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礼記 / 檀弓下

子張死,曾子有母之喪;齊衰而往哭之。或曰:「齊衰不以弔。」曾子曰:「我弔也與哉?」 有若之喪,悼公弔焉,子游擯,由左。 齊穀王姬之喪,魯莊公為之大功。或曰:「由魯嫁,故為之服姊妹之服」;或曰:「外祖母也,故為之服。」

新字:子張死,曽子有母之喪;斉衰而往哭之。或曰:「斉衰不以弔。」曽子曰:「我弔也与哉?」 有若之喪,悼公弔焉,子游擯,由左。 斉穀王姫之喪,魯荘公為之大功。或曰:「由魯嫁,故為之服姊妹之服」;或曰:「外祖母也,故為之服。」

書き下し

子張死す、曾子母の喪有り。斉衰(しさい)してこれに往きて哭す。或ひと曰く、「斉衰は以て弔せず」と。曾子曰く、「我弔するならんや」と。 有若の喪に、悼公これを弔す、子游擯(ひん)し、左に由る。 斉の穀(こく)王姫の喪に、魯の荘公これが為に大功す。或いは曰く、「魯由り嫁す、故にこれが為に姉妹の服を服す」と。或いは曰く、「外祖母なり、故にこれが為に服す」と。

現代語訳

子張が亡くなったとき、曾子は母の喪に服していた。曾子は斉衰(しさい、母の喪の喪服)を着たまま子張のもとへ行って哭した。ある人が「斉衰を着て弔問はしないものです」と言うと、曾子は答えた。「私は弔問に来たのではない(友のために哭しに来たのだ)」。 有若(ゆうじゃく、孔子の弟子)の喪に、魯の悼公(とうこう)が弔問に来た。子游が擯(ひん、主人の側で客を導く役)を務め、悼公の左側から導いた。 斉から王姫(おうき、周王の娘で斉の襄公の夫人)の訃報が届いたとき、魯の荘公は彼女のために大功(たいこう、九か月の喪服)を着た。ある人は「魯から嫁いだのだから、姉妹に対する喪服を着たのだ」と言い、ある人は「荘公の外祖母だから喪服を着たのだ」と言った。

解説

喪服をめぐる三つの話を集めた段である。曾子は母の喪の最中に友の子張の死を聞き、喪服のまま駆けつけた。重い喪にある者が他家を弔うのは礼に外れると咎められると、曾子は、自分は通り一遍の弔問に来たのではないと答えた。鄭玄は、友への哀痛が甚だしく哭しに行ったのであり、ふつうの弔いとは違うと注する。規則に反するように見えても、友を悼む情がそれを上回ったのである。子游が左から導いたのは、君主を迎える位置への配慮である。王姫の喪について、鄭玄は「穀」を「告」の誤りとし、王姫を周の娘で斉の襄公の夫人と注する。荘公が大功を服した理由には二説が挙げられているが、記者はどちらとも決めていない。規則を知ったうえで、情がそれを越える場面がある。曾子の一言は、形式と真情の関係を考えさせる。

この章句が説くこと

礼記曽子友情喪服子張

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