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礼記 / 礼器

太廟之內敬矣!君親牽牲,大夫贊幣而從。君親制祭,夫人薦盎。君親割牲,夫人薦酒。卿大夫從君,命婦從夫人。洞洞乎其敬也,屬屬乎其忠也,勿勿乎其欲其饗之也。納牲詔於庭,血、毛詔於室,羹定詔於堂,三詔皆不同位,蓋道求而未之得也。設祭于堂,為祊乎外,故曰:於彼乎?於此乎?

新字:太廟之内敬矣!君親牽牲,大夫賛幣而従。君親制祭,夫人薦盎。君親割牲,夫人薦酒。卿大夫従君,命婦従夫人。洞洞乎其敬也,属属乎其忠也,勿勿乎其欲其饗之也。納牲詔於庭,血、毛詔於室,羹定詔於堂,三詔皆不同位,蓋道求而未之得也。設祭于堂,為祊乎外,故曰:於彼乎?於此乎?

書き下し

太廟の内は敬なるかな。君親ら牲を牽き、大夫幣を賛(たす)けて従う。君親ら祭を制し、夫人盎(おう)を薦む。君親ら牲を割き、夫人酒を薦む。卿大夫は君に従い、命婦は夫人に従う。洞洞乎(どうどうこ)として其れ敬なり、属属乎(しょくしょくこ)として其れ忠なり、勿勿乎(ぶつぶつこ)として其れ其の之を饗けんことを欲するなり。牲を納めて庭に詔げ、血・毛は室に詔げ、羹定まりて堂に詔ぐ。三詔皆位を同じくせず、蓋し道(い)いて求めて未だ之を得ざるなり。祭を堂に設け、祊(ほう)を外に為す。故に曰く、「彼に於いてか、此に於いてか」と。

現代語訳

太廟(君の始祖の廟)の中の敬虔さはどうであろう。君は自ら犠牲の牛を牽き、大夫は幣帛を持つのを助けてその後に従う。君は自ら犠牲の肉を切り分けて供え、夫人は盎斉(おうせい、白く濁った酒)を供える。君は自ら犠牲を割き、夫人は酒を供える。卿や大夫は君に従い、命婦(位を受けた婦人)は夫人に従う。その様子は、うやうやしく敬い、ひたむきにまごころを尽くし、ひたすら祖先の霊がこれを受けてくださるよう願うものである。犠牲を引き入れると庭で神に告げ、血と毛は室の中で告げ、肉の汁が煮上がると堂上で告げる。この三度の告げがみな違う場所で行われるのは、神霊がどこにおられるかを求めて、まだ見つけられないからである。祭りを堂で行い、祊(ほう、廟門の外での祭り)を外でも行う。だから「あちらにおられるのか、こちらにおられるのか」と言うのである。

解説

太廟の祭りにおける君と夫人の奉仕を描き、神霊を求める心を語る段である。君は自ら犠牲を牽き、割き、夫人は酒を供え、卿大夫と命婦がそれぞれに従う。洞洞・属属・勿勿という三つの畳語で、敬・忠・祖先に受けてほしいという切なる願いが描き分けられている。後半は、犠牲を庭で、血と毛を室で、煮上がった汁を堂で神に告げると、三度とも場所を変えることを述べ、それは神霊がどこにいるかわからず探し求めているからだとする。さらに堂で祭るだけでなく門の外でも祭り、「彼に於いてか、此に於いてか」と言う。姿の見えない祖先を、あちこちに探し求めるこの表現には、形式を超えた思慕の情があふれている。『論語』八佾篇の「祭ること在すが如くす」という孔子の言葉にも通じる。亡くなった人を思うとき、ふと居場所を探すような気持ちになることは、今の私たちにも覚えがあるだろう。

この章句が説くこと

礼記宗廟祭祀敬礼器

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