礼記 / 月令
天子居明堂右个,乘朱路,駕赤駵,載赤旂,衣朱衣,服赤玉。食菽與雞,其器高以粗。 命漁師伐蛟取鼉,登龜取黿。命澤人納材葦。 是月也,命四監大合百縣之秩芻,以養犧牲。令民無不咸出其力,以共皇天、上帝、名山、大川、四方之神,以祠宗廟社稷之靈,以為民祈福。
新字:天子居明堂右个,乗朱路,駕赤駵,載赤旂,衣朱衣,服赤玉。食菽与鶏,其器高以粗。 命漁師伐蛟取鼉,登亀取黿。命沢人納材葦。 是月也,命四監大合百県之秩芻,以養犠牲。令民無不咸出其力,以共皇天、上帝、名山、大川、四方之神,以祠宗廟社稷之霊,以為民祈福。
書き下し
天子は明堂の右个に居り、朱路に乗り、赤駵に駕し、赤旂を載せ、朱衣を衣、赤玉を服ぶ。菽と雞とを食らい、其の器は高くして以て粗いなり。 漁師に命じて蛟(こう)を伐ち鼉(だ)を取り、亀を登(たてまつ)り黿(げん)を取らしむ。沢人に命じて材葦(ざいい)を納めしむ。 是の月や、四監に命じて大いに百県の秩芻(ちつすう)を合わせ、以て犠牲を養わしむ。民に令して咸(みな)其の力を出ださざること無からしめ、以て皇天・上帝・名山・大川・四方の神に共(きょう)し、以て宗廟社稷の霊を祠り、以て民の為に福を祈る。
現代語訳
天子は明堂の西寄りの脇室(右个)に住まい、朱路に乗り、赤駵に引かせ、赤い旗を立て、朱の衣を着て、赤い玉を帯びる。豆と鶏を食べ、器は背が高く大ぶりなものを用いる。 漁師(漁をつかさどる官)に命じて、蛟(みずち)を撃ち鼉(わにの類)を捕らえ、亀を献上させ黿(大きなすっぽん)を捕らえさせる。沢人(沼沢をつかさどる官)に命じて、材木や葦を納めさせる。 この月、四監(各地の山林川沢を監督する官)に命じて、各県から定められた量のまぐさを大いに集めさせ、いけにえの家畜を養わせる。民に命じて、みなその力を出させ、それによって皇天・上帝・名山・大川・四方の神々への供え物にあて、宗廟と社稷の霊を祀り、民のために福を祈る。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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