礼記 / 雑記上
吊者即位於門西,東面;其介在其東南,北面西上,西於門。主孤西面。相者受命曰:「孤某使某請事。」客曰:「寡君使某,如何不淑!」相者入告,出曰:「孤某須矣。」吊者入,主人升堂,西面。吊者升自西階,東面,致命曰:「寡君聞君之喪,寡君使某,如何不淑!」子拜稽顙,吊者降,反位。含者執璧將命曰:「寡君使某含。」相者入告,出曰:「孤某須矣。」含者入,升堂,致命。再拜稽顙。含者坐委于殯東南,有葦席;既葬,蒲席。降,出,反位。宰朝服,即喪屨升自西階,西面,坐取璧,降自西階以東。襚者曰:「寡君使某襚。」相者入告,出曰:「孤某須矣。」襚者執冕服;左執領,右執要,入,升堂致命曰:「寡君使某襚。」子拜稽顙。委衣於殯東。襚者降,受爵弁服於門內溜,將命,子拜稽顙,如初。受皮弁服於中庭。自西階受朝服,自堂受玄端,將命,子拜稽顙,皆如初。襚者降,出,反位。宰夫五人,舉以東。降自西階。其舉亦西面。上介賵:執圭將命,曰:「寡君使某賵。」
新字:吊者即位於門西,東面;其介在其東南,北面西上,西於門。主孤西面。相者受命曰:「孤某使某請事。」客曰:「寡君使某,如何不淑!」相者入告,出曰:「孤某須矣。」吊者入,主人升堂,西面。吊者升自西階,東面,致命曰:「寡君聞君之喪,寡君使某,如何不淑!」子拝稽顙,吊者降,反位。含者執璧将命曰:「寡君使某含。」相者入告,出曰:「孤某須矣。」含者入,升堂,致命。再拝稽顙。含者坐委于殯東南,有葦席;既葬,蒲席。降,出,反位。宰朝服,即喪屨升自西階,西面,坐取璧,降自西階以東。襚者曰:「寡君使某襚。」相者入告,出曰:「孤某須矣。」襚者執冕服;左執領,右執要,入,升堂致命曰:「寡君使某襚。」子拝稽顙。委衣於殯東。襚者降,受爵弁服於門内溜,将命,子拝稽顙,如初。受皮弁服於中庭。自西階受朝服,自堂受玄端,将命,子拝稽顙,皆如初。襚者降,出,反位。宰夫五人,舉以東。降自西階。其舉亦西面。上介賵:執圭将命,曰:「寡君使某賵。」
書き下し
吊する者は門の西に位に即き、東面す。その介はその東南に在り、北面して西を上とし、門より西す。主孤は西面す。相(しょう)する者命を受けて曰く、「孤某、某をして事を請わしむ」と。客曰く、「寡君、某をして、如何ぞ不淑(ふしゅく)なる、と使(せし)む」と。相する者入りて告げ、出でて曰く、「孤某須(ま)てり」と。吊する者入り、主人堂に升り、西面す。吊する者西階より升り、東面し、命を致して曰く、「寡君、君の喪を聞き、寡君、某をして、如何ぞ不淑なる、と使む」と。子拝して稽顙し、吊する者降りて、位に反る。含(がん)する者璧を執りて命を将(おこな)いて曰く、「寡君、某をして含せしむ」と。相する者入りて告げ、出でて曰く、「孤某須てり」と。含する者入りて、堂に升り、命を致す。再拝して稽顙す。含する者坐して殯の東南に委(お)く、葦席有り。既に葬れば、蒲席。降り、出でて、位に反る。宰朝服し、即ち喪屨にて西階より升り、西面し、坐して璧を取り、西階より降りて以て東す。襚(すい)する者曰く、「寡君、某をして襚せしむ」と。相する者入りて告げ、出でて曰く、「孤某須てり」と。襚する者冕服を執る。左に領を執り、右に要を執り、入りて、堂に升り命を致して曰く、「寡君、某をして襚せしむ」と。子拝して稽顙す。衣を殯の東に委く。襚する者降りて、爵弁服を門内の霤(りゅう)に受け、命を将い、子拝して稽顙すること、初めの如し。皮弁服を中庭に受く。西階より朝服を受け、堂より玄端を受け、命を将い、子拝して稽顙すること、皆初めの如し。襚する者降り、出でて、位に反る。宰夫五人、挙げて以て東す。西階より降る。その挙ぐるも亦た西面す。上介賵(ほう)す。圭を執りて命を将いて曰く、「寡君、某をして賵せしむ」と。
現代語訳
他国の君主の使者として弔問に来た者は、門の西に位置を取って東を向く。随員(介)はその東南に、北向きで西を上位として並び、門より西に立つ。喪主である新君(孤)は西を向く。取り次ぎ役(相者)が喪主の命を受けて出て、「孤である某が、某を遣わしてご用向きを伺わせます」という。客は「わが君は某を遣わし、なんとお気の毒なことかとお伝えせよと申しつけました」と答える。取り次ぎ役が入って告げ、出てきて「孤である某がお待ちしております」という。弔問の使者が入ると、喪主は堂に上がって西を向く。使者は西の階段から上がって東を向き、君命を伝えて「わが君はあなたの君の喪を聞き、わが君は某を遣わし、なんとお気の毒なことかとお伝えせよと申しつけました」という。嗣子は拝して稽顙し、使者は階段を降りてもとの位置に戻る。含(がん、死者の口に含ませる玉)を贈る使者が璧を持って口上を述べ、「わが君は某を遣わし、含を贈らせます」という。取り次ぎ役が入って告げ、出てきて「孤である某がお待ちしております」という。含の使者は入って堂に上がり、君命を伝える。嗣子は再拝して稽顙する。含の使者はひざまずいて璧を殯の東南に置く。そこには葦のむしろが敷いてあり、埋葬後であれば蒲のむしろである。使者は降りて門を出、もとの位置に戻る。宰(家宰)は朝服に喪の履物のままで西の階段から上がり、西を向いてひざまずいて璧を取り、西の階段から降りて東へ運ぶ。襚(衣を贈ること)の使者が「わが君は某を遣わし、襚をさせます」という。取り次ぎ役が入って告げ、出てきて「孤である某がお待ちしております」という。襚の使者は冕服を持つ。左手で襟を持ち、右手で腰の部分を持って入り、堂に上がって君命を伝え、「わが君は某を遣わし、襚をさせます」という。嗣子は拝して稽顙する。使者は衣を殯の東に置く。使者は降りて、門の内の軒下で爵弁服を受け取って君命を伝え、嗣子は初めと同じように拝して稽顙する。次に中庭で皮弁服を受け取り、西の階段のところで朝服を受け取り、堂の上で玄端を受け取って、そのつど君命を伝え、嗣子は皆初めと同じように拝して稽顙する。襚の使者は降りて門を出、もとの位置に戻る。宰夫(さいふ、宰の属官)五人がこれらの衣を持ち上げて東へ運ぶ。西の階段から降り、持ち上げるときもまた西を向く。上位の随員(上介)が賵(ほう、葬儀を助けるための車馬の贈り物)を贈る。圭を持って口上を述べ、「わが君は某を遣わし、賵を贈らせます」という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
-
史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
-
史記 春申君列伝春申君は楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学して博聞、楚の頃襄王に事ふ。頃襄王、歇を以て弁と為し、秦に使ひせしむ。秦の昭王、白起をして韓・魏を攻めしめ、これを華陽に敗り、魏将芒卯を禽にす。韓・魏服して秦に事ふ。秦の昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとし、未だ行かず、而して楚の使ひ黄歇適々秦に至り、秦の計を聞く。是の時に当たり、秦已に前に白起をして楚を攻めしめ、巫・黔中の郡を取り、鄢郢を抜き、東して竟陵に至る。楚の頃襄王、東に徙りて陳県に治す。黄歇は楚の懐王の秦に誘はれて入朝し、遂に欺かれて留められ秦に死するを見る。頃襄王はその子なり、秦これを軽んず、恐らくは壹たび兵を挙げて楚を滅ぼさん。歇乃ち上書して秦の昭王に説きて曰く、天下に秦・楚より彊きは莫し。今聞く、大王楚を伐たんと欲すと。此れ猶ほ両虎の相与に闘ふがごとし。両虎相与に闘へば駑犬その獘を受く、楚を善くするに如かず。臣請ふその説を言はん。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。致至れば則ち危ふし、累棋是れなり。今、大国の地は、遍く天下にその二垂を有す、此れ生民より已来、万乗の地の未だ嘗て有らざる所なり。
-
説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
-
『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
-
史記 楚世家秦韓の宜陽を破る。而して韓猶ほ復た秦に事ふる者は、先王の墓平陽に在りて、而して秦の武遂之を去ること七十里なるを以てなり。故を以て尤も秦を畏る。然らずんば、秦三川を攻め、趙上党を攻め、楚河外を攻めば、韓必ず亡びん。楚の韓を救ふは、韓をして亡びざらしむること能はず。然れども韓を存する者は楚なり。韓已に武遂を秦より得て、河山を以て塞と為す。徳に報ゆる所は楚の厚きに如くは莫し。臣以為へらく、其の王に事ふること必ず疾からんと。斉の韓に信ぜらるる所以の者は、韓の公子眛を以て斉の相と為すなり。韓已に武遂を秦より得たり。王甚だ之に善くし、之をして斉・韓を以て樗里疾を重んぜしめよ。疾斉・韓の重きを得ば、其の主敢て疾を棄てざるなり。今又之に益すに楚の重きを以てせば、樗里子必ず秦に言ひ、復た楚の侵地を与へん」と。是に於て懐王之を許し、竟に秦に合せずして、斉に合して以て韓に善くす。二十四年、斉に倍きて秦に合す。秦の昭王初めて立ち、乃ち厚く楚に賂ふ。楚往きて婦を迎ふ。二十五年、懐王入りて秦の昭王と盟ひ、黄棘に約す。秦復た楚に上庸を与ふ。二十六年、斉・韓・魏、楚の其の従親に負きて秦に合するが為に、三国共に楚を伐つ。楚太子をして入りて秦に質たらしめて救ひを請ふ。秦乃ち客卿通をして兵を将ゐて楚を救はしむ。三国兵を引きて去る。二十七年、秦の大夫に私かに楚の太子と闘ふ者有り。楚の太子之を殺して亡げ帰る。二十八年、秦乃ち斉・韓・魏と共に楚を攻め、楚の将唐眛を殺し、我が重丘を取りて去る。二十九年、秦復た楚を攻め、大いに楚を破る。楚の軍死する者二万、我が将軍景缺を殺す。懐王恐れ、乃ち太子をして斉に質たらしめて以て平らがんことを求む。三十年、秦復た楚を伐ち、八城を取る。秦の昭王楚王に書を遺りて曰く、「始め寡人王と約して弟兄と為り、黄棘に盟ひ、太子質と為り、至って驩しかりき。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る