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礼記 / 坊記

子云:「祭祀之有尸也,宗廟之有主也,示民有事也。修宗廟,敬祀事,教民追孝也。以此坊民,民猶忘其親。」 子云:「敬則用祭器。故君子不以菲廢禮,不以美沒禮。故食禮,主人親饋,則客祭,主人不親饋,則客不祭。故君子苟無禮,雖美不食焉。《易》曰:『東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福。』《詩》云:『既醉以酒,既飽以德。』以此示民,民猶爭利而忘義。」

新字:子云:「祭祀之有尸也,宗廟之有主也,示民有事也。修宗廟,敬祀事,教民追孝也。以此坊民,民猶忘其親。」 子云:「敬則用祭器。故君子不以菲廃礼,不以美没礼。故食礼,主人親饋,則客祭,主人不親饋,則客不祭。故君子苟無礼,雖美不食焉。《易》曰:『東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,実受其福。』《詩》云:『既酔以酒,既飽以徳。』以此示民,民猶争利而忘義。」

書き下し

子云う、「祭祀の尸(し)有り、宗廟の主有るは、民に事うる有るを示すなり。宗廟を修め、祀事を敬するは、民に追孝を教うるなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘る」と。 子云う、「敬すれば則ち祭器を用う。故に君子は菲(うす)きを以て礼を廃せず、美を以て礼を没せず。故に食礼に、主人親ら饋(すす)むれば、則ち客祭る。主人親ら饋めざれば、則ち客祭らず。故に君子苟も礼無ければ、美なりと雖も食らわず。《易》に曰く、『東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)して、実に其の福を受くるに如かず』と。《詩》に云う、『既に酔わしむるに酒を以てし、既に飽かしむるに徳を以てす』と。此を以て民に示すも、民猶お利を争いて義を忘る」と。

現代語訳

孔子は言った。「祭祀に尸(かたしろ、祖先の霊の代わりに祭りを受ける人)を立て、宗廟に位牌(主)を置くのは、民に仕えるべき尊いものがあることを示すのである。宗廟を修め、祭祀を敬うのは、民に亡き親への孝を追い続けることを教えるのである。こうして民を防いでも、民はなお自分の親を忘れる」。 孔子は言った。「敬う心があれば祭器を用いる。それゆえ君子は、物が乏しいからといって礼を廃さず、物が立派だからといって礼をなおざりにしない。それゆえ食事の礼では、主人が自ら食膳を勧めれば、客は食前の祭り(少し取り分けて先祖を祭る所作)をし、主人が自ら勧めなければ、客は祭りをしない。それゆえ君子は、礼がなければ、どんなにご馳走でも食べない。『易経』に『東隣が牛を殺して盛大に祭るのは、西隣がささやかな禴祭(やくさい、簡素な祭り)をして、まことにその福を受けるのに及ばない』とある。『詩経』に『酒で酔わせてくださり、徳で満ち足りさせてくださった』とある。こうして民に示しても、民はなお利を争って義を忘れる」。

解説

祭祀と饗食における敬を説く段である。前半では、祭りに尸を立て宗廟に神主を置くことが、民に仕えるべき尊いものの存在を示し、亡き親への孝を追い続けさせる教えになると言う。尸は祖先の霊の依り代として祭りを受ける人で、孫の世代の者が務めるのが周の礼であった。後半は、敬があれば祭器を用い、物の乏しさや豪華さによって礼を廃したり埋もれさせたりしないと説く。主人が自ら食膳を勧めたときだけ客が食前の祭りをするのは、もてなす礼と受ける礼が呼応するからで、礼がなければご馳走でも口にしない。引かれる『易経』の句は既済卦九五の爻辞で、盛大な供物より真心のこもった質素な祭りが福を受けると説く。『詩経』大雅・既酔の句も、酒食より徳による満足を讃える。もてなしの値打ちは料理の豪華さより心配りにあるという考えは、今の会食や贈答にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

礼記坊記祭祀敬もてなし

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