礼記 / 雑記下
曾子問曰:「卿大夫將為尸於公,受宿矣,而有齊衰內喪,則如之何?」孔子曰:「出舍乎公宮以待事,禮也。」 孔子曰:「尸弁冕而出,卿、大夫、士皆下之。尸必式,必有前驅。」
新字:曽子問曰:「卿大夫将為尸於公,受宿矣,而有斉衰内喪,則如之何?」孔子曰:「出舎乎公宮以待事,礼也。」 孔子曰:「尸弁冕而出,卿、大夫、士皆下之。尸必式,必有前駆。」
書き下し
曾子問いて曰く、「卿大夫将に公に尸(し)と為らんとして、宿を受けたるに、斉衰(しさい)の内喪有らば、則ちこれを如何せん」と。孔子曰く、「出でて公宮に舎(やど)りて以て事を待つは、礼なり」と。 孔子曰く、「尸、弁冕して出づれば、卿・大夫・士皆これに下る。尸は必ず式(しょく)し、必ず前駆有り」と。
現代語訳
曾子が尋ねた。「卿や大夫が、君主の祭で尸(し、祭祀で祖先の霊の代わりとして座る者)を務めることになり、すでに前夜の斎戒の命を受けている。そこに家の中で斉衰(しさい、一年の喪など二番目に重い喪)の喪があったら、どうすればよいでしょうか」。孔子はいった。「家を出て君主の宮殿に宿り、祭の務めを待つのが礼である」。 孔子はいった。「尸が弁や冕の冠を着けて出かけるときは、卿・大夫・士はみな車から降りて敬意を表す。尸は必ず車の前の横木に手をかけて礼を返し、必ず先払いを立てる」。
解説
孔子と曾子の問答の形で、祭の尸を務める者の心得を記した段である。尸とは祭祀のとき祖先の霊の代わりに座る者で、その間は祖先そのものとして敬われた。君主の祭で尸を務めると決まって斎戒に入った卿大夫に、家の中の斉衰の喪が起きたときは、家を出て宮殿に宿り、務めを果たすのが礼だと孔子は答える。尸は祭の中心にいる者であり、その身に喪の穢れを帯びさせないことが祭の成否に関わると考えられていた。後半は尸が冠を着けて出かけるときの礼で、卿や大夫でさえ車を降りて敬意を表し、尸は車上で身をかがめて応える。役割を引き受けた以上、その間は私事を一時脇に置いてでもそれを全うする。今の社会でも、式典の司会や代表の挨拶を任された人が抱える責任と、周囲がその役に払う敬意に通じるものがある。
この章句が説くこと
礼記雑記曽子尸祭祀
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