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礼記 / 檀弓下

叔仲皮學子柳。叔仲皮死,其妻魯人也,衣衰而繆絰。叔仲衍以告,請繐衰而環絰,曰:「昔者吾喪姑姊妹亦如斯,末吾禁也。」退,使其妻繐衰而環絰。 成人有其兄死而不為衰者,聞子皋將為成宰,遂為衰。成人曰:「蠶則績而蟹有匡,范則冠而蟬有緌,兄則死而子皋為之衰。」

新字:叔仲皮学子柳。叔仲皮死,其妻魯人也,衣衰而繆絰。叔仲衍以告,請繐衰而環絰,曰:「昔者吾喪姑姊妹亦如斯,末吾禁也。」退,使其妻繐衰而環絰。 成人有其兄死而不為衰者,聞子皋将為成宰,遂為衰。成人曰:「蠶則績而蟹有匡,范則冠而蝉有緌,兄則死而子皋為之衰。」

書き下し

叔仲皮(しゅくちゅうひ)、子柳に学(おし)う。叔仲皮死す。其の妻は魯(ろ)人なり。衣衰(いさい)して繆絰(きゅうてつ)す。叔仲衍(しゅくちゅうえん)以て告げ、繐衰(すいさい)して環絰(かんてつ)せんことを請う。曰く、「昔者(むかし)吾姑姊妹を喪いしときも亦斯くの如くせしに、吾を禁ずる末(な)かりき」と。退きて、其の妻をして繐衰して環絰せしむ。 成(せい)人に其の兄死して衰を為さざる者有り。子皋(しこう)将に成の宰たらんとすと聞き、遂に衰を為す。成人曰く、「蚕は則ち績(つむ)ぎて蟹に匡(きょう)有り、范(はち)は則ち冠して蝉に緌(ずい)有り。兄は則ち死して子皋これが為に衰す」と。

現代語訳

叔仲皮(魯の叔孫氏の一族)は、子の子柳に礼を教えていた。叔仲皮が死ぬと、子柳の妻は魯鈍な人であったが、舅の喪として衣衰(鄭玄によれば齊衰(しさい)の誤りで、舅姑のための喪服)を着け、繆絰(きゅうてつ、麻をよじって作った首帯)をつけた。叔仲衍(皮の弟、子柳の叔父)はそれを非礼だと子柳に告げ、子柳は妻を繐衰(すいさい、細い糸で粗く織った軽い喪服)に環絰(かんてつ、弔問に用いる輪の首帯)に改めさせたいと衍に願い出た。衍は言った。「以前、私が姑や姉妹を亡くしたときも、そのようにしたが、私を咎める者はなかった」。子柳は退いて、妻に繐衰を着せ、環絰をつけさせた。 成(魯の孟孫氏の采邑)の人で、兄が死んだのに喪服を着けない者がいた。ところが子皋(孔子の弟子、高柴)が成の長官として赴任すると聞くと、ようやく喪服を着けた。成の人々は言った。「蚕は糸を紡いで繭を作るが、繭を入れる籠(かご)のような形は蟹の甲羅にある。蜂は冠をかぶっているようだが、冠の紐(ひも)のようなものは蝉の口にある。兄は死んだが、あの男が喪服を着たのは子皋のためだ」。

解説

二つの話とも喪服をめぐる失態を語る。前半は、魯鈍と呼ばれた子柳の妻が、舅の喪として正しい齊衰を着けたのに、叔父の衍と夫の子柳が、当時の婦人に好まれた軽く細い繐衰と弔問用の環絰に改めさせた話である。鄭玄は、妻は鈍くとも礼においては学んだ者に勝っていたと注し、衍は礼の本を知らなかったと断じる。流行と「私のときも咎められなかった」という前例とが、正しい礼を押しのけた例である。後半は、兄の喪に服さなかった男が、孝で知られた子皋の赴任を聞いて慌てて喪服を着たのを、成の人々が蚕と蟹、蜂と蝉のたとえで嘲った話である。鄭玄は、蟹の甲羅や蝉の口の飾りが蚕や蜂のためにあるのでないように、その喪服も兄のためではないと皮肉ったのだと読む。喪服が悲しみの表れではなく、流行や上役の目に合わせた飾りになったときの滑稽さを突いている。前例や上の目だけを理由にした振る舞いは、今の職場にも少なくない。

この章句が説くこと

礼記喪服檀弓形式子皋

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