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礼記 / 郊特牲

恒豆之菹,水草之和氣也;其醢,陸產之物也。加豆,陸產也;其醢,水物也。籩豆之薦,水土之品也,不敢用常褻味而貴多品,所以交於神明之義也,非食味之道也。先王之薦,可食也而不可耆也。卷冕路車,可陳也而不可好也。武壯,而不可樂也。宗廟之威,而不可安也。宗廟之器,可用也而不可便其利也,所以交於神明者,不可以同於所安樂之義也。酒醴之美,玄酒明水之尚,貴五味之本也。黼黻文繡之美,疏布之尚,反女功之始也。莞簟之安,而蒲越稿鞂之尚,明之也。大羹不和,貴其質也。大圭不琢,美其質也。丹漆雕幾之美,素車之乘,尊其樸也,貴其質而已矣。所以交於神明者,不可同於所安褻之甚也。如是而後宜。鼎俎奇而籩豆偶,陰陽之義也。黃目,鬱氣之上尊也。黃者中也;目者氣之清明者也。言酌於中而清明於外也,祭天,掃地而祭焉,於其質而已矣。醯醢之美,而煎鹽之尚,貴天產也。割刀之用,而鸞刀之貴,貴其義也。聲和而後斷也。

新字:恒豆之菹,水草之和気也;其醢,陸産之物也。加豆,陸産也;其醢,水物也。籩豆之薦,水土之品也,不敢用常褻味而貴多品,所以交於神明之義也,非食味之道也。先王之薦,可食也而不可耆也。巻冕路車,可陳也而不可好也。武壮,而不可楽也。宗廟之威,而不可安也。宗廟之器,可用也而不可便其利也,所以交於神明者,不可以同於所安楽之義也。酒醴之美,玄酒明水之尚,貴五味之本也。黼黻文繍之美,疏布之尚,反女功之始也。莞簟之安,而蒲越稿鞂之尚,明之也。大羹不和,貴其質也。大圭不琢,美其質也。丹漆雕幾之美,素車之乗,尊其樸也,貴其質而已矣。所以交於神明者,不可同於所安褻之甚也。如是而後宜。鼎俎奇而籩豆偶,陰陽之義也。黄目,鬱気之上尊也。黄者中也;目者気之清明者也。言酌於中而清明於外也,祭天,掃地而祭焉,於其質而已矣。醯醢之美,而煎塩之尚,貴天産也。割刀之用,而鸞刀之貴,貴其義也。声和而後断也。

書き下し

恒豆の菹(そ)は、水草の和気なり。其の醢(かい)は、陸産の物なり。加豆は、陸産なり。其の醢は、水物なり。籩豆の薦は、水土の品なり。敢えて常褻(じょうせつ)の味を用いずして多品を貴ぶは、神明に交わる所以の義なり、食味の道に非ざるなり。先王の薦は、食らうべきも耆(たしな)むべからざるなり。巻冕(けんべん)路車は、陳ぬべきも好むべからざるなり。武は壮なるも、楽しむべからざるなり。宗廟の威は、安んずべからざるなり。宗廟の器は、用うべきもその利を便とすべからざるなり。神明に交わる所以の者は、以て安楽する所に同じうすべからざるの義なり。酒醴の美あるも、玄酒明水をこれ尚ぶは、五味の本を貴ぶなり。黼黻(ほふつ)文繡の美あるも、疏布をこれ尚ぶは、女功の始めに反るなり。莞簟(かんてん)の安あるも、蒲越(ほえつ)稿鞂(こうかつ)をこれ尚ぶは、これを明らかにするなり。大羹は和せず、其の質を貴ぶなり。大圭は琢(みが)かず、其の質を美とするなり。丹漆雕幾(ちょうき)の美あるも、素車にこれ乗るは、其の樸(ぼく)を尊ぶなり、其の質を貴ぶのみ。神明に交わる所以の者は、安褻(あんせつ)する所の甚だしきに同じうすべからざるなり。是の如くして後に宜し。鼎俎は奇にして籩豆は偶なるは、陰陽の義なり。黄目は、鬱気の上尊なり。黄は中なり。目は気の清明なる者なり。中に酌みて外に清明なるを言うなり。天を祭るには、地を掃いて祭る、其の質においてするのみ。醯醢(けいかい)の美あるも、煎塩をこれ尚ぶは、天産を貴ぶなり。割刀の用あるも、鸞刀(らんとう)をこれ貴ぶは、其の義を貴ぶなり。声和して後に断つなり。

現代語訳

常に供える恒豆の菹(漬け物)は、水草の和やかな気から生じたものであり、それに添える醢(肉の塩辛)は陸の産物である。加えて供える加豆には陸の産物を盛り、それに添える醢は水の産物である。籩と豆に盛る供え物は、水と土の産物である。ふだん口にしている味を用いずに品数の多さを尊ぶのは、神明と交わるためであって、味わって食べるための道ではない。先王の供え物は、食べることはできるが、好んで味わうものではない。巻冕(竜を描いた礼服と冠)や路車(祭に乗る車)は、並べて見せることはできても、好んで身に着けるものではない。武の舞は勇壮だが、楽しむためのものではない。宗廟の威厳は、くつろぐためのものではない。宗廟の器は用いることはできても、その便利さを求めるものではない。神明と交わるためのものは、自分がくつろぎ楽しむものと同じであってはならないからである。美味な酒や甘酒があるのに、玄酒(水)や明水(月から取るという清水)を尊ぶのは、五味の根本を貴ぶからである。黼黻(斧形や亞形の模様)や刺繍の美しい衣があるのに、粗い布を尊ぶのは、女性の手仕事の始まりに立ち返るためである。莞(い草)や竹の敷物の心地よさがあるのに、蒲の敷物や藁の敷物を尊ぶのは、神明への道を明らかにするためである。大羹(肉の煮汁)に味つけをしないのは、その素のままを貴ぶからである。大圭(天子の大きな玉)を磨かないのは、その素のままを美しいとするからである。赤い漆や彫刻の美しい車があるのに、飾りのない素車に乗るのは、素朴さを尊ぶからであり、ただ素のままを貴ぶのである。神明と交わるためのものは、ふだんくつろいで慣れ親しんでいるものと同じであってはならない。このようにしてこそふさわしいのである。鼎と俎が奇数で、籩と豆が偶数であるのは、陰陽の意味による。黄目(黄金の目を飾った酒樽)は、鬱鬯を入れる最上の樽である。黄は中の色であり、目は気の清らかで明るいものである。中から酒を酌み、外に清明さが現れることをいう。天を祭るときは、地面を掃いて祭る。ただ素のままに従うのである。酢や塩辛の美味があるのに、煮詰めただけの塩を尊ぶのは、天の産物を貴ぶからである。よく切れる刀があるのに鸞刀(鈴の付いた刀)を貴ぶのは、その意味を貴ぶからである。鈴の音が調子よく鳴ってから切るのである。

解説

祭に用いる供え物・器・衣服・車について、なぜ美しいものや便利なものより粗く素朴なものを尊ぶのかを説いた段である。水で代える玄酒、粗い布、藁の敷物、味つけしない大羹、磨かない大圭、飾りのない素車と、例が次々に重ねられる。その理由は、神明と交わるものは人がくつろぎ楽しむものと同じであってはならず、またものごとの始まりの姿にこそ根本があるからだという。鄭玄は「雕幾」について、幾を漆で盛り上げた飾りの縁と解している。鸞刀は刃に鈴を付けた刀で、鈴の音が調和してから切るという描写に、急がず節度をもって牲を割く心構えが託されている。礼記の中でも「質を貴ぶ」という思想がもっとも集中して現れる箇所で、老子が樸を尊んだことと響き合う面もある。便利で豪華なものに囲まれた暮らしの中で、あえて素のものを選ぶ意味を考えさせる。

この章句が説くこと

礼記郊特牲質素祭器神明

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