礼記 / 雑記下
哀公問子羔曰:「子之食奚當?」對曰:「文公之下執事也。」 成廟則釁之。其禮:祝、宗人、宰夫、雍人,皆爵弁純衣。雍人拭羊,宗人視之,宰夫北面於碑南,東上。雍人舉羊,升屋自中,中屋南面,刲羊,血流於前,乃降。門、夾室皆用雞。先門而後夾室。其衈皆於屋下。割雞,門當門,夾室中室。有司皆鄉室而立,門則有司當門北面。既事,宗人告事畢,乃皆退。反命於君曰:「釁某廟事畢。」反命於寢,君南鄉于門內朝服。既反命,乃退。
新字:哀公問子羔曰:「子之食奚当?」対曰:「文公之下執事也。」 成廟則釁之。其礼:祝、宗人、宰夫、雍人,皆爵弁純衣。雍人拭羊,宗人視之,宰夫北面於碑南,東上。雍人舉羊,升屋自中,中屋南面,刲羊,血流於前,乃降。門、夾室皆用鶏。先門而後夾室。其衈皆於屋下。割鶏,門当門,夾室中室。有司皆郷室而立,門則有司当門北面。既事,宗人告事畢,乃皆退。反命於君曰:「釁某廟事畢。」反命於寝,君南郷于門内朝服。既反命,乃退。
書き下し
哀公、子羔(しこう)に問いて曰く、「子の食(し)は奚(なに)に当たる」と。対えて曰く、「文公の下執事なり」と。 廟成れば則ちこれに釁(ちぬ)る。その礼は、祝・宗人・宰夫・雍人、皆爵弁純衣す。雍人羊を拭い、宗人これを視、宰夫は碑の南に北面し、東を上とす。雍人羊を挙げ、屋に升(のぼ)るに中よりし、屋に中して南面し、羊を刲(さ)き、血前に流れて、乃ち降る。門・夾室は皆鶏を用う。門を先にして夾室を後にす。その衈(じ)は皆屋下に於いてす。鶏を割くに、門は門に当たり、夾室は室に中す。有司は皆室に郷(む)かいて立ち、門には則ち有司門に当たりて北面す。事既(お)われば、宗人事の畢(お)わるを告げ、乃ち皆退く。命を君に反(かえ)して曰く、「某廟に釁る事畢わる」と。命を寝に反すに、君は門内に南郷して朝服す。既に命を反せば、乃ち退く。
現代語訳
魯の哀公が子羔(孔子の弟子、高柴)に尋ねた。「あなたの家が禄を受けるようになったのは、どの君の時からか」。子羔は答えた。「文公の時に、下級の役人としてお仕えしたのが始まりです」。 宗廟が完成すると、犠牲の血を塗って清める(釁)。その礼では、祝(神に告げる役)・宗人(祭礼をつかさどる官)・宰夫(膳部の長)・雍人(料理人)がみな爵弁(赤黒い礼冠)に純衣(黒い絹の礼服)を着ける。雍人が羊を拭い清め、宗人がそれを検分し、宰夫は庭の碑(犠牲をつなぐ石柱)の南に北向きに立ち、東を上座とする。雍人は羊をかかえ、屋根の中央から登り、棟の真ん中で南を向いて羊を割き、血が前に流れ落ちると、そこで降りる。門と夾室(正室の両脇の部屋)には、いずれも鶏を用いる。先に門を清め、後に夾室を清める。耳のあたりから血を取る衈は、いずれも屋根の下で行う。鶏を割くときは、門の場合は門の正面で、夾室の場合は室の中央で行う。係の役人はみな室に向かって立ち、門の場合は門の正面に北向きに立つ。事が終わると、宗人が終了を告げ、一同退く。そして君に復命して「某廟の釁の事が終わりました」と言う。復命は路寝(君の正殿)で行い、君は門の内側で南を向き、朝服を着てこれを受ける。復命が済めば退出する。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・雑記下路寝成れば則ちこれを考(な)して釁らず。屋に釁る者は、神明に交わるの道なり。凡そ宗廟の器、その名ある者は、成れば則ちこれに釁るに豭豚(かとん)を以てす。 諸侯、夫人を出だすに、夫人比(およ)びその国に至るまで、夫人の礼を以て行き、至れば、夫人を以て入る。使者命を将(おこな)いて曰く、「寡君不敏にして、従いて社稷宗廟に事うること能わず、使臣某をして、敢えて執事に告げしむ」と。主人対えて曰く、「寡君固より前に教えざるを辞せり。寡君敢えて敬須して以て命を俟(ま)たざらんや」と。有司、官ごとに器皿を陳(つら)ね、主人の有司も亦官ごとにこれを受く。
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礼記・雑記下巾を鑿(うが)ちて以て飯(はん)するは、公羊賈(こうようか)これを為すなり。 冒(ぼう)なる者は何ぞや。形を掩う所以なり。襲より以て小斂に至るまで、冒を設けざれば則ち形(あらわ)る、是を以て襲して後に冒を設くるなり。 或るひと曾子に問いて曰く、「夫れ既に遣して其の余を包むは、猶お既に食して其の余を裹(つつ)むがごときか。君子既に食すれば、則ちその余を裹まんや」と。曾子曰く、「吾子大饗を見ずや。夫れ大饗は、既に饗すれば、三牲の俎を巻きて賓館に帰(おく)る。父母にしてこれを賓客にす、哀しみを為す所以なり。子、大饗を見ずや」と。人の喪の為に非ずして、問うか、賜うか。
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孔子家語・廟制子羔曰く、「敢えて問う、尊卑上下廟を立つるの制、聞くを得べきか。」孔子曰く、「天下に王有り、地を分ちて國を建て祖宗を設くるは、乃ち親疏貴賤多少の數を為す。是の故に天子は七廟を立つ。三昭・三穆と、太祖の廟と七つなり。太祖の近廟は、皆月ごとに之を祭る。遠廟は祧と為し、二祧有り、享嘗にして乃ち止む。諸侯は五廟を立つ。二昭・二穆と、太祖の廟とにして五つ。祖考廟と曰い、享嘗にして乃ち止む。大夫は三廟を立つ。一昭・一穆と、太廟とにして三つ。皇考廟と曰う。享嘗にして乃ち止む。士は一廟を立つ。考廟と曰う。王考は廟無く、合わせて享嘗にして乃ち止む。庶人は廟無く、四時寢に祭る。此れ有虞より以て周に至るまでの變ぜざる所なり。凡そ四代帝王の謂う所の郊は、皆天に配するを以てす。其の謂う所の禘は、皆五年の大祭の及ぶ所なり。應に太祖と為すべき者は、則ち其の廟毀たれず。太祖に及ばざれば、禘郊に在りと雖も、其の廟は則ち毀たる。古は祖に功有りて宗に德有り、之を祖宗と謂う者は、其の廟皆毀たれず。」
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礼記・雑記上相する者入りて告げ、反りて命じて曰く、「孤某須てり」と。乗黄(じょうこう)・大路を中庭に陳ね、輈(ちゅう)を北にす。圭を執りて命を将う。客使、下を自(ひき)いて、路の西に由る。子拝して稽顙す。坐して殯の東南の隅に委く。宰挙げて以て東す。凡そ命を将うには、殯に郷(む)かいて命を将い、子拝して稽顙す。西面して坐し、これを委く。宰は璧と圭とを挙げ、宰夫は襚を挙げ、西階より升り、西面して、坐してこれを取り、西階より降る。賵する者出でて、門外の位に反る。上客臨みて曰く、「寡君宗廟の事有りて、事を承くるを得ず、一介の老某をして綍(ふつ)を執るを相(たす)けしむ」と。相する者反りて命じて曰く、「孤某須てり」と。臨む者門の右に入り、介者皆これに従い、その左に立ちて東を上とす。宗人賓を納れんとし、升りて、命を君に受く。降りて曰く、「孤敢えて吾子の辱きを辞す、請う吾子の位に復せんことを」と。客対えて曰く、「寡君某に命じて、敢えて賓客に視(なぞら)うること毋からしむ、敢えて辞す」と。宗人反りて命じて曰く、「孤敢えて固く吾子の辱きを辞す、請う吾子の位に復せんことを」と。客対えて曰く、「寡君某に命じて、敢えて賓客に視うること毋からしむ、敢えて固く辞す」と。宗人反りて命じて曰く、「孤敢えて固く吾子の辱きを辞す、請う吾子の位に復せんことを」と。客対えて曰く、「寡君、使臣某に命じて、敢えて賓客に視うること毋からしむ、是を以て敢えて固く辞す。固く辞して命を獲ずんば、敢えて敬みて従わざらんや」と。客は門の西に立ち、介はその左に立ちて、東を上とす。孤は阼階より降り、これを拝し、升りて哭し、客と拾(こもごも)踊すること三たび。客出づれば、門外に送り、拝して稽顙す。
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礼記・雑記下如し三年の喪ならば、則ち既に顈(けい)して、その練・祥皆同じくす。 王父死して、未だ練・祥せずして孫又死すれば、猶お是れ王父に附するなり。 殯有りて、外喪を聞けば、これを他室に哭す。入りて奠し、奠を卒えて、出でて、服を改めて位に即くこと、始めて位に即くの礼の如くす。 大夫・士、将に公に祭に与(あずか)らんとして、既に濯(たく)を視て、父母死すれば、則ち猶お是れ祭に与るなり、異宮に次る。既に祭れば、服を釈(と)きて公門の外に出で、哭して帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し未だ濯を視ざれば、則ち人をして告げしむ。告ぐる者反りて、而る後に哭す。如し諸父・昆弟・姑・姉妹の喪ならば、則ち既に宿すれば、則ち祭に与る。事を卒えて、公門を出で、服を釈きて後に帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し同宮ならば、則ち異宮に次る。
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礼記・雑記下曾子問いて曰く、「卿大夫将に公に尸(し)と為らんとして、宿を受けたるに、斉衰(しさい)の内喪有らば、則ちこれを如何せん」と。孔子曰く、「出でて公宮に舎(やど)りて以て事を待つは、礼なり」と。 孔子曰く、「尸、弁冕して出づれば、卿・大夫・士皆これに下る。尸は必ず式(しょく)し、必ず前駆有り」と。
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