導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 檀弓下

魯莊公之喪,既葬,而絰不入庫門。士大夫既卒哭,麻不入。 孔子之故人曰原壤,其母死,夫子助之沐椁。原壤登木曰:「久矣予之不託於音也。」歌曰:「貍首之班然,執女手之卷然。」夫子為弗聞也者而過之,從者曰:「子未可以已乎?」夫子曰:「丘聞之,親者毋失其為親也,故者毋失其為故也。」

新字:魯荘公之喪,既葬,而絰不入庫門。士大夫既卒哭,麻不入。 孔子之故人曰原壤,其母死,夫子助之沐椁。原壤登木曰:「久矣予之不託於音也。」歌曰:「貍首之班然,執女手之巻然。」夫子為弗聞也者而過之,従者曰:「子未可以已乎?」夫子曰:「丘聞之,親者毋失其為親也,故者毋失其為故也。」

書き下し

魯の荘公の喪、既に葬りて、絰(てつ)は庫門(こもん)に入らず。士大夫既に卒哭(そっこく)すれば、麻は入らず。 孔子の故人を原壌(げんじょう)と曰う。其の母死す。夫子これが椁(かく)を沐(おさ)むるを助く。原壌木に登りて曰く、「久しいかな、予の音に託せざるや」と。歌いて曰く、「貍首(りしゅ)の班然たる、女(なんじ)の手を執ることの巻然たる」と。夫子為に聞かざる者のごとくにしてこれを過ぐ。従者曰く、「子未だ以て已むべからざるか」と。夫子曰く、「丘これを聞く、親しき者は其の親たることを失うこと毋く、故(ふる)き者は其の故たることを失うこと毋し、と」。

現代語訳

魯の荘公の喪では、葬儀が終わると、喪の首帯である絰(てつ)を着けたまま庫門(宮城のいちばん外の門)を入ることはなかった。士や大夫も、卒哭(そっこく、葬後の祭りで、絶え間なく泣くことを止める節目)を終えると、麻の喪具を着けたまま門を入ることはなかった。 孔子の古い友人に原壌という者がいた。その母が死んだとき、孔子は棺を納める椁(かく、外棺)の木材を整えるのを手伝った。ところが原壌は椁の木材に登って言った。「久しく歌に思いを託していなかったなあ」。そして木を叩いて歌った。「狸の頭の斑(まだら)のように美しい木目よ、お前の手を取るように柔らかくしなやかなことよ」。孔子は聞こえなかったふりをして、その場を通り過ぎた。従っていた者が言った。「先生、まだこの男と縁を切らないのですか」。孔子は言った。「私はこう聞いている。身内はどんなことがあっても身内であることを失わず、旧友は旧友であることを失わないものだ、と」。

解説

前半は魯の荘公の喪の変例、後半は孔子と旧友原壌の逸話である。鄭玄は前半を、荘公の死後に世子の子般が殺され慶父が乱を起こしたため、幼い閔公が喪に居ることをはばかり、葬儀を終えるとすぐ吉服に改めて君臣の分を正そうとした、衰えきった時勢の記録と読む。後半の原壌は、『論語』憲問篇で孔子の前に足を投げ出して待ち、杖で脛を打たれた人物として知られる。母の喪の最中に棺材に登って歌うという非礼を前に、孔子は聞こえないふりをして通り過ぎた。孔穎達の疏は、君を殺し父を害するほどの大きな悪がない限り、故旧を捨てないのが孔子の態度だと説き、『論語』の「故旧、大故無ければ則ち棄てず」を引く。咎めれば縁が切れ、同調すれば礼を損なう。孔子は喪の手伝いという務めを果たしつつ、関係を断たなかった。困った旧友や身内との付き合い方に悩む人には、今も重い一句である。

この章句が説くこと

礼記孔子旧友喪礼原壌

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る