孫子 / 九地篇
帥與之期,如登高而去其梯;帥與之深入諸侯之地,而發其機,焚舟破釜,若驅群羊。驅而往,驅而來,莫知所之。聚三軍之衆,投之於險,此謂將軍之事也。
新字:帥与之期,如登高而去其梯;帥与之深入諸侯之地,而発其機,焚舟破釜,若駆群羊。駆而往,駆而来,莫知所之。聚三軍之衆,投之於険,此謂将軍之事也。
書き下し
帥いて之と期するや、高きに登りて其の梯を去るが如し。帥いて之と深く諸侯の地に入りて、其の機を発すること、舟を焚き釜を破り、群羊を駆るが若し。駆りて往き、駆りて来たり、之く所を莫知らしむ。三軍の衆を聚めて、之を険に投ず。此を将軍の事と謂う。
現代語訳
兵を率いて事にあたるときは、高い所に登らせて梯子を外すようにする。率いて敵地深くに入り、いざ機を発するときは、舟を焼き釜を壊し、羊の群れを追うように動かす。追い立てて行かせ、追い立てて戻し、どこへ向かうのかを知らせない。全軍を集めて危険な場所に投じる。これが将軍の仕事である。
解説
焚舟破釜、そして梯子を外すという強烈な比喩が並ぶ。孫子は将軍の仕事を、兵に選択肢を与えないことだと定義した。現代の組織運営としてそのまま真似できるものではないが、示唆はある。退路を残したまま大きな転換を図る組織は、たいてい元のやり方に戻る。新しい仕組みを入れながら古い仕組みも残せば、人は慣れたほうを使う。変えると決めたなら、戻れる道を閉じる覚悟が要る。ただしそれは、行き先を将が確信している場合に限られる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
焚舟破釜退路を断つ変革決断将の仕事
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