礼記 / 王制
有虞氏養國老於上庠,養庶老於下庠。夏后氏養國老於東序,養庶老於西序。殷人養國老於右學,養庶老於左學。周人養國老於東膠,養庶老於虞庠:虞庠在國之西郊。有虞氏皇而祭,深衣而養老。夏后氏收而祭,燕衣而養老。殷人冔而祭,縞衣而養老。周人冕而祭,玄衣而養老。凡三王養老皆引年。八十者一子不從政,九十者其家不從政,廢疾非人不養者一人不從政。父母之喪,三年不從政。齊衰、大功之喪,三月不從政。將徙於諸侯,三月不從政。自諸侯來徙家,期不從政。
新字:有虞氏養国老於上庠,養庶老於下庠。夏后氏養国老於東序,養庶老於西序。殷人養国老於右学,養庶老於左学。周人養国老於東膠,養庶老於虞庠:虞庠在国之西郊。有虞氏皇而祭,深衣而養老。夏后氏収而祭,燕衣而養老。殷人冔而祭,縞衣而養老。周人冕而祭,玄衣而養老。凡三王養老皆引年。八十者一子不従政,九十者其家不従政,廃疾非人不養者一人不従政。父母之喪,三年不従政。斉衰、大功之喪,三月不従政。将徙於諸侯,三月不従政。自諸侯来徙家,期不従政。
書き下し
有虞氏は国老を上庠(じょうしょう)に養い、庶老を下庠に養う。夏后氏は国老を東序に養い、庶老を西序に養う。殷人は国老を右学に養い、庶老を左学に養う。周人は国老を東膠(とうこう)に養い、庶老を虞庠(ぐしょう)に養う。虞庠は国の西郊に在り。有虞氏は皇(こう)して祭り、深衣して老を養う。夏后氏は収(しゅう)して祭り、燕衣して老を養う。殷人は冔(く)して祭り、縞衣(こうい)して老を養う。周人は冕(べん)して祭り、玄衣して老を養う。凡そ三王の老を養うには皆年を引く。八十の者は一子政に従わず、九十の者は其の家政に従わず。廃疾にして人に非ざれば養われざる者は、一人政に従わず。父母の喪は、三年政に従わず。斉衰・大功の喪は、三月政に従わず。将に諸侯に徙(うつ)らんとするは、三月政に従わず。諸侯より来たりて家を徙すは、期(き)政に従わず。
現代語訳
有虞氏(舜の時代)は、国老(国に功のあった老臣)を上庠(大学)で、庶老(一般の老人)を下庠(小学)で養った。夏后氏は国老を東序で、庶老を西序で養った。殷人は国老を右学で、庶老を左学で養った。周人は国老を東膠で、庶老を虞庠で養った。虞庠は国都の西の郊外にある。有虞氏は皇(こう、羽飾りのある冠)をかぶって祭り、深衣(上下続きの衣)を着て老人を養った。夏后氏は収(しゅう、夏の冠)をかぶって祭り、燕衣(くつろぎの黒い衣)を着て老人を養った。殷人は冔(く、殷の冠)をかぶって祭り、縞衣(こうい、白絹の衣)を着て老人を養った。周人は冕(べん、周の冠)をかぶって祭り、玄衣(黒い衣)を着て老人を養った。およそ夏・殷・周の三王が老人を養うときには、みな戸籍を引いて年齢を調べた。八十歳の者がいる家では子一人の賦役を免じ、九十歳の者がいる家では家じゅうの賦役を免じた。障害や病で人の世話なしには暮らせない者がいる家では、世話をする一人の賦役を免じた。父母の喪には三年間賦役を免じ、斉衰・大功(一年や九か月の喪服を着る親族)の喪には三か月賦役を免じた。他の諸侯の国へ移住しようとする者は三か月賦役を免じ、他の諸侯の国から移ってきた家は一年賦役を免じた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・内則凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼を以てし、周人は修めて兼ねてこれを用う。凡そ五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養い、諸侯に達す。八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦たかくの如し。九十の者は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿し、七十は膳を弐にし、八十は珍を常にし、九十は飲食寝を違(さ)らず、膳飲、游に従うも可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに修む。唯絞紟衾冒(こうきんきんぼう)は、死して後に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪の事及ばざるなり。五十にして爵し、六十は親ら学ばず、七十は政を致す。凡そ七十自り以上は、唯衰麻を喪と為す。凡そ三王の老を養うは皆年を引く。八十の者は一子政に従わず、九十の者は其の家政に従わず。瞽も亦たかくの如し。凡そ父母在せば、子老いたりと雖も坐せず。有虞氏は国老を上庠(じょうしょう)に養い、庶老を下庠に養う。夏后氏は国老を東序に養い、庶老を西序に養う。殷人は国老を右学に養い、庶老を左学に養う。周人は国老を東膠(とうこう)に養い、庶老を虞庠に養う。虞庠は国の西郊に在り。有虞氏は皇(こう)して祭り、深衣して老を養う。夏后氏は収して祭り、燕衣して老を養う。殷人は冔(く)して祭り、縞衣して老を養う。周人は冕して祭り、玄衣して老を養う。
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礼記・王制凡そ老を養うに、有虞氏は燕礼を以てし、夏后氏は饗礼を以てし、殷人は食礼(しれい)を以てし、周人は脩めて兼ねてこれを用う。五十は郷に養い、六十は国に養い、七十は学に養う。諸侯に達す。 八十は君命を拝するに、一たび坐して再び至(いた)す。瞽(こ)も亦これの如くす。九十は人をして受けしむ。五十は粻(ちょう)を異にし、六十は肉を宿(たくわ)え、七十は膳を弐(そ)え、八十は珍を常にす。九十は飲食寝を離れず、膳飲は遊に従いて可なり。六十は歳ごとに制し、七十は時ごとに制し、八十は月ごとに制し、九十は日ごとに脩む。唯絞(こう)・紟(きん)・衾(きん)・冒(ぼう)は、死して后に制す。五十にして始めて衰え、六十は肉に非ざれば飽かず、七十は帛に非ざれば煖かならず、八十は人に非ざれば煖かならず、九十は人を得と雖も煖かならず。五十は家に杖つき、六十は郷に杖つき、七十は国に杖つき、八十は朝に杖つく。九十の者は、天子問うこと有らんと欲すれば、則ち其の室に就き、珍を以て従う。七十は朝を俟(ま)たず、八十は月ごとに存を告げ、九十は日ごとに秩有り。五十は力政に従わず、六十は服戎に与(あずか)らず、七十は賓客の事に与らず、八十は斉喪(さいそう)の事及ばず。五十にして爵し、六十は学に親しまず、七十は政を致す。唯衰麻(さいま)を喪と為す。
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礼記・祭義昔者、有虞氏は徳を貴びて歯を尚び、夏后氏は爵を貴びて歯を尚び、殷人は富を貴びて歯を尚び、周人は親を貴びて歯を尚ぶ。虞・夏・殷・周は、天下の盛王なり。未だ年を遺るる者有らざるなり。年の天下に貴ばるるや、久し。親に事うるに次ぐなり。
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礼記・祭義天子四学を設け、学に入るに当たりては、大子(たいし)も歯(よわい)す。天子巡守(じゅんしゅ)すれば、諸侯竟(さかい)に待つ。天子先ず百年の者を見る。八十・九十の者東に行けば、西に行く者敢えて過ぎず。西に行けば、東に行く者敢えて過ぎず。政を言わんと欲する者は、君これに就きて可なり。 一命は郷里に歯し、再命は族に歯し、三命は歯せず。族に七十の者有れば、敢えて先んぜず。七十の者は、大故(たいこ)有らざれば朝に入らず。若し大故有りて入らば、君必ずこれと揖譲(ゆうじょう)して、而る後に爵ある者に及ぶ。
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礼記・文王世子天子学を視るに、大昕(たいきん)に鼓徴(ちょう)するは、衆を警(いまし)むる所以なり。衆至り、然る後に天子至る。乃ち有司に命じて事を行わしむ。秩節を興し、先師・先聖を祭る。有司事を卒(お)えて、命に反(かえ)る。始めて之れ養うや、東序に適(ゆ)き、先老に釈奠(せきてん)し、遂に三老・五更・群老の席位を設く。饌(せん)に適きて醴(れい)を省み、養老の珍、具(そな)わる。遂に詠を発し、退きて之を修むるに孝養を以てす。反(かえ)りて、清廟を登歌し、既に歌いて語り、以て之を成す。父子・君臣・長幼の道を言い、徳音の致(きわ)みを合す。礼の大なる者なり。下に象を管し、大武を舞う。大いに衆を合して以て事とし、神有るに達し、徳有るを興すなり。君臣の位、貴賤の等を正して、上下の義行わる。有司告ぐるに楽闋(や)むを以てすれば、王乃ち公侯伯子男及び群吏に命じて曰く、「反(かえ)りて、老幼を東序に養え」と。之を終うるに仁を以てするなり。
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礼記・王制庶羞(しょしゅう)は牲を踰(こ)えず、燕衣(えんい)は祭服を踰えず、寝は廟を踰えず。 古者(いにしえ)は、公田は藉(か)りて税せず。市は廛(てん)して税せず。関は譏(せ)めて征せず。林麓(りんろく)川沢は、時を以て入りて禁ぜず。圭田を夫(おさ)むるは征無し。 民の力を用うること、歳に三日を過ぎず。 田里は粥(ひさ)がず、墓地は請わず。
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