翁問答 / 下卷之末之末
以上の聖謨をよく考へて、儒敎に專神明を信仰する事を得心すべし、これは外神につかふまつる大法なり、先祖の鬼神を祭は此外なり、日本の神道の禮法に、儒道祭祀の禮にあひかなひたることあり、其上三社の神託の意義儒者の神明につかふまつる心もちに、よくかなひぬれば、本朝は后稷之裔なりといへる、說まこと意義あることなり、さて神明につかふまつるには、その位々のおきて作法あれば、その國の風俗を本とし、天秩の祭祀の禮に考あはせてよく齋戒して信仰すべき事誠に第一なり、しかるに佛者は神明を信仰するを雜行雜修といとひ、佛は六通神は五通などいへるは、勿體なき事なり。
新字:以上の聖謨をよく考へて、儒教に専神明を信仰する事を得心すべし、これは外神につかふまつる大法なり、先祖の鬼神を祭は此外なり、日本の神道の礼法に、儒道祭祀の礼にあひかなひたることあり、其上三社の神託の意義儒者の神明につかふまつる心もちに、よくかなひぬれば、本朝は后稷之裔なりといへる、説まこと意義あることなり、さて神明につかふまつるには、その位々のおきて作法あれば、その国の風俗を本とし、天秩の祭祀の礼に考あはせてよく斎戒して信仰すべき事誠に第一なり、しかるに仏者は神明を信仰するを雑行雑修といとひ、仏は六通神は五通などいへるは、勿体なき事なり。
書き下し
以上の聖謨をよく考へて、儒教に専神明を信仰する事を得心すべし、これは外神につかふまつる大法なり、先祖の鬼神を祭は此外なり、日本の神道の礼法に、儒道祭祀の礼にあひかなひたることあり、其上三社の神託の意義儒者の神明につかふまつる心もちに、よくかなひぬれば、本朝は后稷之裔なりといへる、説まこと意義あることなり、さて神明につかふまつるには、その位々のおきて作法あれば、その国の風俗を本とし、天秩の祭祀の礼に考あはせてよく斎戒して信仰すべき事誠に第一なり、しかるに仏者は神明を信仰するを雑行雑修といとひ、仏は六通神は五通などいへるは、勿体なき事なり。
現代語訳
以上の聖人の言葉をよく考えて、儒教がもっぱら神明を信仰することを得心すべきである。これは外の神に仕える大法である。祖先の鬼神を祭るのはこの外のことである。日本の神道の礼法には、儒道の祭祀の礼にかなうところがある。そのうえ三社の神託の意義は、儒者が神明に仕える心持ちによくかなっているので、「本朝は后稷の末裔である」という説は、まことに意義のあることである。さて神明に仕えるには、その位ごとの掟や作法があるので、その国の風俗を本とし、天の定めた祭祀の礼に考え合わせて、よく斎戒して信仰することが誠に第一である。それなのに仏者は、神明を信仰することを雑行雑修といって嫌い、「仏は六通、神は五通」などと言うのは、もったいないことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』下卷之末之末天下を有つ者は百神を祭る、諸侯は其の地に在れば則ち之を祭り、其の地を亡へば則ち祭らず、王、群姓の為に社を立つるを大社と曰ひ、王自ら為に社を立つるを王社と曰ふ、諸侯、百姓の為に社を立つるを国社と曰ひ、諸侯自ら為に社を立つるを侯社と曰ふ、大夫以下群を成して社を立つるを置社と曰ふ、王、群姓の為に七祀を立つ、司命と曰ひ、中霤と曰ひ、国門と曰ひ、国行と曰ひ、泰厲と曰ひ、戸と曰ひ、竈と曰ふ、王自ら為に七祀を立つ、諸侯、国の為に五祀を立つ、司命と曰ひ、中霤と曰ひ、国門と曰ひ、国行と曰ひ、公厲と曰ふ。諸侯自ら為に五祀を立つ、大夫は三祀を立つ、族厲と曰ひ、門と曰ひ、行と曰ふ、適士は二祀を立つ、門と曰ひ、行と曰ふ、庶士庶人は一祀を立つ、或いは戸を立て或いは竈を立つ、夫れ聖王の祭祀を制するや、法の民に施せば則ち之を祀り、死を以て事に勤むれば則ち之を祀り、労を以て国を定むれば則ち之を祀り、能く大菑を禦げば則ち之を祀り、能く大患を捍げば則ち之を祀る。夫の日月星辰に及びては、民の瞻仰する所なり、山林川谷丘陵は、民の財用を取る所なり、此の族に非ざれば、祀典に在らず、論語に曰く、神を祭ること神在すが如くす。
-
礼記・坊記子云う、「祭祀の尸(し)有り、宗廟の主有るは、民に事うる有るを示すなり。宗廟を修め、祀事を敬するは、民に追孝を教うるなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘る」と。 子云う、「敬すれば則ち祭器を用う。故に君子は菲(うす)きを以て礼を廃せず、美を以て礼を没せず。故に食礼に、主人親ら饋(すす)むれば、則ち客祭る。主人親ら饋めざれば、則ち客祭らず。故に君子苟も礼無ければ、美なりと雖も食らわず。《易》に曰く、『東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)して、実に其の福を受くるに如かず』と。《詩》に云う、『既に酔わしむるに酒を以てし、既に飽かしむるに徳を以てす』と。此を以て民に示すも、民猶お利を争いて義を忘る」と。
-
礼記・礼器太廟の内は敬なるかな。君親ら牲を牽き、大夫幣を賛(たす)けて従う。君親ら祭を制し、夫人盎(おう)を薦む。君親ら牲を割き、夫人酒を薦む。卿大夫は君に従い、命婦は夫人に従う。洞洞乎(どうどうこ)として其れ敬なり、属属乎(しょくしょくこ)として其れ忠なり、勿勿乎(ぶつぶつこ)として其れ其の之を饗けんことを欲するなり。牲を納めて庭に詔げ、血・毛は室に詔げ、羹定まりて堂に詔ぐ。三詔皆位を同じくせず、蓋し道(い)いて求めて未だ之を得ざるなり。祭を堂に設け、祊(ほう)を外に為す。故に曰く、「彼に於いてか、此に於いてか」と。
-
『翁問答』下卷之末之末体充問曰、神信仰をば仕たるがよく候や。師の曰、神明を信仰するは儒道の本意にて候、しかる故に祖を天に配し父を上帝に配し、神明に通ずるを孝行の至極なりと、孝経に説たまへり、周礼に曰く、大宗伯の職は、邦の天神・人鬼・地祇の礼を建つることを掌り、以て王を佐けて邦国を建保す、吉礼を以て邦国の鬼神祇に事へ、禋祀を以て昊天上帝を祀り、実柴を以て日月星辰を祀り、槱燎を以て司中・司命・観師・雨師を祀り、血祭を以て社稷・五祀・五嶽を祭り、貍沈を以て山林川沢を祭り、疈辜を以て四方百物を祭る、
-
『春秋左氏伝』成公十三年 国の大事は祀と戎劉子曰く、「吾之を聞く、民は天地の中を受けて以って生る、所謂命なり。是を以って動作禮義威儀の則有り、以って命を定むるなり。能き者は之を養ひて以って福とし、能はざる者は敗りて以って禍を取る。是の故に君子は禮を勤め、小人は力を盡くす。禮を勤むるは敬を致すに如くは莫く、力を盡くすは敦篤なるに如くは莫し。敬は神を養ふに在り、篤は業を守るに在り。國の大事は、祀と戎とに在り。祀に執膰有り、戎に受脤有り。神の大節なり。今成子惰りて其の命を棄つ。其れ反らざらんか」と。
-
礼記・郊特牲血祭は、気を盛んにするなり。肺肝心を祭るは、気の主を貴ぶなり。黍稷を祭るに肺を加え、斉(せい)を祭るに明水を加うるは、陰に報ゆるなり。膟膋(りつりょう)を取りて燔燎(はんりょう)し、首を升すは、陽に報ゆるなり。明水の斉に涚(ぜい)するは、新しきを貴ぶなり。凡そ涚するは、これを新たにするなり。其のこれを明水と謂うや、主人の絜(いさぎよ)き、此の水に著(あら)わるるに由るなり。君再拝稽首し、肉袒(にくたん)して親ら割くは、敬の至りなり。敬の至りとは、服するなり。拝は服なり。稽首は、服の甚だしきなり。肉袒は、服の尽くるなり。祭に孝孫孝子と称するは、其の義を以て称するなり。曽孫某と称するは、国家を謂うなり。祭祀の相は、主人自ら其の敬を致し、其の嘉を尽くして、与(とも)に譲ること無きなり。腥肆爓腍(せいしせんじん)して祭る、豈に神の饗くる所を知らんや。主人自ら其の敬を尽くすのみ。斝角(かかく)を挙げて、尸を妥(やす)んずるを詔ぐ。古者、尸は事無ければ則ち立ち、事有りて後に坐するなり。尸は神の象なり。祝は命を将(おこな)うなり。縮酌(しゅくしゃく)するに茅を用うるは、酌を明らかにするなり。醆酒(さんしゅ)は清に涚し、汁献は醆酒に涚す。猶お明清と醆酒とを旧沢の酒においてするがごときなり。祭には祈ること有り、報ゆること有り、由(よ)りて辟(び)すること有り。斉の玄なるは、陰幽を以て思うなり。故に君子は三日斉すれば、必ず其の祭る所の者を見る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る