礼記 / 檀弓下
天子崩,三日祝先服,五日官長服,七日國中男女服,三月天下服。虞人致百祀之木,可以為棺椁者斬之,不至者,廢其祀,刎其人。 齊大饑,黔敖為食於路,以待餓者而食之。有餓者蒙袂輯屨貿貿然來。黔敖左奉食,右執飲,曰:「嗟!來食。」揚其目而視之,曰:「予唯不食嗟來之食,以至於斯也。」從而謝焉;終不食而死。曾子聞之,曰:「微與?其嗟也可去,其謝也可食。」
新字:天子崩,三日祝先服,五日官長服,七日国中男女服,三月天下服。虞人致百祀之木,可以為棺椁者斬之,不至者,廃其祀,刎其人。 斉大饑,黔敖為食於路,以待餓者而食之。有餓者蒙袂輯屨貿貿然来。黔敖左奉食,右執飲,曰:「嗟!来食。」揚其目而視之,曰:「予唯不食嗟来之食,以至於斯也。」従而謝焉;終不食而死。曽子聞之,曰:「微与?其嗟也可去,其謝也可食。」
書き下し
天子崩ずれば、三日にして祝先ず服し、五日にして官長服し、七日にして国中の男女服し、三月にして天下服す。虞人(ぐじん)百祀の木の、以て棺椁(かんかく)と為すべき者を致してこれを斬る。至らざる者は、其の祀を廃し、其の人を刎(くびき)る。 斉大いに饑(う)う。黔敖(けんごう)食を路に為(つく)り、以て餓えたる者を待ちてこれに食らわしむ。餓えたる者有り、袂(たもと)を蒙(こうむ)り屨(くつ)を輯(あつ)め、貿貿然(ぼうぼうぜん)として来たる。黔敖左に食を奉じ、右に飲を執りて、曰く、「嗟(ああ)、来たりて食らえ」と。其の目を揚げてこれを視て、曰く、「予唯だ嗟来の食を食らわず、以て斯に至れるなり」と。従いてこれに謝す。終に食らわずして死す。曾子これを聞きて、曰く、「微(な)からんか。其の嗟するや去るべし、其の謝するや食らうべし」と。
現代語訳
天子が崩御すると、三日目に祝(しゅく、祭祀の祈りを司る者)がまず喪服を着け、五日目に官の長たちが着け、七日目に都の男女が着け、三か月目に天下の人々が喪服を着ける。虞人(ぐじん、山林を司る役人)は、各地のあらゆる祭祀の場にある木のうち、棺や椁にできるものを差し出させて伐採する。差し出さない者があれば、その祭祀を廃止し、その者の首をはねる。 斉の国がひどい飢饉に見舞われた。黔敖(けんごう)は道ばたで食べ物を用意し、飢えた人が来るのを待って食べさせていた。そこへ一人の飢えた男が、袖で顔を覆い、足を引きずるようにして、ふらふらとやって来た。黔敖は左手に食べ物を捧げ、右手に飲み物を持って、「おい、来て食え」と言った。男は目を上げて黔敖を見すえ、「私は『おい、来て食え』などと言われて与えられる食べ物を食べなかったからこそ、こうなったのだ」と言った。黔敖は後を追って非礼を詫びたが、男はとうとう食べずに死んだ。曾子はこれを聞いて言った。「そこまでせずともよかったのではないか。『おい』と呼ばれたときには立ち去ってよいが、詫びられたのなら食べてよかったのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・檀弓上天子の諸侯を哭するや、爵弁(しゃくべん)絰(てつ)緇衣(しい)す。或いは曰く、有司をしてこれを哭せしめ、これが為に楽を以て食せず、と。 天子の殯や、菆塗(そうと)して龍輴(りょうしゅん)するに槨(かく)を以てし、斧を椁の上に加え、畢(ことごと)く屋に塗る、天子の礼なり。 唯だ天子の喪にのみ、姓を別ちて哭すること有り。 魯の哀公孔丘を誄(るい)して曰く、「天耆老(きろう)を遺さず、予(われ)を位に相(たす)くる莫し。嗚呼(ああ)哀しいかな、尼父(じほ)」と。
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礼記・服問君は天子の為に三年、夫人は外宗の君の為にするが如し。世子は天子の為に服せず。君の主(つかさど)る所は、夫人・妻・大子・適婦(てきふ)なり。大夫の適子は、君・夫人・大子の為に、士の服の如くす。 君の母、夫人に非ざれば、則ち群臣は服無し。唯だ近臣及び僕・驂乗(さんじょう)のみ従いて服す。唯だ君の服する所のみ服するなり。公は卿大夫の為に錫衰(しゃくさい)して以て居り、出づるも亦たかくの如し。事に当たれば則ち弁絰(べんてつ)す。大夫の相為にするも亦た然り。其の妻の為には、往けば則ち之を服し、出づれば則ち否ず。
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礼記・檀弓上喪服に、兄弟の子は猶子(ゆうし)のごときは、蓋し引きてこれを進むるなり。嫂叔(そうしゅく)の服無きは、蓋し推してこれを遠ざくるなり。姑(こ)・姊妹(しまい)の薄きは、蓋し我より受けてこれを厚くする者有ればなり。 喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。 曾子客と門の側に立つ。其の徒趨りて出ず。曾子曰く、「爾将に何くにか之(ゆ)かんとする」と。曰く、「吾が父死す。将に出でて巷に哭せんとす」と。曰く、「反りて爾が次(やど)に哭せよ」と。曾子北面してこれを弔う。
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礼記・檀弓下悼公の喪に、季昭子孟敬子に問いて曰く、「君の為に何をか食らわん」と。敬子曰く、「粥を食らうは、天下の達礼なり。吾ら三臣の公室に居る能わざるや、四方聞かざる莫し。勉めて瘠(せき)を為さば、則ち吾能くせん。乃ち人をして夫の情を以て瘠に居らざる者を疑わしむること毋からんや。我は則ち食を食らわん」と。
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礼記・檀弓上曾子曰く、「始死の奠(てん)は、其れ余閣(よかく)なるか」と。曾子曰く、「小功に位を為さざるは、是れ委巷の礼なり。子思の嫂(あによめ)を哭するや位を為し、婦人倡(とな)えて踊(よう)す。申祥の言思を哭するも亦然り」と。 古は冠縮縫(しゅくほう)し、今や衡縫(こうほう)す。故に喪冠の吉に反するは、古に非ざるなり。曾子子思に謂いて曰く、「伋(きゅう)、吾親の喪を執るや、水漿(すいしょう)口に入らざること七日」と。子思曰く、「先王の礼を制するや、これに過ぐる者は俯(ふ)してこれに就き、至らざる者は跂(つまだ)ちてこれに及ぶ。故に君子の親の喪を執るや、水漿口に入らざること三日、杖つきて后に能く起つ」と。
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礼記・曽子問賤は貴を誄(るい)せず、幼は長を誄せざるは、礼なり。唯だ天子は天を称して以て之を誄す。諸侯相誄するは、礼に非ざるなり。 曾子問いて曰く、「君、疆(さかい)を出づるに、三年の戒を以てし、椑(へい)を以て従う。君薨ずれば、其の入ること之を如何せん」と。孔子曰く、「殯服を共(きょう)すれば、則ち子は麻の弁絰(べんてつ)、疏衰(そさい)、菲(ひ)、杖。闕(けつ)より入り、西階より升る。如し小斂すれば、則ち子は免(ぶん)して柩に従い、門より入り、阼階(そかい)より升る。君・大夫・士、一節なり」と。曾子問いて曰く、「君の喪既に引きて、父母の喪を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂(と)ぐ。既に封(へん)して帰り、子を俟(ま)たず」と。曾子問いて曰く、「父母の喪既に引きて、塗に及び、君の薨を聞かば、之を如何せん」と。孔子曰く、「遂ぐ。既に封して、服を改めて往く」と。
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