礼記 / 楽記
賓牟賈侍坐於孔子,孔子與之言及樂。 曰:「夫《武》之備戒之已久,何也?」對曰:「病不得其眾也。」 「詠嘆之,淫液之,何也?」對曰:「恐不逮事也。」 「發揚蹈厲之已蚤,何也?」對曰:「及時事也。」
新字:賓牟賈侍坐於孔子,孔子与之言及楽。 曰:「夫《武》之備戒之已久,何也?」対曰:「病不得其衆也。」 「詠嘆之,淫液之,何也?」対曰:「恐不逮事也。」 「発揚蹈厲之已蚤,何也?」対曰:「及時事也。」
書き下し
賓牟賈(ひんぼうか)孔子に侍坐す。孔子之と言いて楽に及ぶ。 曰く、「夫れ武の備戒の已に久しきは、何ぞや」と。対えて曰く、「其の衆を得ざるを病(うれ)うるなり」と。 「之を詠歎し、之を淫液(いんえき)するは、何ぞや」と。対えて曰く、「事に逮(およ)ばざるを恐るるなり」と。 「発揚蹈厲(はつようとうれい)の已に蚤(はや)きは、何ぞや」と。対えて曰く、「時の事に及ぶなり」と。
現代語訳
賓牟賈(ひんぼうか、孔子と同時代の人)が孔子のそばに侍って座っていた。孔子は彼と話をして、楽のことに及んだ。 孔子が言った。「そもそも『武』(周の武王の舞楽)で、始めに太鼓を打って備え戒める時間がずいぶん長いのは、なぜだろうか」。賓牟賈は答えた。「武王が人々の心を得られないことを憂えたからである」。 「長く声を引いて嘆じ、歌を延々と続けるのは、なぜだろうか」。答えた。「戦いの時に間に合わない者が出ることを恐れたからである」。 「手足を振り上げ、地を踏み鳴らす激しい舞が早くから始まるのは、なぜだろうか」。答えた。「戦うべき時が至り、その事に及んだことを表すのである」。
解説
孔子と賓牟賈が、周の『大武』の舞について語り合う問答の始まりである。孔子が問い、賓牟賈が答える形で、『大武』の構成の一つ一つに込められた意味が確かめられていく。鄭玄によれば、「備戒」は太鼓を打って人々を戒めることで、それが長いのは、武王が人々の心を得られないことを憂え、事の難しさを思ったからだという。「詠歎、淫液」は歌を長く引き延ばすことで、戦の時機に間に合わない者が出ることを恐れて待つさまを表す。「発揚蹈厲」の激しい舞が早く出るのは、時が至り武の事を行うべきときになったからである。殷を討つという大事業を、武王は性急に始めず、人心が集まるのを待ち、遅れる者を待ち、時が来れば迷わず動いた。舞はその心の動きを写している。大きな決断を前にして、準備と待機と果断をどう配分するか。孔子がこの舞にこだわったのは、そこに為政者の心構えが刻まれていたからであろう。
この章句が説くこと
礼記楽記大武孔子時機
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