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礼記 / 郊特牲

有虞氏之祭也,尚用氣;血腥爓祭,用氣也。殷人尚聲,臭味未成,滌蕩其聲;樂三闋,然後出迎牲。聲音之號,所以詔告於天地之間也。周人尚臭,灌用鬯臭,鬱合鬯;臭,陰達於淵泉。灌以圭璋,用玉氣也。既灌,然後迎牲,致陰氣也。蕭合黍稷;臭,陽達於墻屋。故既奠,然後焫蕭合羶薌。凡祭,慎諸此。魂氣歸于天,形魄歸于地。故祭,求諸陰陽之義也。殷人先求諸陽,周人先求諸陰。詔祝於室,坐尸於堂,用牲於庭,升首於室。直祭,祝于主;索祭,祝于祊。不知神之所在,於彼乎?於此乎?或諸遠人乎?祭于祊,尚曰求諸遠者與?祊之為言倞也,肵之為言敬也。富也者福也,首也者,直也。相,饗之也。嘏,長也,大也。尸,陳也。毛血,告幽全之物也。告幽全之物者,貴純之道也。

新字:有虞氏之祭也,尚用気;血腥爓祭,用気也。殷人尚声,臭味未成,滌蕩其声;楽三闋,然後出迎牲。声音之号,所以詔告於天地之間也。周人尚臭,灌用鬯臭,鬱合鬯;臭,陰達於淵泉。灌以圭璋,用玉気也。既灌,然後迎牲,致陰気也。蕭合黍稷;臭,陽達於墻屋。故既奠,然後焫蕭合羶薌。凡祭,慎諸此。魂気帰于天,形魄帰于地。故祭,求諸陰陽之義也。殷人先求諸陽,周人先求諸陰。詔祝於室,坐尸於堂,用牲於庭,升首於室。直祭,祝于主;索祭,祝于祊。不知神之所在,於彼乎?於此乎?或諸遠人乎?祭于祊,尚曰求諸遠者与?祊之為言倞也,肵之為言敬也。富也者福也,首也者,直也。相,饗之也。嘏,長也,大也。尸,陳也。毛血,告幽全之物也。告幽全之物者,貴純之道也。

書き下し

有虞氏の祭は、気を用うるを尚ぶ。血腥爓(けつせいせん)の祭は、気を用うるなり。殷人は声を尚ぶ。臭味未だ成らざるに、其の声を滌蕩(できとう)す。楽三たび闋(や)みて、然る後に出でて牲を迎う。声音の号は、天地の間に詔告する所以なり。周人は臭を尚ぶ。灌するに鬯臭を用い、鬱を鬯に合わす。臭は、陰は淵泉に達す。灌するに圭璋を以てするは、玉気を用うるなり。既に灌して、然る後に牲を迎うるは、陰気を致すなり。蕭(しょう)を黍稷に合わす。臭は、陽は牆屋(しょうおく)に達す。故に既に奠して、然る後に蕭を焫(や)きて羶薌(せんきょう)を合わす。凡そ祭は、これを慎め。魂気は天に帰し、形魄は地に帰す。故に祭は、これを陰陽に求むるの義なり。殷人は先ずこれを陽に求め、周人は先ずこれを陰に求む。祝に室に詔げ、尸(し)を堂に坐せしめ、牲を庭に用い、首を室に升(のぼ)す。直祭には主に祝し、索祭には祊(ほう)に祝す。神の在る所を知らず、彼においてか、此においてか、或いは諸(これ)を人に遠ざくるか。祊に祭るは、尚(こいねが)わくは諸を遠きに求むと曰わんか。祊の言たる倞(もと)むるなり、肵(き)の言たる敬なり。富なる者は福なり、首なる者は直なり。相は、これを饗するなり。嘏(か)は、長なり、大なり。尸は、陳なり。毛血は、幽全の物を告ぐるなり。幽全の物を告ぐるは、純を貴ぶの道なり。

現代語訳

有虞氏(舜の代)の祭は、気を供えることを尊んだ。血・生肉・湯通しした肉を供える祭は、気を用いるものである。殷の人は声を尊んだ。供え物の香りや味がまだ整わないうちに、まず楽を響かせて場を清め、楽を三曲奏し終えてから、門を出て牲を迎えた。音声の響きは、天地の間の神々に呼びかけ告げるためのものである。周の人は香りを尊んだ。灌(酒を地に注ぐ儀)には香りの高い鬯酒を用い、鬱金草を鬯酒に合わせる。その香りは、陰として地の底の泉にまで届く。灌に圭璋(玉の柄の付いた酌)を用いるのは、玉の気を用いるのである。灌を終えてから牲を迎えるのは、陰の気を招き寄せるためである。蕭(よもぎ)を黍や稷に合わせて焼く。その香りは、陽として垣根や屋根の上にまで届く。だから供え物を置き終えてから、蕭に牲の脂を合わせて焼き、香りを立てるのである。およそ祭では、これらのことを慎んで行え。人が死ぬと、魂の気は天に帰り、形と魄は地に帰る。だから祭は、神を陰と陽の両方に求めるのである。殷の人はまず陽に求め、周の人はまず陰に求めた。祝(祝詞を読む役)が室内で神に告げ、尸(神の代わりとなる人)を堂に座らせ、牲を庭で殺し、その頭を室内に供える。正祭では廟の主(位牌)に向かって祝し、神を探し求める祭では祊(廟門)で祝する。神がどこにいるのかわからない。あちらか、こちらか、あるいは人から遠く離れた所にいるのか。祊で祭るのは、どうか遠くに神を求めようということであろうか。祊という語は「求める」の意、肵(尸のための俎)という語は「敬う」の意である。富とは福のことであり、首(頭)とは直(まっすぐ)のことである。相とは、尸に供え物を勧めて食べさせることである。嘏(尸が主人に与える祝福のことば)とは、長く大きいという意味である。尸とは、陳ねる(神に代わって並び座る)という意味である。牲の毛と血を供えるのは、内も外も完全な牲であることを告げるためである。完全なものを告げるのは、純粋さを貴ぶ道である。

解説

祭で何を先に捧げるかという作法の違いを、有虞氏・殷・周の三代に分けて示した段である。有虞氏は血や生肉の気を、殷は楽の声を、周は鬱鬯の香りを先にしたという。その根にあるのは、人が死ぬと魂気は天に帰り、形魄は地に帰るという考えで、祭は陰と陽の両方から神を呼び戻す営みとされる。周が酒を地に注いで陰に求め、蕭を焼いて香りを屋根の上まで届かせるのは、その両面に対応している。「彼においてか、此においてか」と、神の居場所がわからないことを率直に認めるくだりは印象深い。鄭玄は祊を倞、すなわち索(もと)むるの意と注している。後半は祊・肵・嘏・尸などの語義の説明で、祭祀用語の古い注釈の形を残している。わからないものに向かって丁寧に手を尽くすという姿勢は、亡き人を偲ぶときの心の持ちようにもそのまま通じる。

この章句が説くこと

礼記郊特牲祭祀魂魄陰陽

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