礼記 / 礼器
天道至教,聖人至德。廟堂之上,罍尊在阼,犧尊在西。廟堂之下,縣鼓在西,應鼓在東。君在阼,夫人在房。大明生於東,月生於西,此陰陽之分,夫婦之位也。 君西酌犧象,夫人東酌罍尊,禮交動乎上,樂交應乎下,和之至也。
新字:天道至教,聖人至徳。廟堂之上,罍尊在阼,犠尊在西。廟堂之下,県鼓在西,応鼓在東。君在阼,夫人在房。大明生於東,月生於西,此陰陽之分,夫婦之位也。 君西酌犠象,夫人東酌罍尊,礼交動乎上,楽交応乎下,和之至也。
書き下し
天道は至教、聖人は至徳。廟堂の上、罍尊(らいそん)は阼(そ)に在り、犠尊は西に在り。廟堂の下、県鼓(けんこ)は西に在り、応鼓は東に在り。君は阼に在り、夫人は房に在り。大明は東に生じ、月は西に生ず。此れ陰陽の分、夫婦の位なり。 君は西に犠象を酌み、夫人は東に罍尊を酌む。礼は上に交々(こもごも)動き、楽は下に交々応ず。和の至りなり。
現代語訳
天の道は最高の教えであり、聖人は最高の徳を備える。宗廟の堂上では、罍尊(らいそん、雲雷の文様の酒樽)が阼階(そかい、東の階段)の上にあり、犠尊(牛の形の酒樽)が西にある。堂下では、県鼓(けんこ、懸けた大太鼓)が西にあり、応鼓(それに応じる小太鼓)が東にある。君は東の阼階の上におり、夫人は西の房にいる。太陽は東から昇り、月は西に生じる。これが陰と陽の分かれであり、夫と妻の位置である。 君は西へ進んで犠尊や象尊(象の形の酒樽)から酒を酌み、夫人は東へ進んで罍尊から酒を酌む。礼は堂上でかわるがわる動き、音楽は堂下でかわるがわる応じ合う。これが調和の極みである。
解説
宗廟の祭りにおける器と人の配置を、陰陽になぞらえて述べる段である。堂上では東に罍尊、西に犠尊を置き、堂下では西に県鼓、東に応鼓を置く。君は東に、夫人は西にいて、太陽が東から、月が西から生じるのにならう。これが陰陽の分であり夫婦の位だとする。興味深いのは後半で、君は西の犠尊から、夫人は東の罍尊から酒を酌む。つまり互いに相手の側へ進み出て酌むのである。上では礼がかわるがわる動き、下では音楽がかわるがわる応じる。東と西、陽と陰、君と夫人が、それぞれの位置を保ちながら相手の側へ行き交うことで、和の極みが生まれる。天道を至教と呼ぶのは、この自然の秩序そのものが人への教えになっているからである。夫婦や同僚が、役割を分けながらも互いの領分に歩み寄って一つの事を成すという姿は、今の家庭や職場にも通じる。
この章句が説くこと
礼記陰陽夫婦和礼器
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