,自管仲始也,有君命焉爾也。」
書き下し
孟献子曰く、「正月日至(にっし)には、以て上帝に事有るべく、七月日至には、以て祖に事有るべし」と。七月にして禘(てい)するは、献子これを為すなり。 夫人の天子に命ぜられざるは、魯の昭公より始まるなり。 外宗の君夫人の為にするは、猶お内宗のごときなり。 廄焚(や)く、孔子、郷人の火の為に来たる者を拝す。これを拝するに、士は壱(いつ)、大夫は再す。亦た相吊するの道なり。孔子曰く、「管仲盗に遇い、二人を取り、上(たてまつ)りて以て公の臣と為して、曰く、『その与に游ぶ所辟(へき)なるも、可なる人なり』と。管仲死して、桓公これが為に服せしむ。大夫に宦(つか)うる者のこれが為に服するは、管仲より始まるなり、君命有ればのみ」と。
現代語訳
孟献子(魯の大夫、仲孫蔑)はいった。「正月の冬至には上帝を祀ってよく、七月の夏至には始祖を祀ってよい」。七月に禘祭(ていさい、始祖を祀る大祭)を行うのは、献子が始めたことである。 諸侯の夫人が天子から正式な任命を受けなくなったのは、魯の昭公から始まった。 外宗(君主の姑や姉妹の娘などで国内に嫁いだ者)が君主の夫人の喪に服するのは、内宗(君主と同姓の一族の婦人)と同じである。 孔子の家の馬小屋が焼けたとき、孔子は火事を見舞いに来た郷里の人々に拝礼した。拝礼は、相手が士なら一度、大夫なら二度であった。これもまた互いに災いを弔い合う道である。孔子はいった。「管仲は盗賊の一団に出会ったとき、その中から二人を選び出し、主君に推薦して公の臣とし、『この者たちは交わる仲間が邪であったために罪を犯しましたが、人としては用いるに足る者です』といった。管仲が死ぬと、桓公はこの二人に管仲のために喪服を着させた。大夫に仕えた者がその大夫のために喪服を着るのは、管仲のときから始まった。君命があったからにすぎない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
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説苑・指武齊の桓公の時、霖雨十旬。桓公漅陵を伐たんと欲するも、其の城の雨に值うや、未だ合わず。管仲・隰朋卒徒を以て門に造る、桓公曰く、「徒眾何を以て為すか」と。管仲對えて曰く、「臣之を聞く、雨あれば則ち事有りと。夫れ漅陵雨に能わず、臣請う之を攻めん」と。公曰く、「善し」と。遂に師を興して之を伐つ。既に至れば、大卒外に間して士內に在り、桓公曰く、「其れ聖人有るか」と。乃ち旗を還して之を去る。
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・贊能②管子は束縛せられて魯に在り。桓公、鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔曰く、「吾が君、霸王たらんと欲すれば、則ち管夷吾、彼に在り。臣は若かざるなり。」桓公曰く、「夷吾は寡人の賊なり。我を射し者なり。不可なり。」鮑叔曰く、「夷吾は其の君の為に人を射し者なり。君若し得て之を臣とせば、則ち彼も亦た將に君の為に人を射んとせん。」桓公聽かず、強いて鮑叔を相とせんとす。固く辭して相を讓る,桓公果して之を聽く。是に於てか人をして魯に告げしめて曰く、「管夷吾は寡人の讎なり。願わくば之を得て親ら手を加えん。」魯君許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹し、其の目を膠し、之を盛るに鴟夷を以てし、之を車中に置かしむ。齊の境に至るや、桓公、人をして朝車を以て之を迎え、祓うに爟火を以てし、釁するに犧猳を以てし、生かして之と國に如かしむ。有司に命じて廟を除わしめ、筵几して之に薦めて曰く、「孤の夷吾の言を聞きし自り、目は益々明らかに、耳は益々聰なり。孤敢て專らにせず。敢て以て先君に告ぐ。」因りて顧みて管子に命じて曰く、「夷吾、予を佐けよ。」管仲還り走り、再拜稽首して、令を受けて出づ。管子、齊國を治め、事を舉げて功有れば、桓公必ず先づ鮑叔を賞して曰く、「齊國をして管子を得しめし者は、鮑叔なり。」桓公は賞を行うことを知れりと謂う可し。凡そ賞を行うには其の本を欲す。本なれば則ち過ち由りて生ずること無ければなり。
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説苑・辨物斉の桓公北のかた孤竹を征す。未だ卑耳谿中に至らざること十里、闟然(こうぜん)として止まり、瞠然(どうぜん)として視ること頃(しばら)く有り、矢を奉じて未だ敢えて発せず。喟然として歎じて曰わく、「事其れ済(な)らざるか。人の長さ尺なる有り、冠冕大人の物具わる。左袪(きょ)して衣し馬前を走る者あり。」管仲曰わく、「事必ず済らん。此の人は道を知るの神なり。馬前を走る者は導くなり。左に衣を袪する者は、前に水有るなり。」左方より渡り、行くこと十里にして果たして水有り、遼水と曰う。之を表し、左方より渡れば踝(くるぶし)に至り、右方より渡れば膝に至る。已に渡りて、事果たして済る。桓公馬前に管仲を拝して曰わく、「仲父の聖此くの如きに至る、寡人罪を得ること久し。」管仲曰わく、「夷吾之を聞く、聖人は先に無形を知る、今已に形有りて乃ち之を知る、是れ夷吾教えを承くるに善きなり、聖に非ざるなり。」
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