礼記 / 雑記下
喪食雖惡必充饑,饑而廢事,非禮也;飽而忘哀,亦非禮也。視不明,聽不聰,行不正,不知哀,君子病之。故有疾飲酒食肉,五十不致毀,六十不毀,七十飲酒食肉,皆為疑死。
新字:喪食雖悪必充饑,饑而廃事,非礼也;飽而忘哀,亦非礼也。視不明,聴不聰,行不正,不知哀,君子病之。故有疾飲酒食肉,五十不致毀,六十不毀,七十飲酒食肉,皆為疑死。
書き下し
喪の食は悪しと雖も必ず饑を充たす。饑えて事を廃するは、礼に非ざるなり。飽きて哀しみを忘るるも、亦た礼に非ざるなり。視ること明らかならず、聴くこと聡ならず、行くこと正しからず、哀しみを知らざるは、君子これを病(うれ)う。故に疾有れば酒を飲み肉を食い、五十は毀(き)を致さず、六十は毀せず、七十は酒を飲み肉を食う、皆死を疑(おそ)るるが為なり。
現代語訳
喪中の食事は粗末であっても、必ず空腹を満たすだけは食べる。飢えて務めを果たせなくなるのは礼にかなわない。かといって満腹して悲しみを忘れるのも、やはり礼にかなわない。目がかすみ、耳が遠くなり、足取りが定まらず、悲しむこともできなくなるほど身を損なうことを、君子は憂える。だから病気があれば酒を飲み肉を食べてよく、五十歳の者は身をやつれさせるほどには喪に服さず、六十歳の者は身をやつれさせず、七十歳の者は酒を飲み肉を食べてよい。いずれも喪のために命を落とすことを恐れるからである。
解説
喪中の食事について、行き過ぎと不足の両方を戒める段である。粗末な食事でも空腹だけは満たせ、飢えて務めを果たせないのは礼に非ず、満腹して悲しみを忘れるのも礼に非ず、という。喪は悲しみを形にするものだが、悲しみのあまり身を損なっては、喪の務めそのものが果たせなくなる。とりわけ高齢者や病人には、酒や肉を口にすることを認める。鄭玄は「病」を憂う、「疑」を恐れると注し、喪によって死ぬことを恐れるのだと読む。『論語』に孔子が喪にある者のそばで食べるときは満腹しなかったとあるように、儒家は喪の食を重んじたが、それは命を削ることを求めるものではなかった。悲しみに沈んで食事がのどを通らなくなった人に、まず食べることを勧めるのは、今も変わらない思いやりである。悲しむためにこそ、生きる力を保たなければならない。
この章句が説くこと
礼記雑記喪食節度養生
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