礼記 / 檀弓下
邾婁定公之時,有弒其父者。有司以告,公瞿然失席曰:「是寡人之罪也。」曰:「寡人嘗學斷斯獄矣:臣弒君,凡在官者殺無赦;子弒父,凡在宮者殺無赦。殺其人,壞其室,洿其宮而豬焉。蓋君踰月而后舉爵。」
新字:邾婁定公之時,有弒其父者。有司以告,公瞿然失席曰:「是寡人之罪也。」曰:「寡人嘗学断斯獄矣:臣弒君,凡在官者殺無赦;子弒父,凡在宮者殺無赦。殺其人,壊其室,洿其宮而豬焉。蓋君踰月而后舉爵。」
書き下し
邾婁(ちゅろう)の定公の時、其の父を弒(しい)する者有り。有司以て告ぐ。公瞿然(くぜん)として席を失いて曰く、「是れ寡人の罪なり」と。曰く、「寡人嘗て斯の獄を断ずることを学べり。臣、君を弒すれば、凡そ官に在る者は殺して赦すこと無し。子、父を弒すれば、凡そ宮に在る者は殺して赦すこと無し。其の人を殺し、其の室を壊(こぼ)ち、其の宮を洿(ほ)りて豬(ちょ)す。蓋し君は月を踰えて后(のち)に爵を挙ぐ」と。
現代語訳
邾婁(ちゅろう、魯の南にあった小国、邾)の定公の時代に、自分の父を殺した者があった。役人がこれを報告すると、定公は驚きのあまり座席から身をずらして言った。「これは私の罪である」。そしてさらに言った。「私はかつて、このような罪の裁き方を学んだことがある。臣下が君主を殺したならば、およそ官にある者は誰でもその者を殺してよく、決して赦してはならない。子が父を殺したならば、およそその家にいる者は誰でもその者を殺してよく、決して赦してはならない。その者を殺し、その家屋を取り壊し、屋敷の地を掘り下げて水をため、二度と人が住めないようにする。そして君主は一月を過ぎてから、ようやく酒杯を挙げるのである」。
解説
檀弓下の一節で、父殺しという人倫の最大の逆行に際して、君主がどう振る舞うべきかを語る。定公が最初に口にしたのは罪人への怒りではなく、「是れ寡人の罪なり」という自責であった。鄭玄はこれに「民の無礼は、教えの罪なり」と注し、民が人倫を踏み外したのは、上に立つ者の教化が行き届かなかったためだと読む。そのうえで語られる刑はきわめて苛烈で、家を壊し地を掘って水をためるのは、鄭玄によれば大逆であることを明らかにし、再び人がそこに住むことを望まないからである。君主が一月のあいだ酒を控えるのも、自らを貶め損なう意味だと注される。厳罰と自責とが並べて置かれている点に、この段の要がある。組織で重い不祥事が起きたとき、当事者を罰するだけで済ませず、まず自分の治め方の責任として受けとめる長がいるかどうか。小国の君主の一言は、今も人の上に立つ者を問うている。
この章句が説くこと
礼記檀弓刑罰君主自責
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