礼記 / 郊特牲
天子適四方,先柴。郊之祭也,迎長日之至也,大報天而主日也。兆於南郊,就陽位也。掃地而祭,於其質也。器用陶匏,以象天地之性也。於郊,故謂之郊。牲用騂,尚赤也;用犢,貴誠也。郊之用辛也,周之始郊日以至。卜郊,受命于祖廟,作龜于禰宮,尊祖親考之義也。卜之日,王立于澤,親聽誓命,受教諫之義也。獻命庫門之內,戒百官也。大廟之命,戒百姓也。祭之日,王皮弁以聽祭報,示民嚴上也。喪者不哭,不敢凶服,氾埽反道,鄉為田燭。弗命而民聽上。祭之日,王被袞以象天,戴冕,璪十有二旒,則天數也。乘素車,貴其質也。旗十有二旒,龍章而設日月,以象天也。天垂象,聖人則之。郊所以明天道也。帝牛不吉,以為稷牛。帝牛必在滌三月,稷牛唯具。所以別事天神與人鬼也。萬物本乎天,人本乎祖,此所以配上帝也。郊之祭也,大報本反始也。
新字:天子適四方,先柴。郊之祭也,迎長日之至也,大報天而主日也。兆於南郊,就陽位也。掃地而祭,於其質也。器用陶匏,以象天地之性也。於郊,故謂之郊。牲用騂,尚赤也;用犢,貴誠也。郊之用辛也,周之始郊日以至。卜郊,受命于祖廟,作亀于祢宮,尊祖親考之義也。卜之日,王立于沢,親聴誓命,受教諫之義也。献命庫門之内,戒百官也。大廟之命,戒百姓也。祭之日,王皮弁以聴祭報,示民厳上也。喪者不哭,不敢凶服,氾埽反道,郷為田燭。弗命而民聴上。祭之日,王被袞以象天,戴冕,璪十有二旒,則天数也。乗素車,貴其質也。旗十有二旒,竜章而設日月,以象天也。天垂象,聖人則之。郊所以明天道也。帝牛不吉,以為稷牛。帝牛必在滌三月,稷牛唯具。所以別事天神与人鬼也。万物本乎天,人本乎祖,此所以配上帝也。郊之祭也,大報本反始也。
書き下し
天子四方に適くには、先ず柴(さい)す。郊の祭は、長日の至るを迎うるなり。大いに天に報いて日を主とするなり。南郊に兆(ちょう)するは、陽位に就くなり。地を掃いて祭るは、其の質においてするなり。器に陶匏(とうほう)を用うるは、以て天地の性に象るなり。郊においてす、故にこれを郊と謂う。牲に騂(せい)を用うるは、赤を尚ぶなり。犢を用うるは、誠を貴ぶなり。郊の辛を用うるは、周の始めて郊するに、日は至を以てすればなり。郊を卜するには、命を祖廟に受け、亀を禰宮(でいきゅう)に作(や)く、祖を尊び考に親しむの義なり。卜の日、王、沢に立ち、親ら誓命を聴く、教諫を受くるの義なり。命を庫門の内に献ずるは、百官を戒むるなり。大廟の命は、百姓を戒むるなり。祭の日、王、皮弁して以て祭の報を聴くは、民に上を厳(おごそ)かにするを示すなり。喪者は哭せず、敢えて凶服せず、汜掃(はんそう)して道を反(かえ)し、郷ごとに田燭を為す。命ぜずして民、上に聴く。祭の日、王、袞(こん)を被りて以て天に象り、冕を戴き、璪(そう)十有二旒(りゅう)なるは、則ち天の数なり。素車に乗るは、其の質を貴ぶなり。旗十有二旒、竜章にして日月を設くるは、以て天に象るなり。天は象を垂れ、聖人これに則(のっと)る。郊は天道を明らかにする所以なり。帝牛吉ならざれば、以て稷牛と為す。帝牛は必ず滌(でき)に在ること三月、稷牛は唯具うるのみ。天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。万物は天に本づき、人は祖に本づく、此れ上帝に配する所以なり。郊の祭は、大いに本に報い始めに反るなり。
現代語訳
天子が四方の地に巡行するときは、まず柴(薪を焼いて天を祀る儀)を行う。郊の祭は、日が長くなる時節の到来を迎える祭である。天に大いに報いる祭で、日を主として祀る。祭場を南の郊外に設けるのは、陽の方位につくためである。地面を掃き清めただけの所で祭るのは、質素さに従うのである。器に素焼きの土器と匏(ひょうたん)を用いるのは、天地の飾らない性に象るためである。郊外で行うから、これを郊という。牲に赤毛の牛を用いるのは、周が赤を尊ぶからである。子牛を用いるのは、誠を貴ぶからである。郊祭に辛の日を用いるのは、周が初めて郊祭を行ったとき、その日が冬至に当たったからである。郊祭を卜うときは、祖廟で命を受け、禰宮(父の廟)で亀甲を焼いて占う。祖を尊び亡き父に親しむ意味である。卜の日、王は沢宮(射の宮)に立ち、自ら誓いの命令を聴く。臣下からの教えや諫めを受ける意味である。その命令を庫門の内で百官に伝えるのは、百官を戒めるためである。大廟での命令は、百姓(王族や諸官の一族)を戒めるためである。祭の当日、王が皮弁(白鹿皮の冠)をつけて祭の準備が整ったという報告を聴くのは、上を厳かに敬うことを民に示すためである。その日は喪中の者も哭泣せず、凶服(喪服)を着ることを控え、道を掃き清めて土を入れ直し、郷ごとに田に灯りをともす。命じなくても、民は自然に上に従うのである。祭の日、王は袞(竜を描いた礼服)を着て天に象り、冕(礼冠)をかぶる。冕の前後に垂れる玉飾りの璪が十二旒であるのは、天の数(十二か月)に則ったものである。飾りのない素車に乗るのは、質素を貴ぶからである。旗に十二旒の垂れを付け、竜の模様を描き日月を配するのは、天に象るためである。天は象を示し、聖人はそれに則る。郊の祭は天の道を明らかにするためのものである。天帝に捧げる予定の牛が占いで不吉と出れば、それを后稷に配する牛に回す。天帝の牛は必ず三か月間、清めた牛舎で養うが、后稷の牛はただ用意しておくだけである。これは天の神に仕えることと、人の霊に仕えることとを区別するためである。万物は天に根ざし、人は祖先に根ざす。だから祖先を上帝に配して祀るのである。郊の祭は、大いに根本に報い、始まりに立ち返る祭である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・天と人と我吉凶禍福は是れ天の主張、毀譽予奪は是れ人の主張、立身行己は是れ我の主張なり。此の三つの者は、相奪はざるなり。
-
『呻吟語』内篇・問學・希天・達天・合天・為天希天の學有り、達天の學有り、合天の學有り、為天の學有り。
-
『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
-
『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
-
『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
-
『呻吟語』外篇・天地・故に太清と曰ふ天は積氣の成す所、吾が身より以上は皆な天なり。日月星辰は地を去ること八萬四千里、積氣の中に囿はる。纖隔微礙無く、地を徹して光明なる者は、天氣清きこと甚だしく分毫の渣滓無ければなり。故に太清と曰ふ。然らずんば、薄霧輕煙と雖も、一里の外に見えざるの物有らん。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る