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礼記 / 檀弓下

樂正子春之母死,五日而不食。曰:「吾悔之,自吾母而不得吾情,吾惡乎用吾情。」 歲旱,穆公召縣子而問然,曰:「天久不雨,吾欲暴尩而奚若?」曰:「天久不雨,而暴人之疾子,虐,毋乃不可與?」「然則吾欲暴巫而奚若?」曰:「天則不雨,而望之愚婦人,於以求之,毋乃已疏乎?」「徙市則奚若?」曰:「天子崩,巷市七日;諸侯薨,巷市三日。為之徙市,不亦可乎。」 孔子曰:「衛人之祔也,離之;魯人之祔也,合之,善夫。」

新字:楽正子春之母死,五日而不食。曰:「吾悔之,自吾母而不得吾情,吾悪乎用吾情。」 歳旱,穆公召県子而問然,曰:「天久不雨,吾欲暴尩而奚若?」曰:「天久不雨,而暴人之疾子,虐,毋乃不可与?」「然則吾欲暴巫而奚若?」曰:「天則不雨,而望之愚婦人,於以求之,毋乃已疏乎?」「徙市則奚若?」曰:「天子崩,巷市七日;諸侯薨,巷市三日。為之徙市,不亦可乎。」 孔子曰:「衛人之祔也,離之;魯人之祔也,合之,善夫。」

書き下し

楽正子春(がくせいししゅん)の母死す。五日にして食らわず。曰く、「吾これを悔ゆ。吾が母よりして吾が情を得ずんば、吾悪(いず)くにか吾が情を用いん」と。 歳旱(ひでり)す。穆公、県子(けんし)を召してこれに問いて曰く、「天久しく雨ふらず。吾尩(おう)を暴(さら)さんと欲す、奚若(いかん)」と。曰く、「天則ち雨ふらずして、人の疾める子を暴すは虐なり。毋乃(むしろ)不可ならんか」と。「然らば則ち吾巫(ふ)を暴さんと欲す、奚若」と。曰く、「天則ち雨ふらずして、これを愚かなる婦人に望み、於(ここ)に以てこれを求むるは、毋乃已(はなは)だ疏ならんか」と。「市を徙(うつ)さば則ち奚若」と。曰く、「天子崩ずれば、巷に市すること七日。諸侯薨ずれば、巷に市すること三日。これが為に市を徙すは、亦可ならずや」と。 孔子曰く、「衛人の祔(ふ)するや、これを離す。魯人の祔するや、これを合わす。善いかな」と。

現代語訳

楽正子春(曾子の弟子)は母を亡くしたとき、五日間ものを食べなかった。のちに彼は言った。「私はこれを悔いている。自分の母の死においてさえ真情のままにふるまえなかったのなら、私はいったいどこで真情を用いるというのか」。 日照りの年に、魯の穆公が県子(魯の人で礼に通じた者)を呼んで尋ねた。「天が久しく雨を降らせない。私は尩(おう、背が曲がり顔が天を仰ぐ病の人)を日にさらして天の哀れみを乞おうと思うが、どうか」。県子は答えた。「天が雨を降らせないからといって、病に苦しむ人を日にさらすのはむごい仕打ちであり、よろしくないのではないか」。「それなら巫女を日にさらそうと思うが、どうか」。「天が雨を降らせないのに、愚かな女に望みをかけ、それによって雨を求めるのは、あまりに筋違いではないか」。「では市を移すのはどうか」。「天子が崩ずれば巷に市を立てること七日、諸侯が薨ずれば巷に市を立てること三日である。日照りのために市を移し、喪に服するように憂いを示すのは、よいことではないか」。 孔子が言った。「衛の人は夫婦を合葬するとき、椁(かく、外棺)の中で二つの棺を隔てて置く。魯の人は合葬するとき、隔てずに合わせる。魯のやり方がよい」。

解説

三つの短い話が並ぶ。第一は、曾子の弟子楽正子春が、礼の定める三日を超えて五日絶食したことを悔いた話である。鄭玄は「勉強して礼に過ぐ」と注し、孔穎達は、実情によらず無理に努めて日数を延ばした偽りを悔いたのだと読む。哀しみを礼より大きく見せることも、礼を損なうのである。第二は、旱魃に際して穆公が病人や巫を日にさらして天の憐れみを乞おうとし、県子が、弱い者をさらすのは虐であり、巫に頼るのは道理から遠いと退けて、天子や諸侯の喪のときと同じく市を巷に移して憂いを示すことを認めた話である。鄭玄は市を移すことを、旱を喪のように憂える姿と注する。災いの責めを弱い者に負わせず、上に立つ者が身を慎むという考えがある。第三の合葬について、鄭玄は、衛が椁の中を隔てるのに対し、合葬は合わせるべきだとして孔子が魯を善しとしたと注する。困難のなかで弱い者に負担を押しつけていないか、今も問われる。

この章句が説くこと

礼記檀弓喪礼旱魃真情

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