童子問 / 卷中
問。何謂達孝。曰。達孝也者。謂通天下之孝。而非一人之小孝也。夫飮食供奉。左右就養者。人子之常職。而不足以爲孝。惟善繼人之志。善述人之事。立身行道。揚名於後世。以顯父母。而後足以稱孝也。孔子曰。孟莊子之孝也。其他可能也。其不改父之臣與父之政。是難能也。莊子父獻子。魯之賢大夫。顯名諸侯。其臣皆獻子之所擧。其政皆獻子之所建。人材紀綱。足以遺後嗣。莊子皆能用之。而不改。故夫子稱之。言莊子之孝。其難能者固多。然不如此二事之最爲難能也。由此觀之。斁其先業。墮其家聲者。雖有他美。不孝之甚也。孟懿子問孝。子曰。生事之以禮。死葬之以禮。祭之以禮。葢懿子魯之上卿。民之所具瞻。而生事葬祭以禮。則非徒能治其家有法。亦足以善魯國。君以爲忠。民以爲歸。可以永孟氏之祀。故夫子以此告之。深哉。
新字:問。何謂達孝。曰。達孝也者。謂通天下之孝。而非一人之小孝也。夫飲食供奉。左右就養者。人子之常職。而不足以為孝。惟善継人之志。善述人之事。立身行道。揚名於後世。以顕父母。而後足以称孝也。孔子曰。孟荘子之孝也。其他可能也。其不改父之臣与父之政。是難能也。荘子父献子。魯之賢大夫。顕名諸侯。其臣皆献子之所挙。其政皆献子之所建。人材紀綱。足以遺後嗣。荘子皆能用之。而不改。故夫子称之。言荘子之孝。其難能者固多。然不如此二事之最為難能也。由此観之。斁其先業。堕其家声者。雖有他美。不孝之甚也。孟懿子問孝。子曰。生事之以礼。死葬之以礼。祭之以礼。葢懿子魯之上卿。民之所具瞻。而生事葬祭以礼。則非徒能治其家有法。亦足以善魯国。君以為忠。民以為帰。可以永孟氏之祀。故夫子以此告之。深哉。
書き下し
問ふ。何をか達孝と謂ふ。曰く、達孝なる者は、天下に通ずるの孝にして、一人の小孝に非ざるを謂ふなり。夫れ飲食供奉、左右就養する者は、人子の常職にして、以て孝と為すに足らず。惟善く人の志を継ぎ、善く人の事を述べ、身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて、以て父母を顕して、而る後に孝と称するに足るなり。孔子曰く、孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難きなり、と。荘子の父献子は、魯の賢大夫にして、名を諸侯に顕す。其の臣は皆献子の挙ぐる所、其の政は皆献子の建つる所なり。人材紀綱、以て後嗣に遺すに足る。荘子皆能く之を用ひて改めず。故に夫子之を称す。言ふこころは、荘子の孝、其の能くし難き者固より多し。然れども此の二事の最も能くし難しと為るに如かざるなり。此に由りて之を観れば、其の先業を斁り、其の家声を堕す者は、他の美有りと雖も、不孝の甚だしきなり。孟懿子孝を問ふ。子曰く、生けるには之に事ふるに礼を以てし、死すれば之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。蓋し懿子は魯の上卿にして、民の具に瞻る所なり。而して生事葬祭礼を以てすれば、則ち徒に能く其の家を治めて法有るのみに非ず、亦以て魯国を善くするに足る。君は以て忠と為し、民は以て帰と為し、以て孟氏の祀を永くすべし。故に夫子此を以て之に告ぐ。深いかな。
現代語訳
問う。達孝とは何か。答える。達孝とは、天下に通じる孝であって、一人の小さな孝ではないことをいう。そもそも飲食を供え、そば近くで世話をすることは子として当然の務めであって、それだけで孝とするには足りない。ただ親の志をよく受け継ぎ、親の事業をよく述べ伝え、身を立て道を行い、名を後世にあげて父母を顕彰してこそ、孝と称するに足るのである。孔子は「孟荘子の孝は、ほかのことは誰でもできる。父の家臣と父の政治を改めなかったことは、なかなかできないことだ」と言った。荘子の父の献子は魯の賢大夫で、名を諸侯に知られていた。その家臣はみな献子が登用した者であり、その政治はみな献子が立てたものであった。人材も綱紀も、後継ぎに遺すに足るものであった。荘子はそれをみなよく用いて改めなかった。だから孔子はこれを称えたのである。その意味は、荘子の孝でなかなかできないことはもとより多いが、この二つのことほど難しいものはない、ということである。このことから見れば、先祖の事業を損ない、家の名声を落とす者は、ほかに美点があっても、不孝のはなはだしいものである。孟懿子が孝を問うと、孔子は「生きているときは礼をもって仕え、亡くなれば礼をもって葬り、礼をもって祭る」と答えた。思うに懿子は魯の上卿であり、民がみな仰ぎ見る人である。その人が生前の奉仕も葬儀も祭祀も礼にかなって行えば、ただ自分の家を法にかなって治めるだけでなく、魯の国をも善くするに足る。君は忠と見なし、民は心を寄せ、孟氏の祭祀を永く保つことができる。だから孔子はこれを懿子に告げたのである。深いことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。
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『君子訓』巻之下是始て国を得給ふ先公の心にて、君子業を創め統を垂れて継ぐべきを為すの意なり。其子孫たる人は、其先祖の大なる勲労を以て国を得給ふことの難きをおもひ、其先祖を尊び、其志を継ぎ、其法を守りて永く国土を保ち、人民を治め給はば、是其先祖の志にかなひて、諸侯の孝行是より大なるはなし。もし先祖の国を得給ふことの難き事を思はず、我が身何の辛労もなく、居ながら国を領して、其富貴安楽を受け、恣に驕り、酒宴遊楽を事とし、剰へ我が才智に誇り、先祖を侮り、其定め置き給ひし家法を破り、又国民を苦め、政法を猥にして、終に其臣民に背かれ、国土を失ふに至るは、諸侯の不孝是より大なるはなし。此思ふと思はざるとの二は、国家の治乱存亡の機なり。諸侯の子孫たる人、此二の機を察して、常に慎みて徳を修め孝を行ひ給はば、其後栄永く伝はりて、令名限りなかるべし。
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論語・学而篇子曰く、「父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むること無くんば、孝と謂う可し。」
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尚書・君陳王若(かく)のごとく曰く、「君陳よ、惟れ爾令徳にして孝恭なり。惟れ孝にして、兄弟に友に、克く有政に施す。汝に命じて茲の東郊を尹(をさ)めしむ、敬せよや。昔周公万民を師保し、民其の徳を懐く。往きて乃の司を慎み、茲に厥の常に率へ。懋めて周公の訓を昭らかにせば、惟れ民其れ乂まらん。我聞く、曰く、
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史記 五帝本紀堯子丹朱の不肖にして、天下を授くるに足らざるを知る。是に於て乃ち権りて舜に授く。舜に授くれば、則ち天下其の利を得て丹朱病む。丹朱に授くれば、則ち天下病みて丹朱其の利を得。堯曰く、「終に天下の病を以て一人を利せず」と。而して卒に舜に授くるに天下を以てす。堯崩じ、三年の喪畢はり、舜丹朱に譲りて南河の南に辟く。諸侯の朝覲する者は丹朱に之かずして舜に之き、獄訟する者は丹朱に之かずして舜に之き、謳歌する者は丹朱を謳歌せずして舜を謳歌す。舜曰く、「天なるかな」と。而る後に中国に之きて天子の位を践む。是を帝舜と為す。虞舜は、名を重華と曰ふ。重華の父を瞽叟と曰ひ、瞽叟の父を橋牛と曰ひ、橋牛の父を句望と曰ひ、句望の父を敬康と曰ひ、敬康の父を窮蟬と曰ひ、窮蟬の父を帝顓頊と曰ひ、顓頊の父を昌意と曰ふ。以て舜に至るまで七世なり。窮蟬より以て帝舜に至るまで、皆微にして庶人為り。舜の父瞽叟は盲にして、舜の母死し、瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲なり。瞽叟後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及べば、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順事し、日に以て篤謹にして、懈ること有る匪し。舜は、冀州の人なり。舜歴山に耕し、雷沢に漁し、河浜に陶し、什器を寿丘に作り、時に負夏に就く。舜の父瞽叟は頑、母は嚚、弟象は傲にして、皆舜を殺さんと欲す。舜順適して子の道を失はず、兄弟に孝慈なり。殺さんと欲するも、得可からず。即ち求むれば、嘗に側に在り。舜年二十にして孝を以て聞こゆ。三十にして帝堯用ゐる可き者を問ふに、四嶽咸虞舜を薦めて、可なりと曰ふ。
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