礼記 / 雑記下
如三年之喪,則既顈,其練祥皆同。 王父死,未練祥而孫又死,猶是附於王父也。 有殯,聞外喪,哭之他室。入奠,卒奠,出,改服即位,如始即位之禮。 大夫、士將與祭於公,既視濯,而父母死,則猶是與祭也,次於異宮。既祭,釋服出公門外,哭而歸。其它如奔喪之禮。如未視濯,則使人告。告者反,而後哭。如諸父昆弟姑姊妹之喪,則既宿,則與祭。卒事,出公門,釋服而後歸。其它如奔喪之禮。如同宮,則次於異宮。
新字:如三年之喪,則既顈,其練祥皆同。 王父死,未練祥而孫又死,猶是附於王父也。 有殯,聞外喪,哭之他室。入奠,卒奠,出,改服即位,如始即位之礼。 大夫、士将与祭於公,既視濯,而父母死,則猶是与祭也,次於異宮。既祭,釈服出公門外,哭而帰。其它如奔喪之礼。如未視濯,則使人告。告者反,而後哭。如諸父昆弟姑姊妹之喪,則既宿,則与祭。卒事,出公門,釈服而後帰。其它如奔喪之礼。如同宮,則次於異宮。
書き下し
如し三年の喪ならば、則ち既に顈(けい)して、その練・祥皆同じくす。 王父死して、未だ練・祥せずして孫又死すれば、猶お是れ王父に附するなり。 殯有りて、外喪を聞けば、これを他室に哭す。入りて奠し、奠を卒えて、出でて、服を改めて位に即くこと、始めて位に即くの礼の如くす。 大夫・士、将に公に祭に与(あずか)らんとして、既に濯(たく)を視て、父母死すれば、則ち猶お是れ祭に与るなり、異宮に次る。既に祭れば、服を釈(と)きて公門の外に出で、哭して帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し未だ濯を視ざれば、則ち人をして告げしむ。告ぐる者反りて、而る後に哭す。如し諸父・昆弟・姑・姉妹の喪ならば、則ち既に宿すれば、則ち祭に与る。事を卒えて、公門を出で、服を釈きて後に帰る。その他は奔喪の礼の如くす。如し同宮ならば、則ち異宮に次る。
現代語訳
もし前後ともに三年の喪であれば、後の喪の卒哭が済んで麻を顈(けい、葛の代わりの草の繊維)に替えたのちに、前の喪の練祭・祥祭をどちらも同じように行う。 祖父が亡くなり、まだ練祭・祥祭を済ませないうちに孫もまた亡くなった場合でも、孫はやはり祖父に祔する。 殯がある家で、別の所の親族の死を聞いたときは、別の部屋で哭する。翌朝、殯に入って供え物をし、供え終えて出てから、服を改めて哭の位置に着くのは、初めて位置に着いたときの礼と同じにする。 大夫や士が、君主の祭に加わろうとして、祭器の洗浄を見届けた後に父母が亡くなった場合は、そのまま祭に加わり、別の建物に宿る。祭が終われば、祭服を脱いで公の門の外に出て、哭して家に帰る。その他は奔喪(遠くから喪に駆けつけること)の礼と同じにする。まだ祭器の洗浄を見届ける前であれば、人を遣わして君主に告げる。告げた者が戻ってきてから哭する。伯父・叔父・兄弟・姑(おば)・姉妹の喪の場合は、祭の前夜の斎戒に入っていれば祭に加わる。祭が終われば公の門を出て、服を脱いでから帰る。その他は奔喪の礼と同じにする。同じ家に住む者の喪であれば、別の建物に宿る。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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