礼記 / 礼器
孔子曰:「臧文仲安知禮!夏父弗綦逆祀而弗止也。燔柴於奧,夫奧者,老婦之祭也,盛於盆,尊於瓶。」 禮也者,猶體也。體不備,君子謂之不成人。設之不當,猶不備也。禮有大有小,有顯有微。大者不可損,小者不可益,顯者不可揜,微者不可大也。故經禮三百,曲禮三千,其致一也。未有入室而不由戶者。君子之於禮也,有所竭情盡慎,致其敬而誠若,有美而文而誠若。君子之於禮也,有直而行也,有曲而殺也,有經而等也,有順而討也,有摲而播也,有推而進也,有放而文也,有放而不致也,有順而摭也。三代之禮一也,民共由之。或素或青,夏造殷因。
新字:孔子曰:「臧文仲安知礼!夏父弗綦逆祀而弗止也。燔柴於奥,夫奥者,老婦之祭也,盛於盆,尊於瓶。」 礼也者,猶体也。体不備,君子謂之不成人。設之不当,猶不備也。礼有大有小,有顕有微。大者不可損,小者不可益,顕者不可揜,微者不可大也。故経礼三百,曲礼三千,其致一也。未有入室而不由戸者。君子之於礼也,有所竭情尽慎,致其敬而誠若,有美而文而誠若。君子之於礼也,有直而行也,有曲而殺也,有経而等也,有順而討也,有摲而播也,有推而進也,有放而文也,有放而不致也,有順而摭也。三代之礼一也,民共由之。或素或青,夏造殷因。
書き下し
孔子曰く、「臧文仲(ぞうぶんちゅう)安(いずく)んぞ礼を知らん。夏父弗綦(かほふつき)逆祀して止めざるなり。柴を奥に燔(や)く。夫れ奥なる者は、老婦の祭なり。盆に盛り、瓶に尊す」と。 礼なる者は、猶お体のごときなり。体備わらざれば、君子之を不成人と謂う。之を設けて当たらざれば、猶お備わらざるがごときなり。礼に大有り小有り、顕有り微有り。大なる者は損すべからず、小なる者は益すべからず、顕なる者は揜(おお)うべからず、微なる者は大にすべからざるなり。故に経礼三百、曲礼三千、其の致は一なり。未だ室に入りて戸に由らざる者有らざるなり。君子の礼に於けるや、情を竭(つ)くし慎みを尽くし、其の敬を致して誠若(せいじゃく)たる所有り、美にして文にして誠若たる有り。君子の礼に於けるや、直にして行う有り、曲にして殺(そ)ぐ有り、経にして等しき有り、順にして討(のぞ)く有り、摲(さん)にして播(し)く有り、推して進む有り、放(なら)いて文なる有り、放いて致さざる有り、順にして摭(ひろ)う有り。三代の礼は一なり、民共に之に由る。或いは素、或いは青、夏造りて殷因る。
現代語訳
孔子は言った。「臧文仲(魯の大夫)がどうして礼を知っていると言えようか。夏父弗綦(かほふつき、魯の宗廟の祭りを掌る官)が祖先の祭りの順序を逆さにしたのに止めなかった。また奥(鄭玄は爨、かまどの意とする)の祭りで、天を祭るように柴を焼かせた。そもそも奥の祭りとは、老婦(はじめて炊事をした人)を祭るもので、食物は盆に盛り、酒は瓶に入れる程度のものである」。 礼とは、人の身体のようなものである。身体が備わっていなければ、君子はそれを一人前の人と言わない。礼を設けても場にふさわしくなければ、備わっていないのと同じである。礼には大きなものと小さなもの、あらわなものとかすかなものがある。大きなものは減らしてはならず、小さなものは増やしてはならず、あらわなものは覆い隠してはならず、かすかなものは大きくしてはならない。だから根本の礼が三百、細かな礼が三千あっても、その行き着くところは一つである。部屋に入るのに戸口を通らない者がいないように、礼を通らずに事を成す者はいない。君子の礼には、情を尽くし、つつしみを尽くし、敬意を極めてまことに従うものがあり、また美しく文飾を整えてまことに従うものがある。君子の礼には、まっすぐに情のままに行うものがあり、曲げて減らすものがあり、常の法として上下等しくするものがあり、順に従って数を減らしていくものがあり、刈り取って下々にも分け与えるものがあり、推し進めて上の礼を用いるものがあり、上にならって文飾するものがあり、上にならいつつも極めないものがあり、順に従って拾い取るものがある。夏・殷・周の三代の礼は根本において一つであり、民はみなそれに従った。白を尊ぶ代もあれば青(黒)を尊ぶ代もあったが、夏が作ったものを殷が受け継いだのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・曲禮子貢問冉求曰く、「昔文仲は魯国の政を知り、言を立て法を垂る。今に於いて亡びず、礼を知ると謂うべきか」と。孔子曰く、「昔臧文仲安んぞ礼を知らんや。夏父弗綦逆祀するも止めず、竈に柴を燔きて以て祀る。夫れ竈なる者は、老婦の祭る所なり。甕に盛り、瓶に尊す、柴す所に非ざるなり。故に曰く、礼なる者は、体に由るなり。体備わらざれば、之を不成と謂う。人の之を設くること当たらざれば、猶お備わらざるがごとし」と。
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礼記・礼器孔子曰く、「詩三百を誦(しょう)するも、以て一献するに足らず。一献の礼は、以て大饗(たいきょう)するに足らず。大饗の礼は、以て大旅するに足らず。大旅具(そな)わるも、以て帝を饗するに足らず。軽々しく礼を議すること毋(な)かれ」と。 子路、季氏の宰と為る。季氏祭るに、闇(くら)きに逮(およ)びて祭り、日足らず、これに継ぐに燭を以てす。強力の容、粛敬の心有りと雖も、皆倦怠す。有司、跛倚(はい)して以て祭に臨む、その不敬たること大なり。他日祭るに、子路与(あずか)る。室事は戸に交え、堂事は階(きざはし)に交え、質明にして始めて事を行い、晏朝(あんちょう)にして退く。孔子これを聞きて曰く、「誰か由や礼を知らずと謂わんや」と。
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礼記・礼器古の聖人は、之を内にするを尊しと為し、之を外にするを楽しと為し、之を少なくするを貴しと為し、之を多くするを美と為す。是の故に先王の礼を制するや、多くすべからず、寡なくすべからず、唯だ其れ称(かな)うのみ。 是の故に君子大牢にして祭る、之を礼と謂う。匹士大牢にして祭る、之を攘(じょう)と謂う。管仲は鏤簋(ろうき)・朱紘(しゅこう)、山節・藻梲(そうせつ)、君子以て濫(らん)と為す。晏平仲(あんぺいちゅう)其の先人を祀るに、豚肩豆を揜(おお)わず。澣衣濯冠(かんいたくかん)して以て朝す。君子以て隘(あい)と為す。
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礼記・礼器礼に文を以て貴しと為す者有り。天子は竜袞(りょうこん)、諸侯は黼(ほ)、大夫は黻(ふつ)、士は玄衣纁裳(げんいくんしょう)。天子の冕(べん)は、朱緑の藻(そう)、十有二旒(りゅう)、諸侯は九、上大夫は七、下大夫は五、士は三。此れ文を以て貴しと為すなり。 素を以て貴しと為す者有り。至敬は文無く、父党は容無く、大圭は琢(たく)せず、大羹(たいこう)は和せず、大路は素にして越席(かっせき)、犠尊(ぎそん)は疏布の鼏(べき)、樿杓(せんしゃく)。此れ素を以て貴しと為すなり。孔子曰く、「礼は、省みざるべからざるなり。礼は同じからず、豊かにせず、殺(そ)がず」と。此れの謂いなり。蓋し称を言うなり。
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孔子家語・問禮言偃問いて曰く、「夫子の礼を極言せらるるや、得て聞くべきか。」孔子言えらく、「我夏を観んと欲し、是の故に杞に之くも、征するに足らざるなり、吾夏時を得たり。我殷道を観んと欲し、是の故に宋に之くも、征するに足らざるなり、吾乾坤を得たり。乾坤の義、夏時の等、吾此を以て之を観る。夫れ礼は、初めや飲食に始まる。太古の時、黍を燔き豚を擘き、罇を汙ちて杯飲し、蕢桴土鼓すれども、猶お以て鬼神を敬するに致すべし。其の死するに及びてや、屋に升りて号び告げて曰く、皋、某復べ、と。然る後腥を飲み苴を熟し、形体は則ち降り、魂気は則ち上る。是を天望地蔵と謂うなり。故に生者は南向し、死者は北首す、皆其の初めに従うなり。昔の王者、未だ宮室有らず。冬は則ち営窟に居り、夏は則ち櫓巣に居る。未だ火化有らず、草木の実、鳥獣の肉を食らう。其の血を飲み、其の毛を茹らう。未だ絲麻有らず、其の羽皮を衣る。後聖作有りて、然る後火の利を修め、金を範して土を合わせ、以て宮室戸牖を為り、以て炮し以て燔き、以て烹し以て炙り、以て醴酪を為り、其の絲麻を治め、以て布帛を為り、以て生を養い死を送り、以て鬼神に事う。故に玄酒室に在り、醴醆戸に在り、粢醍堂に在り、澄酒下に在り。其の犠牲を陳べ、其の鼎俎を備え、其の琴瑟を列ね、管磬鐘鼓もて、以て上神を降す。其の先祖と与に、以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦じくし、以て上下を斉しくし、夫婦所有り。是を天の佑を承くと謂うなり。其の祝号を作り、玄酒以て祭り、其の血毛を薦め、其の俎を腥にし、其の殽を熟し、席を越えて坐す。羃を以て布き、其の浣帛を衣、醴醆以て献じ、其の燔炙を薦め、君と夫人と、交献して以て魂魄に嘉し、然る後退きて合烹し、其の犬豕牛羊を体し、其の簠簋を実たし、籩豆铏羹す。祝は孝を以て告げ、嘏は慈を以て告ぐ。是を大祥と為す。此れ礼の大成なり。」
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史記 礼書太史公曰く、洋洋たる美徳かな。万物を宰制し、群衆を役使す、豈に人力ならんや。余、大行の礼官に至り、三代の損益を観て、乃ち人情に縁りて礼を制し、人性に依りて儀を作るを知る、其の由りて来たる所尚し。人道は経緯万端、規矩貫かざる所無し。誘ひ進むるに仁義を以てし、束縛するに刑罰を以てす、故に徳厚き者は位尊く、禄重き者は寵栄あり、海内を総一して万民を整斉する所以なり。人体は駕乗に安んず、之が為に金輿錯衡を為りて以て其の飾りを繁くす。目は五色を好む、之が為に黼黻文章を為りて以て其の能を表す。耳は鐘磬を楽しむ、之が為に八音を調諧して以て其の心を蕩かす。口は五味を甘しとす、之が為に庶羞酸鹹を為りて以て其の美を致す。情は珍善を好む、之が為に圭璧を琢磨して以て其の意を通ず。故に大路に越席し、皮弁布裳、朱弦洞越、大羹玄酒は、其の淫侈を防ぎ、其の彫敝を救ふ所以なり。是を以て君臣朝廷尊卑貴賤の序より、下は黎庶の車輿衣服宮室飲食嫁娶喪祭の分に及ぶまで、事に宜適有り、物に節文有り。仲尼曰く、「褅は既に灌してより往は、吾之を観るを欲せず」と。周衰へ、礼廃れ楽壊れ、大小相踰え、管仲の家は三帰を兼備す。法に循ひ正を守る者は世に侮られ、奢溢僭差する者は之を顕栄と謂ふ。子夏は門人の高弟なるより、猶云ふ、「出でては紛華盛麗を見て説び、入りては夫子の道を聞きて楽しむ、二者心に戦ひて、未だ自ら決する能はず」と。而るを況んや中庸以下の、失教に漸漬し、成俗に被服する者をや。孔子曰く「必ずや名を正さんか」と、衛に於いて居る所合はず。仲尼没して後、受業の徒沈湮して挙がらず、或いは斉・楚に適き、或いは河海に入る、豈に痛ましからずや。
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