礼記 / 檀弓下
悼公之母死,哀公為之齊衰。有若曰:「為妾齊衰,禮與?」公曰:「吾得已乎哉?魯人以妻我。」 季子皋葬其妻,犯人之禾,申祥以告,曰:「請庚之。」子皋曰:「孟氏不以是罪予,朋友不以是棄予,以吾為邑長於斯也,買道而葬,後難繼也。」
新字:悼公之母死,哀公為之斉衰。有若曰:「為妾斉衰,礼与?」公曰:「吾得已乎哉?魯人以妻我。」 季子皋葬其妻,犯人之禾,申祥以告,曰:「請庚之。」子皋曰:「孟氏不以是罪予,朋友不以是棄予,以吾為邑長於斯也,買道而葬,後難継也。」
書き下し
悼公の母死す、哀公これが為に斉衰(しさい)す。有若曰く、「妾の為に斉衰するは、礼か」と。公曰く、「吾已むを得んや。魯人以て我が妻とす」と。 季子皋其の妻を葬るに、人の禾(か)を犯す。申祥以て告げて、曰く、「請うこれを庚(つぐな)わん」と。子皋曰く、「孟氏是を以て予を罪せず、朋友是を以て予を棄てず。吾邑長為るを以て斯に於いてするや、道を買いて葬らば、後継ぎ難きなり」と。
現代語訳
悼公の母が亡くなったとき、夫の哀公は彼女のために斉衰(しさい、妻などのために着る一年の喪服)を着た。有若が言った。「妾のために斉衰を着るのは、礼にかなっているのでしょうか」。哀公は言った。「私にどうしようがあろう。魯の人々は彼女を私の妻とみなしているのだ」。 季子皋(きしこう、孔子の弟子の高柴)が妻を葬ったとき、葬列が人の田の稲を踏み荒らした。申祥(しんしょう、子張の子)がそれを告げて、「どうか償いをしてください」と言った。子皋は言った。「孟氏(もうし、魯の三桓の一つで子皋の主家)はこのことで私を罰しはしないし、友人たちもこのことで私を見捨てはしない。私はこの町の長としてここにいるのだから、もし道を買い取って葬ったりすれば、後の長たちがそれを受け継ぐのが難しくなる」。
解説
この章句が説くこと
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