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礼記 / 檀弓下

諸侯伐秦,曹桓公卒于會。諸侯請含,使之襲。 襄公朝于荊,康王卒。荊人曰:「必請襲。」魯人曰:「非禮也。」荊人強之。巫先拂柩。荊人悔之。 滕成公之喪,使子叔敬叔弔,進書,子服惠伯為介。及郊,為懿伯之忌不入。惠伯曰:「政也,不可以叔父之私不將公事。」遂入。

新字:諸侯伐秦,曹桓公卒于会。諸侯請含,使之襲。 襄公朝于荊,康王卒。荊人曰:「必請襲。」魯人曰:「非礼也。」荊人強之。巫先払柩。荊人悔之。 滕成公之喪,使子叔敬叔弔,進書,子服恵伯為介。及郊,為懿伯之忌不入。恵伯曰:「政也,不可以叔父之私不将公事。」遂入。

書き下し

諸侯秦を伐つ、曹の桓公会に卒す。諸侯含(がん)せんと請い、これをして襲(しゅう)せしむ。 襄公荊(けい)に朝す、康王卒す。荊人曰く、「必ず襲せんことを請う」と。魯人曰く、「礼に非ざるなり」と。荊人これを強う。巫をして先ず柩を拂(はら)わしむ。荊人これを悔ゆ。 滕の成公の喪に、子叔敬叔をして弔し、書を進めしめ、子服恵伯介(かい)と為る。郊に及びて、懿伯の忌(うら)みの為に入らず。恵伯曰く、「政なり、叔父の私を以て公事を将(おこな)わざるべからず」と。遂に入る。

現代語訳

諸侯が連合して秦を討ったとき、曹の桓公が会盟の場で亡くなった。諸侯は亡骸の口に玉を含ませる含(がん)の礼を行いたいと願い出たが、曹の側は諸侯に襲(しゅう、亡骸に衣を着せる役目)をさせた。 魯の襄公が荊(けい、楚)に朝見していたとき、楚の康王が亡くなった。楚の人々は「ぜひ襲の役をお願いしたい」と言った。魯の人々は「それは礼ではない」と言ったが、楚の人々は無理強いした。そこで魯は、巫(ふ)にまず柩をお祓いさせた。楚の人々はこれを悔やんだ。 滕(とう)の成公の喪に、魯は子叔敬叔(ししゅくけいしゅく)を弔問の使者として国書を届けさせ、子服恵伯(しふくけいはく)がその副使となった。滕の都の郊外まで来たとき、敬叔は恵伯の叔父である懿伯(いはく)への恨みがあったので、都に入ろうとしなかった。恵伯は言った。「これは君命による公の務めです。叔父との私事のために公の務めを果たさないわけにはいきません」。こうして一行は都に入った。

解説

他国の君主の喪に際して、礼を誤った例と、私情を越えた例を並べた段である。第一話で、諸侯は曹の桓公に含の礼を願い出たのに襲をさせられた。鄭玄は、襲は賤しい者の仕事であり誤りだと注する。第二話は『春秋左氏伝』にも見える話で、鄭玄は魯の襄公二十八年のこととする。楚は自国の王を尊ぶために魯の襄公に襲の役を強いた。魯はやむなく従う代わりに、まず巫に柩を祓わせた。鄭玄は、巫祝と桃茢は君が臣の喪に臨むときの礼だと注する。つまり魯は、楚王を臣下の扱いにしてしまったのであり、楚はそれに気づいて悔やんだ。力で礼を曲げようとした側が、礼によって逆にやり込められたのである。第三話では、使者が私的な恨みから任務を渋ったのを、副使がこれは公務だと説いて果たさせた。私情と公務を分けるという教えは、今の職場でもそのまま通じる。礼を知ることは、理不尽な要求を受けたときの静かな抵抗の手段にもなりうる。

この章句が説くこと

礼記外交公私檀弓下喪礼

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