礼記 / 明堂位
俎,有虞氏以梡,夏后氏以嶡,殷以椇,周以房俎。 夏后氏以楬豆,殷玉豆,周獻豆。 有虞氏服韍,夏后氏山,殷火,周龍章。 有虞氏祭首,夏后氏祭心,殷祭肝,周祭肺。
新字:俎,有虞氏以梡,夏后氏以嶡,殷以椇,周以房俎。 夏后氏以楬豆,殷玉豆,周献豆。 有虞氏服韍,夏后氏山,殷火,周竜章。 有虞氏祭首,夏后氏祭心,殷祭肝,周祭肺。
書き下し
俎は、有虞氏は梡(かん)を以てし、夏后氏は嶡(けつ)を以てし、殷は椇(く)を以てし、周は房俎を以てす。 夏后氏は楬豆(けつとう)を以てし、殷は玉豆、周は献豆。 有虞氏は韍(ふつ)を服し、夏后氏は山、殷は火、周は竜章。 有虞氏は首を祭り、夏后氏は心を祭り、殷は肝を祭り、周は肺を祭る。
現代語訳
俎(肉を載せる台)について、有虞氏は梡(四本脚だけの台)を用い、夏后氏は嶡(脚の間に横木を渡した台)を用い、殷は椇(脚が曲がった台)を用い、周は房俎(脚の下に台座のある台)を用いた。 豆について、夏后氏は楬豆(飾りのない木の豆)を用い、殷は玉で飾った豆を、周は彫刻を施した献豆を用いた。 祭服の膝掛けについて、有虞氏は韍(革の膝掛け)を着け、夏后氏はそれに山の模様を描き、殷は火の模様を、周は竜の模様を描いた。 祭で最初に供える牲の部位について、有虞氏は頭を、夏后氏は心臓を、殷は肝臓を、周は肺を供えた。
解説
四代の俎、豆、祭服の膝掛け、祭で先に供える牲の部位を並べた段である。俎は、脚だけの簡素なものから、横木を渡したもの、脚を曲げたもの、台座を付けたものへと、代が下るにつれて形が整っていく。祭で先に供える部位について、郊特牲篇の鄭玄注は、周は肺を、殷は肝を、夏は心を祭ると述べ、それは気の宿る所だからだとしている。有虞氏が頭を供えたとするのは、郊特牲篇で有虞氏が気を尊んだとされたことと呼応する。どの代も、自分たちが最も大切と考える部位を神に捧げたのである。何を先に差し出すかという選択には、その人々が何を最も重んじたかが表れる。私たちも、限られた時間や力をまず何に向けるかによって、自分の価値観を示しているといえる。
この章句が説くこと
礼記明堂位祭器四代祭祀
関連する章句
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