礼記 / 大伝
聖人南面而治天下,必自人道始矣。立權、度量、考文章、改正朔、易服色、殊徽號、異器械、別衣服,此其所得與民變革者也。其不可得變革者則有矣:親親也、尊尊也、長長也、男女有別,此其不可得與民變革者也。
新字:聖人南面而治天下,必自人道始矣。立権、度量、考文章、改正朔、易服色、殊徽号、異器械、別衣服,此其所得与民変革者也。其不可得変革者則有矣:親親也、尊尊也、長長也、男女有別,此其不可得与民変革者也。
書き下し
聖人南面して天下を治むるには、必ず人道より始む。権・度量を立て、文章を考え、正朔(せいさく)を改め、服色を易え、徽号(きごう)を殊にし、器械を異にし、衣服を別つ。此れ其の民と与(とも)に変革することを得る所の者なり。其の変革することを得べからざる者は則ち有り。親を親しむなり、尊を尊ぶなり、長を長とするなり、男女別有るなり。此れ其の民と与に変革することを得べからざる者なり。
現代語訳
聖人が南を向いて天下を治めるときは、必ず人の道から始める。はかりや物差し・升を定め、礼楽の制度や文物を考え定め、暦の正月と朔日を改め、衣服や祭器の色を替え、旗や標識を新しくし、器物や兵器を改め、衣服の制を分ける。これらは、王朝が替われば民とともに改めてよいものである。しかし、改めることのできないものがある。親しい者を親しむこと、尊い者を尊ぶこと、年長者を年長として敬うこと、男女の区別を立てること。これらは民とともに改めることのできないものである。
解説
王朝が替わるときに改めてよいものと、改めてはならないものを分けた段で、大伝篇の中でも最もよく引かれる一節である。度量衡、暦、服の色、旗印、器物といった制度や形式は、新しい王朝が天命を受けたことを示すために改めてよい。これに対して、親しい者を親しみ、尊い者を尊び、年長者を敬い、男女のけじめを立てるという人倫の大本は、どの王朝のもとでも変えられない。制度は時代に応じて変わってよいが、人と人との関係の根は変わらないという区別は、『論語』為政篇で孔子が殷は夏の礼に、周は殷の礼に因って損益したと語るのと同じ見方である。組織改革や制度変更の際に、何を変え、何を守るのかを見極めるための物差しとして、今も有効な考え方である。
この章句が説くこと
礼記大伝変革人倫親親
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