孔子家語 / 曲禮子夏問
子夏問於孔子曰:「記云:『周公相成王,教之以世子之禮。』有諸?」孔子曰:「昔者成王嗣立,幼未能蒞阼,周公攝政而治,抗世子之法於伯禽,欲王之知父子君臣之道,所以善成王也。夫知為人子者,然後可以為人父;知為人臣者,然後可以為人君;知事人者,然後可以使人。是故抗世子法於伯禽,使成王知父子君臣長幼之義焉。凡君之於世子,親則父也,尊則君也,有父之親,有君之尊,然後兼天下而有之,不可不慎也。行一物而三善皆得,唯世子齒於學之謂也,世子齒於學,則國人觀之。曰:『此將君我而與我齒讓,何也?』曰:『有父在則禮然,然而眾知父子之道矣。』其一曰:『此將君我而與我齒讓何也?』曰:『有臣在,則禮然,而眾知君臣之義矣。』其三曰:『此將君我而與我齒讓,何也?』曰:『長長也,則禮然,然而眾知長幼之節矣。』故父在斯為子,君在斯為臣,君子與臣之位,所以尊君而親親也。在學,學之為父子焉,學之為君臣焉,學之為長幼焉,父子君臣長幼之道得,而後國治。語曰:『樂正司業,父師司成,一有元良,萬國以貞,世子之謂。』聞之曰:『為人臣者,殺其身而有益於君則為之,況於其身,以善其君乎,周公優為也。」
新字:子夏問於孔子曰:「記云:『周公相成王,教之以世子之礼。』有諸?」孔子曰:「昔者成王嗣立,幼未能蒞阼,周公摂政而治,抗世子之法於伯禽,欲王之知父子君臣之道,所以善成王也。夫知為人子者,然後可以為人父;知為人臣者,然後可以為人君;知事人者,然後可以使人。是故抗世子法於伯禽,使成王知父子君臣長幼之義焉。凡君之於世子,親則父也,尊則君也,有父之親,有君之尊,然後兼天下而有之,不可不慎也。行一物而三善皆得,唯世子齒於学之謂也,世子齒於学,則国人観之。曰:『此将君我而与我齒譲,何也?』曰:『有父在則礼然,然而眾知父子之道矣。』其一曰:『此将君我而与我齒譲何也?』曰:『有臣在,則礼然,而眾知君臣之義矣。』其三曰:『此将君我而与我齒譲,何也?』曰:『長長也,則礼然,然而眾知長幼之節矣。』故父在斯為子,君在斯為臣,君子与臣之位,所以尊君而親親也。在学,学之為父子焉,学之為君臣焉,学之為長幼焉,父子君臣長幼之道得,而後国治。語曰:『楽正司業,父師司成,一有元良,万国以貞,世子之謂。』聞之曰:『為人臣者,殺其身而有益於君則為之,況於其身,以善其君乎,周公優為也。」
書き下し
子夏、孔子に問いて曰く、「記に云う、『周公成王を相け、之に教うるに世子の礼を以てす』と。諸れ有りや」と。孔子曰く、「昔者成王嗣立するに、幼くして未だ阼に蒞む能わず、周公政を摂りて治め、世子の法を伯禽に抗げ、王をして父子君臣の道を知らしめんと欲す、成王を善くする所以なり。夫れ人の子為るを知りて、然る後以て人の父為るべし。人の臣為るを知りて、然る後以て人の君為るべし。人に事うるを知りて、然る後以て人を使うべし。是の故に世子の法を伯禽に抗げ、成王をして父子君臣長幼の義を知らしむ。凡そ君の世子に於けるや、親しむこと則ち父なり、尊ぶこと則ち君なり、父の親有り、君の尊有り、然る後天下を兼ねて之を有つ、慎まざるべからざるなり。一物を行いて三善皆得るは、唯だ世子学に歯するの謂いなり。世子学に歯すれば、則ち国人之を観る。曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『父在れば則ち礼然り、然して衆父子の道を知る』と。其の一に曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『臣在れば、則ち礼然り、而して衆君臣の義を知る』と。其の三に曰く、『此れ将に我に君として我と歯譲せんとするは、何ぞや』と。曰く、『長を長とするなり、則ち礼然り、然して衆長幼の節を知る』と。故に父在れば斯れ子為り、君在れば斯れ臣為り、君子と臣との位、君を尊びて親を親しむ所以なり。学に在りては、之に父子たるを学び、之に君臣たるを学び、之に長幼たるを学び、父子君臣長幼の道得て、而る後国治まる。語に曰く、『楽正業を司り、父師成を司り、一に元良有れば、万国以て貞し』と、世子の謂いなり。之を聞くに曰く、『人臣為る者は、其の身を殺して君に益有らば則ち之を為す、況んや其の身を以て、其の君を善くするをや、周公優れて之を為せり』と。
現代語訳
子夏が孔子に尋ねた。「記録には『周公は成王を補佐し、世子としての礼をもって彼を教育した』とあります。これは事実でしょうか。」孔子は答えた。「昔、成王が王位を継いだとき、幼くして自ら即位して政治を執ることができなかったので、周公が政治を代行して治め、世子として守るべき作法を伯禽に授けて実践させた。それは成王に父子・君臣の道を知らせようとしたからであり、成王を立派に育て上げるためであった。人の子としてのあり方を知って、初めて人の父としてのあり方を知ることができる。人の臣としてのあり方を知って、初めて人の君としてのあり方を知ることができる。人に仕える立場を知って、初めて人を使う立場を理解できる。だから世子としての作法を伯禽に授けて実践させ、成王に父子・君臣・長幼の道理を知らせたのだ。およそ君主にとって世子とは、親しみの上では我が子であり、尊さの上では将来の君主である。父としての親しみと君としての尊さをあわせ持って初めて、天下を治め保つことができる。だから慎重に育てなければならない。一つの行いによって三つの善がすべて得られる、それはただ世子が学校で年齢順の席次に従うということに尽きる。世子が学校で年齢順に座れば、国じゅうの人々がそれを見て言う。『この方は将来我々の君主となる方なのに、我々と年齢の順で席を譲り合っておられる、これはどういうことか』と。答えて言う、『父君がご存命の間はこの礼が当然なのだ、そしてこれによって人々は父子の道を知るのだ』と。二つ目にも人々は言う、同じ問いを。答えて言う、『天子である君がご存命の間はこの礼が当然なのだ、そしてこれによって人々は君臣の義を知るのだ』と。三つ目にも人々は言う、同じ問いを。答えて言う、『年長者を敬うということだ、この礼が当然なのだ、そしてこれによって人々は長幼の節度を知るのだ』と。だから父が在せば子としての立場であり、君が在せば臣としての立場である。君子と臣下それぞれの立場は、君を尊びながら親を親しむためのものである。学校では、父子のあり方を学び、君臣のあり方を学び、長幼のあり方を学び、父子・君臣・長幼の道が身についてこそ、国はよく治まる。言い伝えに『楽正は技芸を司り、父師は人格の完成を司る、ひとたび元良を身につければ、万国はこれによって正しくなる』とあるが、これはまさに世子のことを言っているのだ。私はこうも聞いている。『人の臣たる者は、我が身を犠牲にしても君のためになるなら、それを行うものだ。まして自らの行いによって君を立派にすることにおいては、なおさらだ。周公はこれを見事にやり遂げた人だ』と。」