礼記 / 王制
道路:男子由右,婦人由左,車從中央。父之齒隨行,兄之齒鴈行,朋友不相踰。輕任并,重任分,班白者不提挈。君子耆老不徒行,庶人耆老不徒食。 大夫祭器不假。祭器未成,不造燕器。
新字:道路:男子由右,婦人由左,車従中央。父之歯随行,兄之歯鴈行,朋友不相踰。軽任并,重任分,班白者不提挈。君子耆老不徒行,庶人耆老不徒食。 大夫祭器不仮。祭器未成,不造燕器。
書き下し
道路は、男子は右に由り、婦人は左に由り、車は中央に従う。父の歯(よわい)には随行し、兄の歯には鴈行(がんこう)し、朋友は相踰(こ)えず。軽き任(にない)は并(あわ)せ、重き任は分かち、班白(はんぱく)の者は提挈(ていけつ)せず。君子の耆老(きろう)は徒行せず、庶人の耆老は徒食せず。 大夫の祭器は仮(か)らず。祭器未だ成らざれば、燕器を造らず。
現代語訳
道路では、男は右側を、女は左側を通り、車は中央を通る。父と同じ年ごろの人には後ろについて歩き、兄と同じ年ごろの人には少し下がって雁の列のように斜めに並んで歩き、友人どうしは互いに追い越さない。軽い荷物は若い者が一人でまとめて持ち、重い荷物は若い者たちで分けて持ち、白髪まじりの者には荷物を提げさせない。君子の老人は車に乗らずに歩くことはなく、庶人の老人も肉のおかずなしに食事をすることはない。 大夫は祭器を人から借りない。祭器がまだそろわないうちは、宴会用の器を作らない。
解説
道を歩くときの作法と、祭器の心得を定めた段である。男女が道の左右を分け、車は中央を通る。鄭玄は、道を三筋に分けるのは男女の別を遠ざけるためだと注する。年長者と歩くときの並び方や、友人どうしが追い越さないことについては、敬意を広く行き渡らせるためであり、道中でのことだと注する。荷物は軽ければ一人でまとめ、重ければ分けて持ち、白髪まじりの人には持たせない。鄭玄は、これらはみな荷物を若い者に任せることだと説き、白と黒の混じった髪を班というと注する。老人を歩かせず、肉なしで食べさせないという句について、鄭玄は徒を空しいの意と読む。礼は宮廷の儀式だけでなく、道の歩き方や荷物の持ち方のような日々の振る舞いの中にこそあるという考えがよく表れている。後半は、大夫は祭器を借りず、祭器が整わないうちは宴の器を作らないという定めで、敬うべきものを自分の楽しみより先に整える順序を示す。駅の階段で年配の人の荷物を持つことも、この段の延長にある。
この章句が説くこと
礼記王制敬老長幼作法
関連する章句
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礼記・祭義是の故に、朝廷にては爵を同じくすれば則ち歯を尚ぶ。七十にして朝に杖つき、君問えば則ち席す。八十にして朝を俟たず、君問えば則ちこれに就く。而して弟(てい)朝廷に達す。 行くに、肩して並ばず、錯(たが)わざれば則ち随う。老者を見れば、則ち車徒辟(さ)く。斑白の者はその任を以て道路に行かず。而して弟道路に達す。
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礼記・曲礼上客車は大門に入らず。婦人は立乗せず。犬馬は堂に上らず。 故に君子は黄髪に式(しょく)し、卿位に下る。国に入りては馳せず、里に入りては必ず式す。君命じて召せば、賤人と雖も、大夫・士必ず自らこれを御す。介者は拝せず、其の拝して蓌拝(ざはい)するが為なり。祥車は左を曠(むな)しくし、君の乗車に乗りては敢えて左を曠しくせず。左には必ず式す。僕、婦人を御するには、則ち左手を進め、右手を後にす。国君を御するには、則ち右手を進め、左手を後にして俯す。国君は奇車に乗らず。車上には広く欬(しわぶ)かず、妄りに指ささず。立ちては五巂(ごけい)を視、式しては馬尾を視、顧みるに轂(こしき)を過ぎず。国中には策彗(さくすい)を以て卹勿(じゅつぶつ)し、駆ること勿かれ、駆ること勿かれ。塵は軌を出でず。国君は斉牛に下り、宗廟に式す。大夫・士は公門に下り、路馬に式す。路馬に乗るには、必ず朝服して鞭策を載せ、敢えて綏を授けず、左には必ず式す。路馬を歩ませるには、必ず道に中す。足を以て路馬の芻(まぐさ)を蹙(け)れば、誅有り。路馬を歯(よわい)すれば、誅有り。
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礼記・内則外内は井を共にせず、湢浴(ひょくよく)を共にせず、寝席を通ぜず、乞仮(きっか)を通ぜず、男女は衣裳を通ぜず、内言は出でず、外言は入らず。男子内に入れば、嘯(うそぶ)かず指ささず、夜行くには燭を以てし、燭無ければ則ち止む。女子門を出づれば、必ず其の面を擁蔽(ようへい)し、夜行くには燭を以てし、燭無ければ則ち止む。道路には、男子は右に由り、女子は左に由る。子婦の孝なる者、敬なる者は、父母舅姑の命に、逆らうこと勿く怠ること勿し。若しこれに飲食せしむれば、耆(この)まずと雖も、必ず嘗めて待つ。これに衣服を加うれば、欲せずと雖も、必ず服して待つ。これに事を加え、人これに待(か)わらんとすれば、己弗欲すと雖も、姑(しばら)くこれに与え、而して姑くこれを使わしめ、而して後にこれを復す。子婦に勤労の事有れば、甚だこれを愛すと雖も、姑くこれを縦(ほしいまま)にし、而して寧(むし)ろ数(しばしば)これを休ましむ。子婦未だ孝ならず未だ敬ならざれば、庸(もち)いて疾怨すること勿く、姑くこれを教えよ。若し教うべからずして、而る後にこれを怒れ。怒るべからざれば、子は放ち婦は出だして、而して礼を表わさず。父母に過ち有れば、気を下し色を怡(やわら)げ、声を柔らげて以て諫む。諫め若し入れられずんば、敬を起こし孝を起こし、説(よろこ)べば則ち復た諫む。説ばざるも、其の罪を郷党州閭(きょうとうしゅうりょ)に得んよりは、寧ろ孰(つまび)らかに諫めよ。父母怒りて説ばず、而してこれを撻(う)ちて血を流すも、敢えて疾怨せず、敬を起こし孝を起こす。父母に婢子若しくは庶子・庶孫有りて、甚だこれを愛すれば、父母没すと雖も、身を没するまでこれを敬して衰えず。子に二妾有り、父母一人を愛し、子一人を愛すれば、衣服飲食由(よ)り、執事由り、敢えて父母の愛する所に視(なら)うこと毋かれ、父母没すと雖も衰えず。子甚だ其の妻を宜しとするも、父母説ばざれば、出だす。子其の妻を宜しとせざるも、父母曰く、「是れ善く我に事う」と、子は夫婦の礼を行い、身を没するまで衰えず。
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礼記・祭義郷に居るに歯を以てして、老窮遺てられず、強は弱を犯さず、衆は寡を暴せず、而して弟州巷(しゅうこう)に達す。 古の道は、五十にして甸徒(でんと)と為らず、禽を頒(わか)つに長者に隆(あつ)くして、而して弟獀狩(そうしゅ)に達す。 軍旅の什伍には、爵を同じくすれば則ち歯を尚びて、而して弟軍旅に達す。
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礼記・王制凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼(しれい)を以てし、周人は脩めて兼ねてこれを用う。五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養う。諸侯に達す。 八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦これの如くす。九十は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿(たくわ)え、七十は膳を弐(そ)え、八十は珍を常にす。九十は飲食寝を離れず、膳飲は遊に従いて可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに脩む。唯絞(こう)・紟(きん)・衾(きん)・冒(ぼう)は、死して后に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪(さいそう)の事及ばず。五十にして爵し、六十は学に親しまず、七十は政を致す。唯衰麻(さいま)を喪と為す。
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礼記・曲礼上先生に従うには、路を越えて人と言わず。先生に道に遭えば、趨(はし)りて進み、正しく立ちて手を拱(こまぬ)く。先生これと言えば、則ち対う。これと言わざれば、則ち趨りて退く。長者に従いて丘陵に上れば、則ち必ず長者の視る所に郷(む)かう。 城に登りて指ささず、城上にて呼ばず。
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