礼記 / 王制
少而無父者謂之孤,老而無子者謂之獨,老而無妻者謂之矜,老而無夫者謂之寡。此四者,天民之窮而無告者也,皆有常餼。 瘖、聾、跛、躃、斷者、侏儒、百工,各以其器食之。
新字:少而無父者謂之孤,老而無子者謂之独,老而無妻者謂之矜,老而無夫者謂之寡。此四者,天民之窮而無告者也,皆有常餼。 瘖、聾、跛、躃、断者、侏儒、百工,各以其器食之。
書き下し
少(わか)くして父無き者はこれを孤と謂い、老いて子無き者はこれを独と謂い、老いて妻無き者はこれを矜(かん)と謂い、老いて夫無き者はこれを寡と謂う。此の四者は、天民の窮して告ぐる無き者なり。皆常の餼(き)有り。 瘖(いん)・聾(ろう)・跛(は)・躃(へき)・断者・侏儒(しゅじゅ)・百工は、各〻其の器を以てこれを食(やしな)う。
現代語訳
幼くして父のない者を孤といい、老いて子のない者を独といい、老いて妻のない者を矜(かん)といい、老いて夫のない者を寡という。この四者は、天下の民のうちで最も困窮して、訴えるところのない者である。みな公から決まった食糧を常に支給する。 口のきけない者、耳の聞こえない者、足の不自由な者、両足で歩けない者、手足を失った者、背の低い者、そして工人たちは、それぞれの能力に応じた仕事を与えて養う。
解説
社会の中で最も弱い立場にある人々を公が支えるという定めである。幼くして父を失った孤、老いて子のない独、妻を失った矜、夫を失った寡の四者を、天下の民の「窮して告ぐる無き者」と呼び、常に食糧を支給する。陸徳明の音義は矜を鰥(かん)と同じと注し、鄭玄は餼を廩(くら)の支給と注する。『孟子』梁恵王下にもほぼ同じ言葉があり、文王が政を行うときには必ずこの四者を先にしたと語られる。訴える相手を持たない者を、政治がまず気にかけるべきだという考えである。後半は、身体に障害のある人々について、鄭玄は器を能力の意と読み、それぞれの能力に応じた仕事で養うのだと注する。ただ施しを与えるのではなく、できることを生かして暮らしを立てさせるという発想は、今日の障害者の就労支援の考えに通じるものがある。声を上げられない人を先に気にかけ、その人にできることを生かす場を用意する。福祉の出発点は、二千年以上前にすでにこう言い表されていた。
この章句が説くこと
礼記王制福祉弱者孟子
関連する章句
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『管子』入國所謂孤を恤むとは、凡そ國都に皆な掌孤有り。士人死して、子孤幼にして、父母無く、養う所自ら生くる能わざる者は、之を其の鄉黨知識故人に屬す。一孤を養う者は、一子征無し。二孤を養う者は、二子征無し。三孤を養う者は、家を盡くして征無し。掌孤數々行きて之を問い、必ず其の食飲飢寒を知る。身の膌胜なるは、之を哀憐す。此れを之れ孤を恤むと謂う。所謂疾を養うとは、凡そ國都に皆な掌養疾有り。聾盲喑啞、跛躄徧枯握遞にして、自ら生くるに耐えざる者は、上收めて之を養う。疾めば、官して之に衣食し、身を殊にして後に止む。此れを之れ疾を養うと謂う。所謂獨を合わすとは、凡そ國都に皆な掌媒有り。丈夫にして妻無きを鰥と曰い、婦人にして夫無きを寡と曰う。鰥寡を取りて之を合和し、田宅を予えて之を家室せしめ、三年にして然る後に之に事とせしむ。此れを之れ獨を合わすと謂う。
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牧民忠告・宣化鰥寡孤獨(かんかこどく)は、王政の先んずる所、聖人の深く憫(あわ)れむ所なり。其の聚居(しゅうきょ)の所は、日暇(いとま)あれば則ち親(みずか)ら之を慰め、或いは人を遣わして省視(せいし)せしむ。衣糧の若(ごと)き、藥餌(やくじ)の若き、官の時に給せざる者は、之を糾治(きゅうじ)せよ。
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王問いて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂う。諸を毀たんか、已めんか。」孟子對えて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行わんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ。」王曰く、「王政聞くことを得可きか。」對えて曰く、「昔者、文王の岐を治むるや、耕す者は九の一、仕うる者は禄を世々にし、關市は譏して征せず、澤梁は禁無く、人を罪するに孥(ド)せず。老いて妻無きを鰥(カン)と曰い、老いて夫無きを寡と曰い、老いて子無きを獨と曰い、幼にして父無きを孤と曰う。此の四者は、天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王、政を發し仁を施すに、必ず斯の四者を先にせり。詩に云う、『哿(カ)なり富める人、此の煢獨(ケイ・ドク)を哀れむ。』」王曰く、「善きかな言や。」曰く、「王、如し之を善しとせば、則ち何為れぞ行わざる。」王曰く、「寡人、疾有り、寡人、貨を好む。」對えて曰く、「昔者、公劉、貨を好めり。詩に云う、『乃ち積し乃ち倉す。乃ち餱糧(コウ・リョウ)を裹(つつむ)む。橐(タク)に囊(ノウ)に。戢(あつめる)めて用て光(おおいに)いにせんことを思う。弓矢斯に張り、干戈戚揚あり。爰(ここ)に方(はじめ)めて行を啓く。』故に居る者は積倉有り。行く者は裹(カ)糧有り。然る後以て爰に方めて行を啓く可し。王如し貨を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」王曰く、「寡人疾有り。寡人色を好む。」對えて曰く、「昔者、大王、色を好み、厥の妃を愛せり。詩に云う、『古公亶甫、來りて朝に馬を走らせ、西水の滸(ほとり)に率い、岐下に至る。爰に姜女と、聿(ともに)に來りて胥宇る。』是の時に當りて、內に怨女無く、外に曠夫無し。王如し色を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」
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礼記・王制有虞氏は国老を上庠(じょうしょう)に養い、庶老を下庠に養う。夏后氏は国老を東序に養い、庶老を西序に養う。殷人は国老を右学に養い、庶老を左学に養う。周人は国老を東膠(とうこう)に養い、庶老を虞庠(ぐしょう)に養う。虞庠は国の西郊に在り。有虞氏は皇(こう)して祭り、深衣して老を養う。夏后氏は収(しゅう)して祭り、燕衣して老を養う。殷人は冔(く)して祭り、縞衣(こうい)して老を養う。周人は冕(べん)して祭り、玄衣して老を養う。凡そ三王の老を養うには皆年を引く。八十の者は一子政に従わず、九十の者は其の家政に従わず。廃疾にして人に非ざれば養われざる者は、一人政に従わず。父母の喪は、三年政に従わず。斉衰・大功の喪は、三月政に従わず。将に諸侯に徙(うつ)らんとするは、三月政に従わず。諸侯より来たりて家を徙すは、期(き)政に従わず。
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『管子』揆度管子曰く、「匹夫にして鰥と為り、匹婦にして寡と為り、老いて子無き者を獨と為す。君其の若し子弟の師役ありて死する者有らば、父母を獨と為し、上必ず之に之き、衣衾三領、木は必ず三寸、鄉吏事を視ること、公壤に於てす。若し産みて弟兄無くんば、上必ず之に匹馬の壤を賜う。故に親の其の子を殺して以て上の用と為すも、苦しまざるなり。君歳を終うるまで邑里を行く。其の人力同じくして宫室美なる者は、良萌なり、力作する者なり、脯二束・酒一石もて以て之に賜う。力足りて蕩遊して作さざる者は、老いたる者は之を譙め、壯に當たる者は之を邊戍に遣る。民の本無き者には、之に圃疆を貸す。故に百事皆な舉がりて、力を留め時を失うの民無し。此れ皆な國筴の數なり」と。
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礼記・王制凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼(しれい)を以てし、周人は脩めて兼ねてこれを用う。五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養う。諸侯に達す。 八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦これの如くす。九十は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿(たくわ)え、七十は膳を弐(そ)え、八十は珍を常にす。九十は飲食寝を離れず、膳飲は遊に従いて可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに脩む。唯絞(こう)・紟(きん)・衾(きん)・冒(ぼう)は、死して后に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪(さいそう)の事及ばず。五十にして爵し、六十は学に親しまず、七十は政を致す。唯衰麻(さいま)を喪と為す。
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