礼記 / 月令
季夏之月,日在柳,昏火中,旦奎中。其日丙丁。其帝炎帝,其神祝融。其蟲羽。其音徵,律中林鍾。其數七。其味苦,其臭焦。其祀竈,祭先肺。溫風始至,蟋蟀居壁,鷹乃學習,腐草為螢。
新字:季夏之月,日在柳,昏火中,旦奎中。其日丙丁。其帝炎帝,其神祝融。其虫羽。其音徴,律中林鍾。其数七。其味苦,其臭焦。其祀竈,祭先肺。温風始至,蟋蟀居壁,鷹乃学習,腐草為蛍。
書き下し
季夏の月、日は柳(りゅう)に在り、昏に火中し、旦に奎中す。其の日は丙丁。其の帝は炎帝、其の神は祝融。其の虫は羽。其の音は徴、律は林鍾(りんしょう)に中る。其の数は七。其の味は苦、其の臭は焦。其の祀りは竈、祭るに肺を先にす。温風始めて至り、蟋蟀(しつしゅつ)壁に居り、鷹乃ち学習し、腐草(ふそう)螢と為る。
現代語訳
夏の終わりの月(旧暦六月)には、太陽は柳宿の位置にあり、日暮れには火(大火、心宿の赤い星)が南中し、夜明けには奎宿が南中する。日は丙丁。帝は炎帝、神は祝融。動物は羽のあるもの。音は徴、律は林鍾に当たる。数は七。味は苦さ、においは焦げたにおい。祀るのはかまどの神で、供物は肺を先にする。暖かい風が吹きはじめ、こおろぎが壁の中にひそみ、鷹の子が飛び方や獲物の捕り方を習い、腐った草が蛍になる。
解説
季夏(旧暦六月)の天象と五行の配当、物候を述べる段である。日暮れに南中する「火」は大火とも呼ばれる心宿の赤い星で、『詩経』豳風の「七月流火」は、この星が夏の盛りを過ぎて西へ流れることを歌ったものである。物候の四句のうち、こおろぎが壁にひそむという記述は、同じく『詩経』豳風の七月の詩で、こおろぎが月を追って野から軒下、戸口、寝床の下へと移ってくると歌われるのと通じ合う。「腐草螢と為る」は、湿った草むらから蛍が現れることを、腐った草が蛍に変わると見た古人の観察である。この句は日本の七十二候にも採られ、芒種の候に置かれている。生き物が次の季節に備えて学び、姿を変えていく様子を暦に記したところに、自然を注意深く見つめた古人のまなざしがある。
この章句が説くこと
礼記月令季夏物候詩経
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