礼記 / 喪服小記
奔父之喪,括髮於堂上,袒降踴,襲絰於東方。奔母之喪,不括髮,袒於堂上,降踴,襲免于東方。絰即位成踴,出門哭止。三日而五哭三袒。適婦不為舅後者,則姑為之小功。
新字:奔父之喪,括髪於堂上,袒降踴,襲絰於東方。奔母之喪,不括髪,袒於堂上,降踴,襲免于東方。絰即位成踴,出門哭止。三日而五哭三袒。適婦不為舅後者,則姑為之小功。
書き下し
父の喪に奔(はし)るには、括髪(かっぱつ)を堂上にし、袒(たん)して降りて踊(よう)し、襲して東方に絰す。母の喪に奔るには、括髪せず、堂上に袒し、降りて踊し、襲して東方に免す。絰して位に即き踊を成し、門を出でて哭止む。三日にして五たび哭し三たび袒す。適婦の舅の後たらざる者には、則ち姑之が為に小功す。
現代語訳
遠方から父の喪に駆けつけたときは、堂の上で髪を麻でくくり、衣の左肩を脱いで袒(たん)となり、堂を降りて踊(よう、足を踏み鳴らして哀しむ礼)をし、衣を着直して東の方で絰(てつ、麻の帯)を着ける。母の喪に駆けつけたときは、髪をくくらず、堂の上で袒となり、堂を降りて踊をし、衣を着直して東の方で免(べん)をつける。絰を着けて定めの位置に就き、踊の礼を尽くし、門を出たら哭をやめる。三日の間に五回哭し、三回袒となる。嫡子の妻でも、夫が病や死によって舅の跡を継がない場合は、姑はその嫁のために小功の喪に服す。
解説
遠方にいて親の死に目に会えず、殯(ひん、仮埋葬)の後に駆けつけた子の作法を定めた段である。父の喪では堂上で髪をくくり、母の喪では髪をくくらずに免を用いるという差は、鄭玄が母の喪を父の喪より一段下げたものと注するとおり、父を至尊とする喪服の体系に従っている。それでも、絰を着けて位に就いた後の踊や哭の回数は父母とも同じで、三日のうちに五度哭して三度袒となるという定めは、遅れて着いた子にも、最初から看取った者と同じ哀しみの手順を短い期間でたどらせる工夫である。親の死に目に間に合わなかった人が、せめて葬りの手順を一つずつ踏むことで心を整えるという知恵は、今も変わらない。
この章句が説くこと
礼記喪服小記奔喪喪礼孝
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