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礼記 / 文王世子

凡學,春官釋奠於其先師,秋冬亦如之。凡始立學者,必釋奠於先聖先師;及行事,必以幣。凡釋奠者,必有合也,有國故則否。凡大合樂,必遂養老。 凡語於郊者,必取賢斂才焉。或以德進,或以事舉,或以言揚。曲藝皆誓之,以待又語。三而一有焉,乃進其等,以其序,謂之郊人,遠之。於成均以及取爵於上尊也。始立學者,既興器用幣,然後釋菜不舞不授器,乃退。儐於東序,一獻,無介語可也。教世子。

新字:凡学,春官釈奠於其先師,秋冬亦如之。凡始立学者,必釈奠於先聖先師;及行事,必以幣。凡釈奠者,必有合也,有国故則否。凡大合楽,必遂養老。 凡語於郊者,必取賢斂才焉。或以徳進,或以事舉,或以言揚。曲芸皆誓之,以待又語。三而一有焉,乃進其等,以其序,謂之郊人,遠之。於成均以及取爵於上尊也。始立学者,既興器用幣,然後釈菜不舞不授器,乃退。儐於東序,一献,無介語可也。教世子。

書き下し

凡そ学は、春に官ごとに其の先師に釈奠(せきてん)し、秋冬も亦た之の如くす。凡そ始めて学を立つる者は、必ず先聖先師に釈奠す。事を行うに及びては、必ず幣を以てす。凡そ釈奠する者は、必ず合する有り、国の故有れば則ち否ず。凡そ大いに楽を合すれば、必ず遂に老を養う。 凡そ郊に語る者は、必ず賢を取り才を斂(おさ)む。或いは徳を以て進み、或いは事を以て挙げられ、或いは言を以て揚げらる。曲芸は皆之を誓(つつし)ましめ、以て又語るを待つ。三にして一有らば、乃ち其の等を進め、其の序を以てし、之を郊人と謂い、之を遠ざく。成均に於いて以て爵を上尊に取るに及ぶなり。始めて学を立つる者は、既に器を興して幣を用い、然る後に釈菜(せきさい)して舞わず器を授けず、乃ち退く。東序に儐(ひん)し、一献して、介無く語りて可なり。世子を教う。

現代語訳

およそ学校では、春に各科の教官がそれぞれの先師(その学を伝えた先人)に釈奠(せきてん、供え物を置いて祭る儀式)を行い、秋と冬にも同じようにする。およそ初めて学校を建てるときには、必ず先聖(せんせい、道を開いた聖人)と先師に釈奠を行う。その儀式を行うときには、必ず絹を供える。およそ釈奠するときには、自国に祭るべき先聖先師がいなければ隣国と合わせて祭る。自国にゆかりの先聖先師がいれば、その必要はない。およそ盛大に楽を合奏するときには、必ず続けて養老の礼を行う。 およそ郊外の学校で論議するときには、必ず賢者を選び出し、才能ある者を集める。ある者は徳によって進められ、ある者は仕事の実績によって挙げられ、ある者は言論によって引き立てられる。こまごまとした技芸の持ち主には、みなその技をよく慎んで修めさせ、次の論議を待たせる。三度論議して一度でも見るべきところがあれば、その等級を進めて順序をつけ、これを郊人(こうじん)と呼んで、学生とは区別して遠ざけておく。それでも成均(せいきん、大学)での酒宴では、堂上の酒樽から杯を受けることが許される。初めて学校を建てるときには、器物を作り終えて絹を供え、それから釈菜(せきさい、野菜を供える簡略な祭り)を行うが、舞はせず、舞の器も授けずに退く。東序で賓客をもてなし、一献だけ酌み交わし、介添えなしで語り合ってよい。以上が世子を教えることについての章である。

解説

学校での先師の祭りと、人材の選び方を述べる段である。学校では季節ごとに各科の先師を祭り、学校を創立したときは先聖と先師を祭る。鄭玄は、自国に祭るべき先聖先師がなければ隣国と合わせて祭り、唐虞の夔や伯夷、周の周公、魯の孔子のように自国にいればそれぞれを祭ると注している。後半は郊外の学で人材を論ずることで、徳・事・言の三つの道から賢才を挙げる。医術や卜筮のような技芸の者も退けずに修練させ、見るべきところがあれば等級を進めるが、郊人と呼んで学士とは区別する。鄭玄は、俊選と呼ばず郊人と呼ぶのは技芸を賤しんだからだと注するが、それでも大学の宴では上座の酒を受けられる。人の能力を一つの物差しで測らず、徳・実績・言論・技芸と複数の道を用意する考え方は、今の人事評価にも通じる。

この章句が説くこと

礼記文王世子釈奠人材学校

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