礼記 / 文王世子
成王幼,不能蒞阼,周公相,踐阼而治。抗世子法於伯禽,欲令成王之知父子、君臣、長幼之道也;成王有過,則撻伯禽,所以示成王世子之道也。文王之為世子也。
新字:成王幼,不能莅阼,周公相,践阼而治。抗世子法於伯禽,欲令成王之知父子、君臣、長幼之道也;成王有過,則撻伯禽,所以示成王世子之道也。文王之為世子也。
書き下し
成王幼にして、阼(そ)に蒞(のぞ)むこと能わず、周公相(たす)け、阼を践(ふ)みて治む。世子の法を伯禽(はくきん)に抗(あ)げ、成王をして父子・君臣・長幼の道を知らしめんと欲するなり。成王過ち有れば、則ち伯禽を撻(むちう)つ、成王に世子の道を示す所以なり。文王の世子為るなり。
現代語訳
成王(せいおう、武王の子)は幼くて、君主の位に就いて政治を執ることができなかったので、周公(しゅうこう、武王の弟)が補佐し、君主の位に代わって立って国を治めた。周公は世子の教育法を自分の子の伯禽(はくきん)に当てはめて行い、成王に父子・君臣・長幼の道を知らせようとした。成王に過ちがあれば、伯禽を鞭打った。成王に世子としての道を示すためである。以上が「文王の世子為るや」の章である。
解説
成王が幼くして即位したとき、叔父の周公が摂政として国を治め、成王を教育した方法を述べる。周公は、世子に施すべき教育を自分の子の伯禽に施し、成王をその傍らで一緒に学ばせた。そして成王が過ちを犯すと、伯禽のほうを鞭打った。鄭玄は、抗を挙げると読み、世子の法を挙げて伯禽と成王をともに居させて学ばせたのだと注する。君主となる者を直接鞭打つことはできないので、身代わりを打って悟らせたのである。自分の子に痛みを負わせてまで主君を育てる周公の姿は、後段で孔子の言葉として改めて称えられる。末尾の一句は、鄭玄が上の事を題すると注するとおり、章のまとめである。上に立つ者を育てることがいかに難しいかを物語る話で、直接は叱れない相手をどう導くかという問いは今もある。
この章句が説くこと
礼記文王世子周公教育成王
関連する章句
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礼記・文王世子君子曰く、徳あり、徳成りて教え尊く、教え尊くして官正しく、官正しくして国治まる、君の謂なり。 仲尼曰く、「昔者、周公摂政し、阼を践みて治め、世子の法を伯禽に抗ぐ、成王を善くする所以なり。之を聞く、曰く、人臣為る者は、其の身を殺して君に益有らば則ち之を為す、況んや其の身を於(う)にして以て其の君を善くするをや。周公は優(ゆた)かに之を為せり」と。是の故に人の子為ることを知りて、然る後に以て人の父為るべし。人の臣為ることを知りて、然る後に以て人の君為るべし。人に事うることを知りて、然る後に能く人を使う。成王幼にして、阼に蒞むこと能わず、以て世子と為せば、則ち為すこと無し。是の故に世子の法を伯禽に抗げ、之をして成王と居らしめ、成王をして父子・君臣・長幼の義を知らしめんと欲するなり。
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孔子家語・曲禮子夏問子夏、孔子に問いて曰く、「記に云う、『周公成王を相け、之に教うるに世子の礼を以てす』と。諸れ有りや」と。孔子曰く、「昔者成王嗣立するに、幼くして未だ阼に蒞む能わず、周公政を摂りて治め、世子の法を伯禽に抗げ、王をして父子君臣の道を知らしめんと欲す、成王を善くする所以なり。夫れ人の子為るを知りて、然る後以て人の父為るべし。人の臣為るを知りて、然る後以て人の君為るべし。人に事うるを知りて、然る後以て人を使うべし。是の故に世子の法を伯禽に抗げ、成王をして父子君臣長幼の義を知らしむ。凡そ君の世子に於けるや、親しむこと則ち父なり、尊ぶこと則ち君なり、父の親有り、君の尊有り、然る後天下を兼ねて之を有つ、慎まざるべからざるなり。一物を行いて三善皆得るは、唯だ世子学に歯するの謂いなり。世子学に歯すれば、則ち国人之を観る。曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『父在れば則ち礼然り、然して衆父子の道を知る』と。其の一に曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『臣在れば、則ち礼然り、而して衆君臣の義を知る』と。其の三に曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『長を長とするなり、則ち礼然り、然して衆長幼の節を知る』と。故に父在れば斯れ子為り、君在れば斯れ臣為り、君子と臣との位、君を尊びて親を親しむ所以なり。学に在りては、之に父子たるを学び、之に君臣たるを学び、之に長幼たるを学び、父子君臣長幼の道得て、而る後国治まる。語に曰く、『楽正業を司り、父師成を司り、一に元良有れば、万国以て貞し』と、世子の謂いなり。之を聞くに曰く、『人臣為る者は、其の身を殺して君に益有らば則ち之を為す、況んや其の身を以て、其の君を善くするをや、周公優れて之を為せり』と。
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礼記・文王世子君の世子に於けるや、親しきは則ち父なり、尊きは則ち君なり。父の親有り、君の尊有りて、然る後に天下を兼ねて之を有つ。是の故に、世子を養うは慎まざるべからず。一物を行いて三善皆得る者は、唯だ世子のみ。其れ学に歯(し)するの謂なり。故に世子学に歯すれば、国人之を観て曰く、「将に我に君たらんとして我と歯譲するは何ぞや」と。曰く、「父在る有れば則ち礼然り」と。然して衆、父子の道を知る。其の二に曰く、「将に我に君たらんとして我と歯譲するは何ぞや」と。曰く、「君在る有れば則ち礼然り」と。然して衆、君臣の義に著(あき)らかなり。其の三に曰く、「将に我に君たらんとして我と歯譲するは何ぞや」と。曰く、「長を長とするなり」と。然して衆、長幼の節を知る。故に父在れば斯に子と為り、君在れば斯に之を臣と謂う。子と臣との節に居るは、君を尊び親を親しむ所以なり。故に之を学びて父子と為り、之を学びて君臣と為り、之を学びて長幼と為る。父子・君臣・長幼の道得て、国治まる。語に曰く、「楽正は業を司り、父師は成を司る。一に元良有れば、万国以て貞(ただ)し」と。世子の謂なり。周公阼を践む。
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礼記・文王世子文王の世子為るや、王季に朝すること、日に三たびす。雞初めて鳴きて衣服し、寝門の外に至り、内豎(ないじゅ)の御者に問いて曰く、「今日安否何如」と。内豎曰く、「安し」と。文王乃ち喜ぶ。日中に及びて、又至り、亦た之の如くす。莫(くれ)に及びて、又至り、亦た之の如くす。其の安からざる節有れば、則ち内豎以て文王に告ぐ。文王色憂え、行くに履(ふ)むことを正すこと能わず。王季膳を復して、然る後に亦た初めに復す。食上(すす)むれば、必ず在りて、寒暖の節を視る。食下(さ)がれば、膳する所を問う。膳宰に命じて曰く、「原(ふたた)びすること有る末(なか)れ」と。応じて曰く、「諾」と。然る後に退く。
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