礼記 / 王制
天子七廟,三昭三穆,與大祖之廟而七。諸侯五廟,二昭二穆,與大祖之廟而五。大夫三廟,一昭一穆,與大祖之廟而三。士一廟,庶人祭於寢。 天子諸侯宗廟之祭:春曰礿,夏曰禘,秋曰嘗,冬曰烝。天子祭天地,諸侯祭社稷,大夫祭五祀。天子祭天下名山大川:五嶽視三公,四瀆視諸侯。諸侯祭名山大川之在其地者。
新字:天子七廟,三昭三穆,与大祖之廟而七。諸侯五廟,二昭二穆,与大祖之廟而五。大夫三廟,一昭一穆,与大祖之廟而三。士一廟,庶人祭於寝。 天子諸侯宗廟之祭:春曰礿,夏曰禘,秋曰嘗,冬曰烝。天子祭天地,諸侯祭社稷,大夫祭五祀。天子祭天下名山大川:五嶽視三公,四瀆視諸侯。諸侯祭名山大川之在其地者。
書き下し
天子は七廟、三昭三穆と大祖の廟とにして七。諸侯は五廟、二昭二穆と大祖の廟とにして五。大夫は三廟、一昭一穆と大祖の廟とにして三。士は一廟。庶人は寝に祭る。 天子・諸侯の宗廟の祭、春を礿(やく)と曰い、夏を禘(てい)と曰い、秋を嘗(しょう)と曰い、冬を烝(じょう)と曰う。天子は天地を祭り、諸侯は社稷を祭り、大夫は五祀を祭る。天子は天下の名山大川を祭る。五嶽は三公に視え、四瀆(しとく)は諸侯に視う。諸侯は名山大川の其の地に在る者を祭る。
現代語訳
天子の宗廟は七つで、三つの昭(しょう)の廟と三つの穆(ぼく)の廟(父子の世代を左右交互に並べた廟)に、大祖(始祖)の廟を加えて七つとする。諸侯は五つで、二昭二穆に大祖の廟を加えて五つとする。大夫は三つで、一昭一穆に大祖の廟を加えて三つとする。士は一つの廟を持つ。庶人は廟を持たず、住まいの正寝で祖先を祭る。 天子や諸侯の宗廟の祭りは、春を礿(やく)、夏を禘(てい)、秋を嘗(しょう)、冬を烝(じょう)という。天子は天地を祭り、諸侯は社稷(土地と五穀の神)を祭り、大夫は五祀(司命・中霤(ちゅうりゅう)・門・行・厲の五神)を祭る。天子は天下の名山大川を祭る。五嶽(五つの霊山)は三公に準じた供物で、四瀆(しとく、長江・黄河・淮水・済水の四大河)は諸侯に準じた供物で祭る。諸侯は、名山大川のうち自分の領地にあるものだけを祭る。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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