礼記 / 檀弓下
子路去魯,謂顏淵曰:「何以贈我?」曰:「吾聞之也:去國則哭于墓而后行,反其國不哭,展墓而入。」謂子路曰:「何以處我?」子路曰:「吾聞之也,過墓則式,過祀則下。」 工尹商陽與陳棄疾追吳師,及之。陳棄疾謂工尹商陽曰:「王事也,子手弓而可。」手弓。「子射諸。」射之,斃一人,韔弓。又及,謂之,又斃二人。每斃一人,揜其目。止其御曰:「朝不坐,燕不與,殺三人,亦足以反命矣。」孔子曰:「殺人之中,又有禮焉。」
新字:子路去魯,謂顔淵曰:「何以贈我?」曰:「吾聞之也:去国則哭于墓而后行,反其国不哭,展墓而入。」謂子路曰:「何以処我?」子路曰:「吾聞之也,過墓則式,過祀則下。」 工尹商陽与陳棄疾追呉師,及之。陳棄疾謂工尹商陽曰:「王事也,子手弓而可。」手弓。「子射諸。」射之,斃一人,韔弓。又及,謂之,又斃二人。毎斃一人,揜其目。止其御曰:「朝不坐,燕不与,殺三人,亦足以反命矣。」孔子曰:「殺人之中,又有礼焉。」
書き下し
子路魯を去る、顔淵に謂いて曰く、「何を以て我に贈る」と。曰く、「吾これを聞けり。国を去れば則ち墓に哭して后に行き、其の国に反れば哭せず、墓を展(み)て入る、と」と。子路に謂いて曰く、「何を以て我に処(お)らしむ」と。子路曰く、「吾これを聞けり。墓を過ぐれば則ち式(しょく)し、祀を過ぐれば則ち下る、と」と。 工尹商陽(こういんしょうよう)陳棄疾と呉の師を追い、これに及ぶ。陳棄疾工尹商陽に謂いて曰く、「王事なり、子弓を手にして可なり」と。弓を手にす。「子これを射よ」と。これを射て、一人を斃(たお)し、弓を韔(ちょう)にす。又及び、これに謂えば、又二人を斃す。一人を斃すごとに、其の目を揜(おお)う。其の御を止めて曰く、「朝には坐せず、燕には与らず、三人を殺せば、亦た以て命を反すに足れり」と。孔子曰く、「人を殺すの中にも、又礼有り」と。
現代語訳
子路が魯を去るとき、顔淵に言った。「私に何を餞(はなむけ)の言葉として贈ってくれるか」。顔淵は言った。「私はこう聞いている。国を去るときには祖先の墓に参って哭してから出発し、自分の国に帰ってきたときは哭さずに、墓を見回ってから町に入る、と」。今度は顔淵が子路に言った。「私が国に留まるにあたって、何を言い残してくれるか」。子路は言った。「私はこう聞いている。墓の前を通るときには車の横木に手をかけて敬礼し、社の前を通るときには車から降りる、と」。 楚の工尹(こういん、工匠を司る官)の商陽(しょうよう)が陳棄疾(ちんきしつ)とともに呉の軍を追撃し、追いついた。陳棄疾が工尹商陽に言った。「これは王命による戦です。あなたは弓を手に取るべきです」。商陽は弓を取った。「あなた、射なさい」。商陽は射て、一人を倒すと、弓を弓袋にしまった。また追いついて、陳棄疾が促すと、さらに二人を倒した。一人倒すごとに、商陽は自分の目を覆った。そして御者を止めて言った。「私は朝廷で座を与えられる身分でもなく、宴にも加わらない身である。三人を殺したのだから、王への復命には十分だ」。孔子は言った。「人を殺すことの中にも、また礼があるものだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
礼記・檀弓上孔子既に祥(しょう)して、五日琴を弾ずれども声を成さず、十日にして笙歌を成す。 有子(ゆうし)蓋し既に祥して絲屨(しく)・組纓(そえい)す。 死して弔わざる者三あり。畏(い)・厭(あつ)・溺(でき)なり。子路姊(あね)の喪有り、以てこれを除くべくして、除かざるなり。孔子曰く、「何ぞ除かざるや」と。子路曰く、「吾兄弟寡(すく)なくして忍びざるなり」と。孔子曰く、「先王の礼を制するや、行道の人も皆忍びざるなり」と。子路これを聞きて、遂にこれを除く。
-
孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
-
論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
-
史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
-
史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
-
孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る