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礼記 / 檀弓下

衛司徒敬子死,子夏弔焉,主人未小斂,絰而往。子游弔焉,主人既小斂,子游出絰,反哭。子夏曰:「聞之也與?」曰:「聞諸夫子,主人未改服則不絰。」 曾子曰:「晏子可謂知禮也已,恭敬之有焉。」有若曰:「晏子一狐裘三十年,遣車一乘,及墓而反,國君七个,遣車七乘;大夫五个,遣車五乘,晏子焉知禮?」曾子曰:「國無道,君子恥盈禮焉;國奢,則示之以儉;國儉,則示之以禮。」

新字:衛司徒敬子死,子夏弔焉,主人未小斂,絰而往。子游弔焉,主人既小斂,子游出絰,反哭。子夏曰:「聞之也与?」曰:「聞諸夫子,主人未改服則不絰。」 曽子曰:「晏子可謂知礼也已,恭敬之有焉。」有若曰:「晏子一狐裘三十年,遣車一乗,及墓而反,国君七个,遣車七乗;大夫五个,遣車五乗,晏子焉知礼?」曽子曰:「国無道,君子恥盈礼焉;国奢,則示之以倹;国倹,則示之以礼。」

書き下し

衛の司徒敬子死す、子夏これを弔す、主人未だ小斂せず、絰(てつ)して往く。子游これを弔す、主人既に小斂す、子游出でて絰し、反りて哭す。子夏曰く、「これを聞けるか」と。曰く、「諸を夫子に聞く、主人未だ服を改めざれば則ち絰せず、と」と。 曾子曰く、「晏子は礼を知ると謂うべきのみ、恭敬これ有り」と。有若曰く、「晏子は一狐裘三十年、遣車一乗、墓に及びて反る。国君は七个(こ)、遣車七乗。大夫は五个、遣車五乗。晏子焉(いずく)んぞ礼を知らん」と。曾子曰く、「国に道無ければ、君子は礼を盈(み)たすを恥ず。国奢れば、則ちこれに示すに倹を以てし、国倹なれば、則ちこれに示すに礼を以てす」と。

現代語訳

衛の司徒(しと、官名)である敬子が亡くなったとき、子夏が弔問に行った。喪主はまだ小斂(しょうれん、亡骸に衣を着せる儀)を終えていなかったが、子夏は絰(てつ、麻の首帯・腰帯)を着けて行った。子游も弔問に行ったが、喪主はすでに小斂を終えていた。子游はいったん外に出て絰を着け、戻ってきて哭した。子夏が「そうするものだと聞いていたのか」と尋ねると、子游は「先生から聞いた。喪主がまだ喪服に改めていないうちは、弔問者は絰を着けない、と」と答えた。 曾子が言った。「晏子(あんし、斉の宰相の晏嬰)は礼を知っている人だと言ってよい。恭しさと敬いがある」。有若が言った。「晏子は一着の狐の皮衣を三十年も着続け、父の葬儀では遣車(けんしゃ、副葬品を載せる車)をたった一台しか出さず、墓に着くとすぐ帰ってきた。国君の葬儀では供え物の包みは七つで遣車も七台、大夫なら五つで遣車も五台である。晏子がどうして礼を知っていると言えようか」。曾子は言った。「国に道が行われていないときには、君子は礼を目いっぱいに行うことを恥とする。国が奢っていれば倹約を示してみせ、国が倹約であれば礼を示してみせるのだ」。

解説

弔問の服装の順序と、礼の盛り方の加減をめぐる二つの話である。前半では、子夏は小斂の前から絰を着けて弔い、子游は小斂の後に外で絰を着けて戻った。鄭玄は、二人とも朋友の礼で行ったがやり方が異なったと注する。喪主がまだ喪服に改めていないうちに弔問客が先に喪服をまとうのは、主客の順を乱す。弔う側は、遺族の段取りを追い越してはならないのである。後半は、晏子の倹約を礼と見るかどうかの論争である。有若は、大夫の身で父の葬送に遣車一台とは礼に足りないと批判した。曾子は、国が奢っていれば倹を示して正すのが君子だと晏子を弁護する。鄭玄は、当時の斉はまさに奢っていたので、それを矯めたのは正しいと注する。礼の量は定めどおりに盛ればよいというものではなく、世の風潮を見て加減するものだというのである。周りが派手になっているときこそあえて簡素にする。冠婚葬祭が華美に流れがちな今にも、この判断の仕方は生きる。

この章句が説くこと

礼記晏子倹約弔問曽子

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