礼記 / 檀弓上
孔子既祥,五日彈琴而不成聲,十日而成笙歌。 有子蓋既祥而絲屨、組纓。 死而不弔者三:畏、厭、溺。子路有姊之喪,可以除之矣,而弗除也,孔子曰:「何弗除也?」子路曰:「吾寡兄弟而弗忍也。」孔子曰:「先王制禮,行道之人皆弗忍也。」子路聞之,遂除之。
新字:孔子既祥,五日弾琴而不成声,十日而成笙歌。 有子蓋既祥而糸屨、組纓。 死而不弔者三:畏、厭、溺。子路有姊之喪,可以除之矣,而弗除也,孔子曰:「何弗除也?」子路曰:「吾寡兄弟而弗忍也。」孔子曰:「先王制礼,行道之人皆弗忍也。」子路聞之,遂除之。
書き下し
孔子既に祥(しょう)して、五日琴を弾ずれども声を成さず、十日にして笙歌を成す。 有子(ゆうし)蓋し既に祥して絲屨(しく)・組纓(そえい)す。 死して弔わざる者三あり。畏(い)・厭(あつ)・溺(でき)なり。子路姊(あね)の喪有り、以てこれを除くべくして、除かざるなり。孔子曰く、「何ぞ除かざるや」と。子路曰く、「吾兄弟寡(すく)なくして忍びざるなり」と。孔子曰く、「先王の礼を制するや、行道の人も皆忍びざるなり」と。子路これを聞きて、遂にこれを除く。
現代語訳
孔子は(母の喪の)大祥を済ませたのち、五日目に琴を弾いてみたが、まだ調べにならなかった。十日目には笙に合わせて歌うことができた。 有子(弟子の有若)は、大祥を済ませるとすぐに絹の履物をはき、組紐の冠の紐をつけたという。 死んでも弔わない場合が三つある。畏(罪を問われて畏れ、自ら死んだ者)、厭(危うい所にいて押しつぶされて死んだ者)、溺(川で溺れて死んだ者)である。子路は姉の喪に服していた。もう喪を解いてよい時期になったのに、解かなかった。孔子が「なぜ喪を解かないのか」と尋ねると、子路は言った。「私には兄弟が少ないので、忍びないのです」。孔子は言った。「先王が礼を定めたとき、道を行う人は誰でも忍びない思いを抱いていたのだ(それでも期限を定めたのである)」。子路はこれを聞いて、そこで喪を解いた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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