礼記 / 礼器
周坐尸,詔侑武方;其禮亦然,其道一也;夏立尸而卒祭;殷坐尸。周旅酬六尸,曾子曰:「周禮其猶醵與!」 君子曰:「禮之近人情者,非其至者也。郊血,大饗腥,三獻爓,一獻孰。」是故君子之於禮也,非作而致其情也,此有由始也。是故七介以相見也,不然則已愨。三辭三讓而至,不然則已蹙。故魯人將有事於上帝,必先有事於頖宮。晉人將有事於河,必先有事於惡池。齊人將有事於泰山,必先有事於配林。三月繫,七日戒,三日宿,慎之至也。
新字:周坐尸,詔侑武方;其礼亦然,其道一也;夏立尸而卒祭;殷坐尸。周旅酬六尸,曽子曰:「周礼其猶醵与!」 君子曰:「礼之近人情者,非其至者也。郊血,大饗腥,三献爓,一献孰。」是故君子之於礼也,非作而致其情也,此有由始也。是故七介以相見也,不然則已愨。三辞三譲而至,不然則已蹙。故魯人将有事於上帝,必先有事於頖宮。晋人将有事於河,必先有事於悪池。斉人将有事於泰山,必先有事於配林。三月繋,七日戒,三日宿,慎之至也。
書き下し
周は尸を坐せしめ、侑(ゆう)を詔(つ)ぐること武(む)方なり。其の礼も亦た然り、其の道は一なり。夏は尸を立てて祭を卒う。殷は尸を坐せしむ。周は旅酬(りょしゅう)六尸。曾子曰く、「周の礼は其れ猶お醵(きょ)のごときか」と。 君子曰く、「礼の人情に近き者は、其の至れる者に非ざるなり。郊は血、大饗は腥(せい)、三献は爓(せん)、一献は孰(じゅく)」と。是の故に君子の礼に於けるや、作りて其の情を致すに非ざるなり。此れ由りて始まる有るなり。是の故に七介以て相見ゆるなり、然らざれば則ち已(はなは)だ愨(かく)なり。三辞三譲して至る、然らざれば則ち已だ蹙(せま)し。故に魯人将に上帝に事有らんとすれば、必ず先ず頖宮(はんきゅう)に事有り。晋人将に河に事有らんとすれば、必ず先ず悪池(こだ)に事有り。斉人将に泰山に事有らんとすれば、必ず先ず配林に事有り。三月繋(つな)ぎ、七日戒め、三日宿す。慎みの至りなり。
現代語訳
周では尸(しかばね、祭りで祖先の代わりに座る者)を座らせ、尸に飲食を勧めるには決まった型がない(鄭玄は武を無の誤りとする)。その礼も殷のやり方を受け継いだもので、道は一つである。夏では尸を立たせたまま祭りを終えた。殷では尸を座らせた。周では旅酬(りょしゅう、順に酒を勧め合う儀)で六人の尸が互いに酒を酌み交わす。曾子は言った。「周の礼は、醵(きょ、銭を出し合って飲む酒盛り)のようなものか」。 君子は言う。「人の情に近い礼は、最上の礼ではない。天を祭る郊の祭りには血を供え、宗廟の大饗には生肉を供え、三献の祭りには湯通しした肉を供え、一献の祭りには煮た肉を供える」。だから君子の礼は、ことさらに作り上げて情を尽くそうとするものではなく、そうなった由来がある。だから諸侯が会見するときには七人の介(副使)を介して取り次ぐのであり、そうしなければあまりにも直情的すぎる。三度辞退し三度譲ってから進むのであり、そうしなければあまりにもせわしない。だから魯の人は上帝を祭ろうとするときには、必ず先に頖宮(はんきゅう、諸侯の学校)で祭る。晋の人は黄河を祭ろうとするときには、必ず先に悪池(こだ、鄭玄は呼池=滹沱河とする)を祭る。斉の人は泰山を祭ろうとするときには、必ず先に配林(泰山の麓の林)を祭る。犠牲を三か月つないで養い、七日間の戒めを行い、三日間の斎戒をする。これはつつしみの極みである。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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