礼記 / 内則
外內不共井,不共湢浴,不通寢席,不通乞假,男女不通衣裳,內言不出,外言不入。男子入內,不嘯不指,夜行以燭,無燭則止。女子出門,必擁蔽其面,夜行以燭,無燭則止。道路:男子由右,女子由左。子婦孝者、敬者,父母舅姑之命,勿逆勿怠。若飲食之,雖不耆,必嘗而待;加之衣服,雖不欲,必服而待;加之事,人待之,己雖弗欲,姑與之,而姑使之,而後復之。子婦有勤勞之事,雖甚愛之,姑縱之,而寧數休之。子婦未孝未敬,勿庸疾怨,姑教之;若不可教,而後怒之;不可怒,子放婦出,而不表禮焉。父母有過,下氣怡色,柔聲以諫。諫若不入,起敬起孝,說則復諫;不說,與其得罪於鄉黨州閭,寧孰諫。父母怒、不說,而撻之流血,不敢疾怨,起敬起孝。父母有婢子若庶子、庶孫,甚愛之,雖父母沒,沒身敬之不衰。子有二妾,父母愛一人焉,子愛一人焉,由衣服飲食,由執事,毋敢視父母所愛,雖父母沒不衰。子甚宜其妻,父母不說,出;子不宜其妻,父母曰:「是善事我。」子行夫婦之禮焉,沒身不衰。
新字:外内不共井,不共湢浴,不通寝席,不通乞仮,男女不通衣裳,内言不出,外言不入。男子入内,不嘯不指,夜行以燭,無燭則止。女子出門,必擁蔽其面,夜行以燭,無燭則止。道路:男子由右,女子由左。子婦孝者、敬者,父母舅姑之命,勿逆勿怠。若飲食之,雖不耆,必嘗而待;加之衣服,雖不欲,必服而待;加之事,人待之,己雖弗欲,姑与之,而姑使之,而後復之。子婦有勤労之事,雖甚愛之,姑縦之,而寧数休之。子婦未孝未敬,勿庸疾怨,姑教之;若不可教,而後怒之;不可怒,子放婦出,而不表礼焉。父母有過,下気怡色,柔声以諫。諫若不入,起敬起孝,説則復諫;不説,与其得罪於郷党州閭,寧孰諫。父母怒、不説,而撻之流血,不敢疾怨,起敬起孝。父母有婢子若庶子、庶孫,甚愛之,雖父母没,没身敬之不衰。子有二妾,父母愛一人焉,子愛一人焉,由衣服飲食,由執事,毋敢視父母所愛,雖父母没不衰。子甚宜其妻,父母不説,出;子不宜其妻,父母曰:「是善事我。」子行夫婦之礼焉,没身不衰。
書き下し
外内は井を共にせず、湢浴(ひょくよく)を共にせず、寝席を通ぜず、乞仮(きっか)を通ぜず、男女は衣裳を通ぜず、内言は出でず、外言は入らず。男子内に入れば、嘯(うそぶ)かず指ささず、夜行くには燭を以てし、燭無ければ則ち止む。女子門を出づれば、必ず其の面を擁蔽(ようへい)し、夜行くには燭を以てし、燭無ければ則ち止む。道路には、男子は右に由り、女子は左に由る。子婦の孝なる者、敬なる者は、父母舅姑の命に、逆らうこと勿く怠ること勿し。若しこれに飲食せしむれば、耆(この)まずと雖も、必ず嘗めて待つ。これに衣服を加うれば、欲せずと雖も、必ず服して待つ。これに事を加え、人これに待(か)わらんとすれば、己弗欲すと雖も、姑(しばら)くこれに与え、而して姑くこれを使わしめ、而して後にこれを復す。子婦に勤労の事有れば、甚だこれを愛すと雖も、姑くこれを縦(ほしいまま)にし、而して寧(むし)ろ数(しばしば)これを休ましむ。子婦未だ孝ならず未だ敬ならざれば、庸(もち)いて疾怨すること勿く、姑くこれを教えよ。若し教うべからずして、而る後にこれを怒れ。怒るべからざれば、子は放ち婦は出だして、而して礼を表わさず。父母に過ち有れば、気を下し色を怡(やわら)げ、声を柔らげて以て諫む。諫め若し入れられずんば、敬を起こし孝を起こし、説(よろこ)べば則ち復た諫む。説ばざるも、其の罪を郷党州閭(きょうとうしゅうりょ)に得んよりは、寧ろ孰(つまび)らかに諫めよ。父母怒りて説ばず、而してこれを撻(う)ちて血を流すも、敢えて疾怨せず、敬を起こし孝を起こす。父母に婢子若しくは庶子・庶孫有りて、甚だこれを愛すれば、父母没すと雖も、身を没するまでこれを敬して衰えず。子に二妾有り、父母一人を愛し、子一人を愛すれば、衣服飲食由(よ)り、執事由り、敢えて父母の愛する所に視(なら)うこと毋かれ、父母没すと雖も衰えず。子甚だ其の妻を宜しとするも、父母説ばざれば、出だす。子其の妻を宜しとせざるも、父母曰く、「是れ善く我に事う」と、子は夫婦の礼を行い、身を没するまで衰えず。
現代語訳
家の外の者と内の者とは井戸を共にせず、浴室を共にせず、寝床や敷物を共用せず、物の貸し借りをせず、男女は衣服を共用しない。家の内のことばは外に出さず、外のことばは内に入れない。男子が奥の部屋に入るときは、口笛を吹いたり指さしたりせず、夜歩くときは灯りを持ち、灯りがなければ出歩かない。女子が門を出るときは、必ず顔を覆い隠し、夜歩くときは灯りを持ち、灯りがなければ出歩かない。道では、男子は右側を、女子は左側を歩く。孝行で敬いの心のある子や嫁は、父母や舅姑の言いつけに逆らわず、怠らない。もし飲み物や食べ物を与えられたら、好みでなくても必ず口にして、下げてよいと言われるのを待つ。衣服を与えられたら、欲しくなくても必ず身に着けて、脱いでよいと言われるのを待つ。仕事を言いつけられたのに、別の人にそれを代わらせるよう命じられたときは、自分としては気が進まなくても、ひとまずその人に任せ、その人にやらせてみて、そのあとで自分に戻してもらう。子や嫁に骨の折れる仕事があれば、たいそう可愛がっている子や嫁であっても、ひとまず存分にやらせ、そのうえでたびたび休ませるほうがよい。子や嫁がまだ孝でなく敬でないとしても、すぐに憎んだり恨んだりせず、しばらく教えよ。教えても聞かないなら、そのあとで叱れ。叱ってもだめなら、子なら追い出し、嫁なら離縁するが、その理由をことさらに言い立てはしない。父母に過ちがあれば、息をひそめ顔色を和らげ、声を柔らかくして諫める。諫めても聞き入れられなければ、いっそう敬い、いっそう孝を尽くし、父母の機嫌が直ったら、また諫める。父母が喜ばなくても、父母が郷里の人々から非難を受けるよりは、むしろ繰り返し丁寧に諫めよ。父母が怒って喜ばず、鞭で打って血が流れるほどであっても、恨んだりせず、いっそう敬い、いっそう孝を尽くす。父母に婢女や、妾の生んだ子や孫がいて、父母がそれをたいそう可愛がっていたなら、父母が亡くなったあとも、自分が死ぬまでその者たちを敬い続けて衰えさせない。子に二人の妾がいて、父母は一人を可愛がり、子はもう一人を可愛がっているとき、衣服や飲食、仕事の割り当てにおいて、父母の可愛がる者と同じ扱いを自分の好む者にしようとしてはならず、父母が亡くなったあとも、その扱いを変えない。子がその妻をたいそう気に入っていても、父母が喜ばなければ離縁する。子がその妻を気に入っていなくても、父母が「この嫁はよく私に仕えてくれる」というなら、子は夫婦としての礼を行い、生涯それを変えない。
解説
この章句が説くこと
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史記 袁盎鼂錯列伝淮南厲王朝し、辟陽侯を殺し、居処驕ること甚だし。袁盎諫めて曰く、「諸侯大いに驕れば必ず患を生ず、適(まさ)に地を削るべし」と。上用ひず。淮南王益ます横なり。棘蒲侯柴武の太子の謀反の事覚(あらは)れ、治むるに及び、淮南王に連なる。淮南王徴され、上因りて之を蜀に遷し、轞車にて伝送す。袁盎時に中郎将たり、乃ち諫めて曰く、「陛下素より淮南王を驕らせ、稍(や)や禁ぜず、以て此に至る。今又暴かに之を摧折す。淮南王は人と為り剛なり、如し霧露に遇ひて道に行きて死すること有らば、陛下竟に天下の大を以て容るる能はずと為し、弟を殺すの名有らん、奈何」と。上聴かず、遂に之を行ふ。淮南王雍に至り、病みて死す。聞こゆるや、上食を輟め、哭すること甚だ哀し。盎入り、頓首して罪を請ふ。上曰く、「公の言を用ひざるを以て此に至る」と。盎曰く、「上自ら寛うせよ。此れ往事なり、豈に悔ゆべけんや。且つ陛下に高世の行ひなる者三有り、此れ以て名を毀るに足らず」と。上曰く、「吾が高世の行ひ三なる者は何事ぞ」と。盎曰く、「陛下代に居りし時、太后嘗て病むこと三年、陛下睫を交へず、衣を解かず、湯薬は陛下の口の嘗むる所に非ざれば進めず。夫れ曾参は布衣を以て猶ほ之を難しとす。今陛下親ら王者を以て之を修む、曾参の孝に過ぐること遠し。夫れ諸呂事を用ひ、大臣専制す。然れども陛下代より六伝に乗りて不測の淵に馳す、賁育の勇と雖も陛下に及ばず。陛下代邸に至り、西に向かひて天子の位を譲ること再び、南面して天子の位を譲ること三たび。夫れ許由は一たび譲るのみ、而るに陛下は五たび天下を以て譲る、許由に過ぐること四なり。且つ陛下の淮南王を遷すは、以て其の志を苦しめ、過ちを改めしめんと欲するなり。有司の衛ること謹まず、故に病死す」と。是に於て上乃ち解け、曰く、「将に奈何せん」と。盎曰く、「淮南王に三子有り、唯だ陛下に在るのみ」と。是に於て文帝其の三子を立てて皆王と為す。盎此に由りて名朝廷に重し。袁盎常に大体を引きて慨(がい)す。
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礼記・曲礼下天子は出(しゅつ)と言わず、諸侯は生きながら名いわず。君子は悪を親しまず。諸侯地を失えば名いい、同姓を滅ぼせば名いう。 人臣たるの礼は、顕(あら)わには諫めず。三たび諫めて聴かれざれば、則ちこれを逃(さ)る。子の親に事(つか)うるや、三たび諫めて聴かれざれば、則ち号泣してこれに随う。 君疾(やまい)有りて薬を飲むときは、臣先ずこれを嘗(な)む。親疾有りて薬を飲むときは、子先ずこれを嘗む。医三世ならざれば、其の薬を服せず。人に儗(なぞら)うるには必ず其の倫(たぐい)に於いてす。
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『春秋左氏伝』閔公二年 己を修めて人を責めず晉侯大子申生をして東山の皋落氏を伐たしむ。里克諫めて曰く、「大子は冢祀と、社稷の粢盛とを奉じ、以って朝夕君の膳を視る者なり。故に冢子と曰ふ。君行けば則ち守り、守り有れば則ち從ふ。從ふを撫軍と曰ひ、守るを監國と曰ふ、古の制なり。夫れ師を帥ゐるは、謀を專行し、車旅に誓ふ。君と國政との圖る所なり、大子の事に非ざるなり。師は命を制するに在るのみ。命を稟くれば則ち威あらず、命を專らにすれば則ち孝ならず。故に君の嗣適は以って師を帥ゐる可からず。君其の官を失ひ、師を帥ゐて威あらずんば、將た焉んぞ之を用ゐん。且つ臣聞く、皋落氏將に戰はんとすと。君其れ之を舍けよ」と。公曰く、「寡人子有り、未だ其の誰か立てんを知らず」と。對へずして退く。大子に見ゆ。大子曰く、「吾其れ廢せられんか」と。對へて曰く、「之に告ぐるに民に臨むを以ってし、之に教ふるに軍旅を以ってす。共ならざること是れ懼る、何の故に廢せられんや。且つ子は不孝を懼れよ、立つを得ざるを懼るる無かれ。己を修めて人を責めずんば、則ち難を免れん」と。
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荀子・子道篇魯の哀公、孔子に問いて曰く、「子、父の命に従うは、孝なるか。臣、君の命に従うは、貞なるか」と。三たび問うも、孔子対(こた)えず。孔子趨(はし)り出でて以て子貢に語りて曰く、「郷者(さきごろ)、君、丘(きゅう)に問いて曰く、『子、父の命に従うは孝なるか。臣、君の命に従うは貞なるか』と。三たび問うも丘対えず。賜(し)、以て何如(いかん)と為す」と。子貢曰く、「子、父の命に従うは孝なり。臣、君の命に従うは貞なり。夫子、奚(なん)の対うること有らんや」と。孔子曰く、「小人なるかな。賜、識(し)らざるなり。昔、万乗の国に争臣(そうしん)四人有れば、則ち封疆(ほうきょう)削られず。千乗の国に争臣三人有れば、則ち社稷(しゃしょく)危うからず。百乗の家に争臣二人有れば、則ち宗廟毀(こぼ)たれず。父に争子(そうし)有れば、無礼を行わず。士に争友有れば、不義を為さず。故に子、父に従うも、奚ぞ子の孝ならん。臣、君に従うも、奚ぞ臣の貞ならん。其の従う所以を審(つまび)らかにする、之を孝と謂い、之を貞と謂うなり」と。
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孔子家語・三恕子貢孔子に問いて曰わく、「子父の命に従うを孝とし、臣君の命に従うを貞とするか。奚ぞ疑わん。」孔子曰わく、「鄙しいかな賜、汝識らざるなり。昔者明王万乘の国、争臣七人有れば、則ち主過挙無し。千乘の国、争臣五人有れば、則ち社稷危からざるなり。百乘の家、争臣三人有れば、則ち禄位替わらず。父に争子有れば、無礼に陥らず。士に争友有れば、不義を行わず。故に子父の命に従うは、奚ぞ詎ぞ孝と為さん。臣君の命に従うは、奚ぞ詎ぞ貞と為さん。夫れ能く其の従う所を審らかにするを、之を孝と謂い、之を貞と謂うなり。」
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二宮翁夜話・巻之五或(あるひと)問(と)ひて曰(いわ)く、三年父の道を改(あらた)めざるを孝と為す、とあり、然(しか)りといへ共(ども)、父道(ふどう)不善ならば、改めずばあるべからず、翁(おきな)曰く、父の道誠(まこと)に不善ならば、生前能(よ)く諫(いさ)め又他に依頼(いらい)しても、改むべし、生前諫めて改るまでに及ばざるは、不善と云ふといへ共、不善と云ふ程の事にはあらざる、明(あきら)かなり、然るを、没(ぼっ)するを待ちて改るは、不孝にあらずして何ぞ、没後(もつご)速(すみやか)に改めんとならば、何ぞ生前諫(いさ)めて改めざる、生前諫めず改る事もせず、何ぞ没するを待ちて改るの理あらんや。
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