礼記 / 郊特牲
社祭土而主陰氣也。君南鄉於北墉下,答陰之義也。日用甲,用日之始也。天子大社必受霜露風雨,以達天地之氣也。是故喪國之社屋之,不受天陽也。薄社北牖,使陰明也。社所以神地之道也。地載萬物,天垂象。取財於地,取法於天,是以尊天而親地也,故教民美報焉。家主中溜而國主社,示本也。唯為社事,單出里。唯為社田,國人畢作。唯社,丘乘共粢盛,所以報本反始也。季春出火,為焚也。然後簡其車賦,而歷其卒伍,而君親誓社,以習軍旅。左之右之,坐之起之,以觀其習變也;而流示之禽,而鹽諸利,以觀其不犯命也。求服其志,不貪其得,故以戰則克,以祭則受福。
新字:社祭土而主陰気也。君南郷於北墉下,答陰之義也。日用甲,用日之始也。天子大社必受霜露風雨,以達天地之気也。是故喪国之社屋之,不受天陽也。薄社北牖,使陰明也。社所以神地之道也。地載万物,天垂象。取財於地,取法於天,是以尊天而親地也,故教民美報焉。家主中溜而国主社,示本也。唯為社事,単出里。唯為社田,国人畢作。唯社,丘乗共粢盛,所以報本反始也。季春出火,為焚也。然後簡其車賦,而歴其卒伍,而君親誓社,以習軍旅。左之右之,坐之起之,以観其習変也;而流示之禽,而塩諸利,以観其不犯命也。求服其志,不貪其得,故以戦則克,以祭則受福。
書き下し
社は土を祭りて陰気を主(つかさど)るなり。君、北墉(ほくよう)の下に南郷するは、陰に答うるの義なり。日は甲を用う、日の始めを用うるなり。天子の大社は必ず霜露風雨を受け、以て天地の気を達す。是の故に喪国の社はこれを屋(おお)い、天陽を受けざらしむるなり。薄社(はくしゃ)は北に牖(まど)あり、陰をして明らかならしむるなり。社は地を神とする所以の道なり。地は万物を載せ、天は象を垂る。財を地に取り、法を天に取る、是を以て天を尊びて地に親しむなり、故に民に教えて美(よ)く報ぜしむ。家は中霤(ちゅうりゅう)を主とし国は社を主とするは、本を示すなり。唯社の事の為には、単(ことごと)く里を出(い)ず。唯社の田の為には、国人畢(ことごと)く作(おこ)る。唯社には、丘乗粢盛(しせい)を共(きょう)す、本に報い始めに反る所以なり。季春に火を出だすは、焚(や)くが為なり。然る後に其の車賦を簡(えら)び、其の卒伍を歴(かぞ)え、而して君親ら社に誓い、以て軍旅を習う。これを左にしこれを右にし、これを坐せしめこれを起たしめ、以て其の変に習うを観るなり。而して流れにこれに禽を示し、而してこれを利に塩(こころ)み、以て其の命を犯さざるを観るなり。其の志を服せしむるを求め、其の得るを貪らず、故に以て戦えば則ち克ち、以て祭れば則ち福を受く。
現代語訳
社(土地の神)の祭は土を祀り、陰の気をつかさどる。君が社の北の垣の下で南を向いて祭るのは、陰に応える意味である。祭の日に甲の日を用いるのは、十干の始めの日を用いるのである。天子の大社(天下のための社)には必ず屋根をかけず、霜・露・風・雨を受けさせて、天地の気を通わせる。だから滅んだ国の社は屋根で覆い、天の陽気を受けさせないようにする。亳社(殷の滅んだ国の社)は北側にだけ窓を開け、陰の方角から明かりが入るようにする。社は大地を神として祀るための道である。大地は万物を載せ、天は日月星辰の象を示す。人は財を大地から取り、法を天から取る。だから天を尊び、大地には親しむ。それゆえ民に教えて、大地の恵みに手厚く報いさせるのである。家では中霤(家の中央の神)を祀り、国では社を祀るのは、根本を示すためである。社の祭のためだけは、里の者がことごとく出てくる。社に供える田の狩りのためだけは、国人が総出で働く。社の祭だけは、丘や乗(土地の区画)ごとに供え物の穀物を出す。これは根本の恩に報い、始まりに立ち返るためである。季春(晩春)に火を出すのは、野を焼いて狩りをするためである。そのうえで兵車と賦役を点検し、兵卒の隊伍を数え、君が自ら社の前で誓いを立てて、軍の訓練を行う。左へ行かせ右へ行かせ、座らせ立たせて、変化にすばやく応じられるかを見る。さらに逃げる獣を目の前に放ち、利益で誘惑を試して、命令を犯さないかどうかを見る。兵の心を服従させることを求め、獲物を貪らせない。だから戦えば勝ち、祭れば福を受けるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
礼記・郊特牲天子四方に適くには、先ず柴(さい)す。郊の祭は、長日の至るを迎うるなり。大いに天に報いて日を主とするなり。南郊に兆(ちょう)するは、陽位に就くなり。地を掃いて祭るは、其の質においてするなり。器に陶匏(とうほう)を用うるは、以て天地の性に象るなり。郊においてす、故にこれを郊と謂う。牲に騂(せい)を用うるは、赤を尚ぶなり。犢を用うるは、誠を貴ぶなり。郊の辛を用うるは、周の始めて郊するに、日は至を以てすればなり。郊を卜するには、命を祖廟に受け、亀を禰宮(でいきゅう)に作(や)く、祖を尊び考に親しむの義なり。卜の日、王、沢に立ち、親ら誓命を聴く、教諫を受くるの義なり。命を庫門の内に献ずるは、百官を戒むるなり。大廟の命は、百姓を戒むるなり。祭の日、王、皮弁して以て祭の報を聴くは、民に上を厳(おごそ)かにするを示すなり。喪者は哭せず、敢えて凶服せず、汜掃(はんそう)して道を反(かえ)し、郷ごとに田燭を為す。命ぜずして民、上に聴く。祭の日、王、袞(こん)を被りて以て天に象り、冕を戴き、璪(そう)十有二旒(りゅう)なるは、則ち天の数なり。素車に乗るは、其の質を貴ぶなり。旗十有二旒、竜章にして日月を設くるは、以て天に象るなり。天は象を垂れ、聖人これに則(のっと)る。郊は天道を明らかにする所以なり。帝牛吉ならざれば、以て稷牛と為す。帝牛は必ず滌(でき)に在ること三月、稷牛は唯具うるのみ。天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。万物は天に本づき、人は祖に本づく、此れ上帝に配する所以なり。郊の祭は、大いに本に報い始めに反るなり。
-
礼記・郊特牲郊は特牲(とくせい)にして、社稷(しゃしょく)は大牢(たいろう)なり。天子、諸侯に適(ゆ)けば、諸侯膳するに犢(こうし)を用う。諸侯、天子に適けば、天子これに礼を賜うに大牢をもってす。誠を貴ぶの義なり。故に天子は牲の孕めるを食らわず、帝を祭るにも用いざるなり。大路は繁纓(はんえい)一就、先路は三就、次路は五就。郊は血、大饗は腥(せい)、三献は爓(せん)、一献は熟。至敬は味を饗せずして気臭を貴ぶなり。諸侯賓と為れば、灌(かん)するに鬱鬯(うっちょう)を用う。灌するに臭を用うるなり。大饗は腶修(だんしゅう)を尚ぶのみ。大饗には、君は三重の席にして酢(さく)す。三献の介には、君は専席にして酢す。これ尊を降して以て卑に就くなり。饗・禘(てい)には楽有りて、食・嘗には楽無し、陰陽の義なり。凡そ飲は陽気を養うなり、凡そ食は陰気を養うなり。故に春は禘して秋は嘗す。春は孤子を饗し、秋は耆老(きろう)に食(し)す、その義一なり。而して食・嘗には楽無し。飲は陽気を養う、故に楽有り。食は陰気を養う、故に声無し。凡そ声は陽なり。鼎俎(ていそ)は奇にして籩豆(へんとう)は偶なるは、陰陽の義なり。籩豆の実は、水土の品なり。敢えて褻味(せつみ)を用いずして多品を貴ぶは、旦明(しんめい)に交わる所以の義なり。賓、大門に入りて《肆夏(しか)》を奏するは、易(やわら)ぎて以て敬するを示すなり。爵を卒(お)えて楽闋(や)む、孔子屡(しばしば)これを嘆ず。奠酬(てんしゅう)して工升(のぼ)りて歌うは、徳を発するなり。歌う者は上に在り、匏竹(ほうちく)は下に在るは、人の声を貴ぶなり。楽は陽由り来たる者なり、礼は陰由り作る者なり、陰陽和して万物得。
-
荀子・礼論篇郊は天子に止まり、社は諸侯に止まり、道は士大夫に及ぶは、尊き者は尊きに事え、卑しき者は卑しきに事え、大なるに宜しき者は巨いにし、小なるに宜しき者は小なるを別つ所以なり。
-
礼記・郊特牲血祭は、気を盛んにするなり。肺肝心を祭るは、気の主を貴ぶなり。黍稷を祭るに肺を加え、斉(せい)を祭るに明水を加うるは、陰に報ゆるなり。膟膋(りつりょう)を取りて燔燎(はんりょう)し、首を升すは、陽に報ゆるなり。明水の斉に涚(ぜい)するは、新しきを貴ぶなり。凡そ涚するは、これを新たにするなり。其のこれを明水と謂うや、主人の絜(いさぎよ)き、此の水に著(あら)わるるに由るなり。君再拝稽首し、肉袒(にくたん)して親ら割くは、敬の至りなり。敬の至りとは、服するなり。拝は服なり。稽首は、服の甚だしきなり。肉袒は、服の尽くるなり。祭に孝孫孝子と称するは、其の義を以て称するなり。曽孫某と称するは、国家を謂うなり。祭祀の相は、主人自ら其の敬を致し、其の嘉を尽くして、与(とも)に譲ること無きなり。腥肆爓腍(せいしせんじん)して祭る、豈に神の饗くる所を知らんや。主人自ら其の敬を尽くすのみ。斝角(かかく)を挙げて、尸を妥(やす)んずるを詔ぐ。古者、尸は事無ければ則ち立ち、事有りて後に坐するなり。尸は神の象なり。祝は命を将(おこな)うなり。縮酌(しゅくしゃく)するに茅を用うるは、酌を明らかにするなり。醆酒(さんしゅ)は清に涚し、汁献は醆酒に涚す。猶お明清と醆酒とを旧沢の酒においてするがごときなり。祭には祈ること有り、報ゆること有り、由(よ)りて辟(び)すること有り。斉の玄なるは、陰幽を以て思うなり。故に君子は三日斉すれば、必ず其の祭る所の者を見る。
-
礼記・祭法祭法。有虞氏は黄帝を禘(てい)して嚳(こく)を郊し、顓頊(せんぎょく)を祖として堯を宗とす。夏后氏も亦黄帝を禘して鯀(こん)を郊し、顓頊を祖として禹を宗とす。殷人は嚳を禘して冥を郊し、契(せつ)を祖として湯を宗とす。周人は嚳を禘して稷を郊し、文王を祖として武王を宗とす。 柴を泰壇に燔(や)くは、天を祭るなり。泰折(たいせつ)に瘞埋(えいまい)するは、地を祭るなり。騂犢(せいとく)を用う。少牢を泰昭に埋むるは、時を祭るなり。坎壇に相近(そうきん)するは、寒暑を祭るなり。王宮は、日を祭るなり。夜明は、月を祭るなり。幽宗は、星を祭るなり。雩宗(うそう)は、水旱を祭るなり。四坎壇は、四方を祭るなり。山林・川谷・丘陵の、能く雲を出だし、風雨を為し、怪物を見(あらわ)すは、皆神と曰う。天下を有つ者は、百神を祭る。諸侯は、その地に在れば則ちこれを祭り、その地を亡(うしな)えば則ち祭らず。
-
礼記・王制天子・諸侯は、因国(いんこく)の其の地に在りて主後無き者を祭る。 天子は犆礿(とくやく)し、祫禘(こうてい)し、祫嘗し、祫烝す。諸侯は礿すれば則ち禘せず、禘すれば則ち嘗せず、嘗すれば則ち烝せず、烝すれば則ち礿せず。諸侯の礿は犆、禘は一たびは犆し一たびは祫し、嘗は祫し、烝は祫す。 天子の社稷は皆大牢(たいろう)、諸侯の社稷は皆少牢(しょうろう)。大夫・士の宗廟の祭は、田有れば則ち祭り、田無ければ則ち薦む。庶人は春に韭(にら)を薦め、夏に麦を薦め、秋に黍(きび)を薦め、冬に稲を薦む。韭は卵を以てし、麦は魚を以てし、黍は豚を以てし、稲は鴈(がん)を以てす。天地を祭るの牛は角繭栗(けんりつ)、宗廟の牛は角握(あく)、賓客の牛は角尺。諸侯は故無くして牛を殺さず、大夫は故無くして羊を殺さず、士は故無くして犬豕(けんし)を殺さず、庶人は故無くして珍を食らわず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る